投資と感情の違い
プレオープンから二日後の午後、受付から内線が入った。
「高橋様がお見えです。」
予定にはない。
だが、驚きはない。
「通して。」
僕は書類から目を上げることなく答えた。
数分後、涼太が会議室に入ってきた。前回よりも顔色が悪い。目の下に薄い影がある。眠れていないのだろう。
ドアが閉まると、彼はすぐに口を開いた。
「正直に聞きたいんです。」
「どうぞ。」
「今回のテーマ変更、本当に作品のためですか?」
彼はまっすぐ僕を見る。前回までの遠慮は消えている。だが、怒りではなく、困惑の色が強い。
僕は椅子にもたれかかる。
「君はどう思う?」
「プレオープンの挨拶……あれは、僕に向けたものじゃない。」
彼は拳を握る。
「まるで、誰か個人の話をしているみたいだった。」
鋭い。
ようやく気づき始めた。
「芸術は個人から生まれる。」
僕は穏やかに言う。
「君の感情が現実に根ざしているなら、それは自然なことだ。」
「でも、僕の現実を、あなたが操っているように感じる。」
その言葉に、わずかな沈黙が落ちた。
彼は核心に触れた。
僕は否定しない。
「操るという言い方は強いね。」
「違いますか?」
彼の声は震えているが、逃げてはいない。
僕はしばらく彼を見つめ、それから淡々と答える。
「投資家は、方向を示すものだ。」
「方向?」
「成功するための最短距離を設計する。それが仕事だ。」
彼は息を飲む。
「僕の人生まで設計する権利はありません。」
その言葉に、初めてわずかな苛立ちが生まれる。
「君の人生を設計しているつもりはない。ただ、プロジェクトを成功させているだけだ。」
「それが、僕にとっては同じなんです。」
彼の声は低い。
ようやく理解したのだろう。資金と承認権が、どれだけ重い鎖かを。
その夜、真由が涼太と会っていたことは、すぐにわかった。
彼女は帰宅後、玄関で立ち止まったまま動かない。
「彼と話したの?」
僕は問いかける。
彼女は目を逸らさない。
「会社まで来たって。」
「来たよ。」
「何を話したの?」
「仕事の話。」
「本当に?」
疑念は、もう隠さない。
僕はゆっくりと彼女に近づく。
「君は、何を恐れている?」
「あなたが全部知ってること。」
ついに、言葉になった。
僕はわずかに息を吐く。
「知っていると思うなら、なぜ隠す?」
彼女の喉が鳴る。
「悠人、やめて。これ以上やったら、取り返しがつかなくなる。」
取り返しがつかない。
その言葉が、妙に滑稽に響く。
もう、とっくに戻れない場所まで来ている。
「君はまだ、彼を守りたいのか?」
彼女は答えない。
沈黙が、答えだった。
その夜、初めて明確な亀裂が入った。
真由は寝室に入らなかった。
リビングのソファで朝まで起きていたらしい。
僕は静かな部屋で、天井を見つめる。
復讐は、感情ではなく構造だ。
だが構造が人間を追い詰めたとき、感情は暴発する。
涼太は限界に近づいている。
真由は恐怖に近づいている。
そして僕は、まだ冷静だ。
だが、均衡は長く続かない。
次に崩れるのは、信頼か。
それとも、関係そのものか。




