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8/12

現実を素材にするということ

展示のプレオープンは、予定より一週間早められた。


スポンサー主導という形で告知され、業界関係者やメディアも招かれている。規模は大きくないが、十分に人目を集める場だ。


会場に入った瞬間、涼太の顔が強張っているのがわかった。まだ完成ではない一部作品の先行展示。照明は抑えられ、壁には“裏切り”をテーマにした写真が並ぶ。


雨に濡れた指先。

背を向ける男女。

視線の合わない二人。


以前の「静かな雨」とは明らかに違う。痛みが前面に出ている。


観客の反応は悪くない。むしろ、ざわめきがある。


「生々しいですね。」

「どこか現実味がある。」


その言葉を、僕は聞き逃さない。


ステージに立つ時間が来た。


スポンサー代表として、簡単な挨拶を求められている。


マイクを握ったとき、会場は静まり返った。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。」


形式的な前置きを終え、僕は展示作品に視線を向ける。


「今回のテーマは“裏切り”。芸術というのは、現実から生まれるものだと私は思っています。」


客席のどこかで、真由の視線を感じる。


「特に、身近な関係の中にある小さな嘘や隠し事。それが積み重なったとき、人は初めて本当の孤独を知る。」


涼太の顔色が変わる。


彼はまだ、言葉の刃の向きに気づいていない。


「この作品は、決して空想ではありません。現実にある感情を、丁寧に切り取ったものです。」


わざと、そこで一拍置く。


「誰にでも、心当たりがあるはずです。」


会場にわずかなざわめきが走る。


僕は笑わない。


ただ、静かに続ける。


「芸術は、美しいだけでは意味がない。痛みを直視してこそ、価値がある。」


拍手が起こる。


形式的だが、確かに響く。


マイクを置いたとき、真由と目が合った。


彼女の顔は青ざめていた。


会場の隅で、真由が僕の腕を掴む。


「どういうつもり?」


声は震えている。


「挨拶だよ。」


「現実って何?誰に向けて言ったの?」


彼女は必死に平静を装っているが、指先に力が入っている。


「君は心当たりがあるの?」


僕は穏やかに問い返す。


その瞬間、彼女は言葉を失った。


否定できない。


否定すれば、なぜ動揺するのか説明できない。


彼女の沈黙が答えだった。


「やめて。」


彼女は小さく言う。


「やめてって?」


「こういうやり方。」


やり方。


つまり、彼女は理解したのだ。


偶然ではないと。


意図があると。


少し離れた場所で、涼太がこちらを見ている。


不安と困惑が混ざった目。


彼はようやく感じ始めている。


何かがおかしいと。


「テーマを変えた理由、これだったの?」


真由が問い詰める。


僕は視線を外さない。


「作品は強くなっただろう?」


それは事実だ。


だが、彼女が欲しかった答えではない。


「あなた、知ってるの?」


ついに、核心が口に出た。


僕は一瞬だけ黙る。


会場のざわめきが遠くに聞こえる。


「何を?」


彼女の呼吸が乱れる。


「全部。」


僕は小さく息を吐く。


「もし知っていたら、どうすると思う?」


彼女の目に、明確な恐怖が浮かぶ。


それは、罪悪感よりも深い。


“暴かれる”恐怖だ。


その夜、帰宅後の沈黙は重かった。


真由は何度もスマートフォンを確認している。涼太からのメッセージだろう。


「さっきの挨拶、どういう意味なんだろう。」


彼の不安が、きっと文字になって届いている。


僕は窓の外を見る。


空には再び雲が広がっている。


まだ降らない。


だが、時間の問題だ。


今日、初めて二人は理解した。


僕が偶然動いているのではないと。


まだ証拠はない。


まだ告発もない。


だが、疑念は生まれた。


それで十分だ。


支配は、公開の場でこそ完成する。

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