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7/12

疑念の境界線

展示準備は進んでいるはずなのに、空気は日に日に重くなっていた。


涼太の新しい作品データが届いたとき、僕は一瞬だけ目を細めた。画面に映るのは、雨に濡れた女性の横顔だった。目は伏せられ、唇はわずかに震えている。背景はぼやけ、まるで世界から切り離されたように孤立している。


前回までの迷いは消えていた。


代わりにあるのは、痛みだ。


彼はようやく掴み始めたのだろう。裏切りの構図を。いや、裏切る側ではなく、裏切られる側の孤独を。


理央が小さく呟く。


「変わりましたね。」


「そうだな。」


「良い方向ですか?」


僕は答えなかった。


良いかどうかは問題ではない。必要な方向に進んでいるかどうか、それだけだ。


その夜、真由は珍しく早く帰宅していた。


リビングの明かりは消され、窓際に立って外を見ている。雨は降っていないが、街灯に照らされたアスファルトはまだ湿っている。


「話がある。」


彼女は振り向かずに言った。


「どうした?」


「あなた、本当は何を考えてるの?」


直球だった。


僕はコートを椅子にかけながら答える。


「展示を成功させたいだけだ。」


「それだけ?」


彼女は振り向く。目がまっすぐ僕を捉える。


「テーマ変更も、条件も、全部……偶然じゃないよね?」


沈黙が落ちる。


この瞬間を、僕はずっと待っていたのかもしれない。


だが、全部は明かさない。


「偶然に見えるなら、それでいい。」


彼女の眉がわずかに寄る。


「どういう意味?」


「真由、君は僕をどう思ってる?」


質問で返す。


彼女は一瞬言葉を失う。


「…冷たくなった。」


「いつから?」


その問いに、彼女の呼吸が止まる。


わずかな動揺。


「最近。」


「本当に最近か?」


声は低く、静かだ。


彼女の目が揺れる。


気づき始めている。


僕がどこまで知っているのかを。


「悠人……」


彼女の声が小さくなる。


「あなた、何か知ってる?」


核心だ。


だが、僕は笑わない。怒らない。ただ、視線を逸らさずに言う。


「知らないと思う?」


その瞬間、彼女の顔色が変わった。


完全な恐怖ではない。


だが、安堵でもない。


均衡が崩れ始める。


「もし知ってるなら……どうするつもり?」


その問いに、僕は少しだけ考えるふりをした。


「どうもしない。」


「どうもしないって……」


「感情で動くほど、子供じゃない。」


それは宣言だった。


怒鳴るよりも、ずっと残酷な。


彼女は数歩後ずさる。


「あなた、変わった。」


「変わったのは、状況だ。」


言い終えたとき、部屋の空気は完全に冷え切っていた。


その夜、同じベッドに横になっても、二人の間には明確な距離があった。


真由は眠れないらしく、何度も寝返りを打つ。


僕は目を閉じたまま、彼女の動きを感じていた。


彼女は今、考えている。


どこまで知られているのか。


どこまで隠せるのか。


そして、どこまで逃げられるのか。


だが彼女はまだ理解していない。


逃げ道は、もう用意されていない。


翌朝、スマートフォンにメッセージが届いた。


涼太からだ。


「真由さん、最近少し様子が変です。何かありましたか?」


僕は画面を見つめる。


彼はまだ気づいていない。


彼女が揺れているのは、僕のせいだと。


僕は返信しない。


代わりに、展示のプレオープン日程を前倒しにする指示を出す。


時間を縮める。


余裕を奪う。


追い込まれた人間ほど、本音が出る。


窓の外を見る。


雲が低く垂れ込めている。


雨はまだ降っていない。


だが、確実に近づいている。


真由は疑い始めた。


涼太は揺らぎ始めた。


そして僕は、ようやく実感していた。


これは復讐ではない。


これは選別だ。


最後まで立っていられるのは、誰か。

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