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転生大賢者の現代生活  作者: サクラ近衛将監
第一章 大賢者の学校生活

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12/14

1―12 大賢者の考察

 儂の前世は、唯一神を信仰している世界ではあったが、儂自身はと言えば、ある意味で敬虔(けいけん)な信者ではなかったと思うのじゃ。

 魔導師としての経験則から言うと、我が目で見るか、あるいは、我が身で体験せねば何事も信じられなかった故に、教会で教える神の御業なるものを一度も目にすることがなかった儂としては、神の存在というものを信じ切れなかったというのが本音なのじゃ。


 罪なき者が死するたびに、神が居るのならば何故に見過ごすのかと疑いたくもなろう。

 罪を犯す者が出現しても神はその罪を防ぐことなく、人の手によりその措置を任せているし、その罪を裁くにしても神自ら裁くのではなく、人が裁いているのが現実なのじゃ。


 その者が死して後に神の裁きに会い、良き者は天国へ、悪きものは地獄へと行くことになろうと教会の僧侶どもは説くが、その天国なり地獄なりを見たものは居ないのじゃ。

 むしろ、生きている世の中にこそ地獄があったとさえ言える。


 今もって儂は神の存在を大いに疑っておるが、一方で儂が大往生の末にこの新たな世界に存在する幸次郎として蘇ったのであれば、あるいはその橋渡しをした神にも似た存在が居たのかも知れぬとは思うておる。

 然しながら、ここは天国でも地獄でも無いのじゃから、教会の僧侶どもが大口で説法した話は虚構に過ぎぬと思っているのじゃ。


 一方で幸次郎の住むこの世界にも宗教があり、前世と同じような一神教もあれば、多神教の宗教もあるようじゃ。

 幸次郎の住むこの国は、神道、仏教、キリスト教の三つがどうもメインのようじゃな。


 他に回教寺院もあれば、非主流派の小宗教もある。

 中には犯罪に手を出す宗教もあって、ある意味で混沌を呈しておるな。


 先ほども述べた通り、儂は神や仏などというものの存在は信じてはおらぬが、一方で、人知の及ばぬ超自然的な何らかの存在があるやも知れぬとは思っている。

 但し、神官や坊主それに僧侶どもが勝手に説く様な、人間的な存在は居ないだろうと思っているのじゃ。


 あれは、「神や仏とはこうあれかし」と考えた者の創作物に過ぎない。

 こんなことを公然と言うと、全ての宗教を信ずる者から総スカンを喰らうから敢えて言わんだけのことじゃ。


 なんで、儂がこんな神学論みたいなものを言い始めたのかと言えば、現世ではやや薄いながらも魔素があることが分かっており、儂も魔導師としての魔導の発動ができるんじゃ。

 無論、小さな魔導であれば、人目に付かないところでやればすぐに可能かどうかがわかる。


 然しながら中規模以上の魔導ともなれば、流石に町中では発現できぬし、操作を誤れば人気のない山中でも大惨事を起こしかねないんじゃ。

 じゃから、北マリアナ諸島に属する無人島のファラリヨン・デ・パハロス島を魔法の練習場として選んだわけじゃ。


 この島は中央付近に火口のある山がそびえており。山の高さがおよそ300mを超えている。

 島にはそこそこ植物の繁茂は認められるが、山頂付近は植物も無い荒れ地じゃな。


 この島から最寄りの島じゃと、マウグ島(南南東65キロ)もあるが、ここも無人島じゃ。

 人が住んでいる島と言えば、約600キロ離れたサイパン島まで行かねばならないな。


 まぁ、夏休みに入ってすぐに昼間に行って様子を確認し、上空に雲が広がっている時を狙って中規模の魔導発動を試みた結果、前世と同様に発動したので、おそらくは大規模な魔導も発動できるものと踏んでいる。

 この際に儂が気にしたのは、その後の体内魔力の回復状況じゃった。


 やはり前世と比べると回復時間が長いのぉ。

 中規模の魔導発動で保有している魔力の5%ほどを使用し、その回復に概ね三時間足らずを要することが分かったのじゃ。


 前世では、おそらく3%ほどの魔力が消費され、回復には精々四半時程度であったと覚えておるから、現世では魔力消費が大きい上に、魔力回復に結構な時間を要するということじゃな。

 但し、いずれにせよ中規模程度の魔導が発動できるのじゃから、汀宮(ていみや)洞窟のような呪詛の残滓(ざんし)が見られる場所については、魔素が増えればあるいは呪詛や呪術が発動するのではないかと言うことに気づいたのじゃ。


 汀宮洞窟では、儂がそうした残滓が有るのを確認しているが、HUGO洞窟にも似たような痕跡があると聞いておるからそのうちに確認しに行かねばなるまい。

 問題は、既に遺跡若しくは遺物として認知されている物ならばともかく、人目にさらされていないものが他の場所に残されていた場合、何らかの事情で魔素が増えて、予測できない影響を与えるかもしれぬということじゃ。


 おそらくは魔素の存在を知らぬ現世の人々にとっては、何ら脅威とはなり得ぬものかもしれぬが、現世で認知され若しくはその存在が推測されている魔素に似た因子が、それらに影響を与える危険性にふと気づいたのじゃ。

 飽くまで現状では単なる儂の取り越し苦労かも知れぬが、少なくとも幸次郎の住むこの国では、「龍脈」とか「気功」なる言葉が認知されておる。


 また、飽くまで伝承じみた話ではあるが、古の役行者(えんのぎょうじゃ)なる陰陽師は種々の魔導に近いことを成し遂げたとの話もある。

 大陸由来の逸話にも仙人なる空想の人物が居たり、室町時代には果心居士(かしんこじ)なる妖術師が居たとの記録もあるようじゃ。


 単純に考えて、前世の魔導師に近い能力を持った者が、現世においても存在した可能性があるということじゃ。

 これらの人物が実際に居たとして、彼らは何を拠り所にして陰陽術や妖術を使えたのかと言うことじゃ。


 幻術の類なれば、闇属性の魔導で人を操ることも出来ようが、魔導には魔力が必要であり、その受け皿となる身体は、普通の者には無いと思われるのじゃ。

 少なくとも儂が現世に転生してからと言うもの、出会った人物に魔力を保有している者は見ていないのじゃ。


 儂の場合、身体の内部に魔力溜まりがあり、そこに空気中に存在する魔素を吸収して魔力に変換の上で貯めこんでおるから、必要に応じてそれを使って魔導を発動しているのじゃ。

 伝承や不確実な伝記の場合は、古の人々が当時の常識では計り知れぬ事象に出くわした際に、物事の(ことわり)をよく知らぬままに畏怖(いふ)の感情を持ったことが、神若しくはそれに準じる存在への畏怖につながった可能性が大であると思うのじゃ。


 闇夜に出遭ったものが何であれ、化け物に見えた可能性も否定はできぬがな。

 それでも汀宮洞窟の遺物は、過去において魔導に似た現象を発動できる存在があったことを示しておる。


 その場合、儂の魔導発現に魔素が必要なごとく、陰陽術なり、幻術なりを発動できる何かがあったものと考えねばなるまい。

 古には存在し、現在は失われていて存在しないものなら心配は無い。


 じゃが、現在にもその何かが存在し、顕現(けんげん)する可能性があるならば、知っておく必要はあろうな。

 少なくとも、現世で安寧(あんねい)な生活を送るためには危険因子を確認し、可能であれば排除しておかねばなるまいて。


 小悪人ならば何とでもできる。

 巨悪も場合により対処はできるじゃろうが、儂若しくは儂に関わりのある範囲で害を及ぼさぬならば、敢えて手を出さずにおくつもりじゃ。


 例えば戦争等の国レベルの(いさか)いの問題であれば、幸次郎の住む日本を攻撃する勢力があるのならば、儂が何らかの形で対応することになろうな。

 他所(よそ)の国については、余程の問題にならぬ限りは儂が積極的に動くことは無いじゃろうと思うが、その時にならねば分かるまいて。


 話が少し別な論点に()れてしまったが、古の人々がとある稀な事象に対して、何らかの畏敬や畏怖の念を持ったことは、容易に(うかが)い知れる。

 伝承として残る(あやかし)や鬼、それに神にも似た人ではない何かの存在を、『神』としてとらえた可能性が大いにあると思うのじゃ。


 これに関連して、色々と(ちまた)に溢れている怪しげな逸話や関連する屁理屈までをも含めて色々と手探りで調べてみたわい。

 魔素に代わり得るものとしては、公認されてはおらぬが、オーラ、仙気、あるいは霊気なるものがあるらしい。


 ただし今のところ儂の魔導ではその存在を感知できぬし、魔素と区別も出来ぬな。

 念のため、心霊スポットとやらにも何か所か(おもむ)いてみたが、特段、儂が異様に感じたものは無かったな。


 たが幸次郎の住むこの国では、古くから神に宿る神力や、あるいは実際に存在したかもしれぬ超能力者の力を霊力の存在そして、神とは別に信じているようなのじゃ。

 一応、九幌市内にある神宮と、噂になっている妙な名の滝にも訪れてみたが、特段の霊力のようなものは感じなかったのぉ。


 また、帆樽(ほたる)の汀宮洞窟の一件で気になったから、庸市(よういち)のHUGO洞窟も確認に行き、線刻壁画を確認したのじゃが、汀宮洞窟ほどの呪術の残滓は感じえなかった。

 むしろ、その帰り道に帆樽駅の南西約3.5キロほどにある天狗山展望台の上空に立ち寄った際に、展望台よりも南西方向にある天狗山山頂付近に妙な気配を感じたのぉ。


 地下深くを流れる流体のようなものをその南側斜面で感じ取ったのじゃ。

 これは前世で長い年月を経験した儂でも初めての経験じゃった。


 察するところ、明らかに魔素ではない。

 じゃが、その性質が魔素に何とのぉ似たものが、地中を流れているようなのじゃ。


 そうしてその流路の一部が斜面近くで地表に隆起しているために儂にも感じ取られるのであり、その流れは略南から来て、北東方向に向かっているようじゃが、いずれの方向もその先は(おぼろ)にしかわからなかった。

 あるいは、これが現世で言うところの『龍脈』と言うものなのかもしれぬ。


 で、その最も地表に近い斜面に降り立ってみたのじゃが、生憎と魔素とは違って儂が体内に取り込める力ではなさそうだということが分かった。

 但し、その流量は中々に膨大なものと感じられるので、これを利用できたなら、魔力不足は心配ないのじゃがな。


 まぁ、そちらの方は踏ん切りをつけて一旦は離れておる。

 今、我が家では、大陸から伝わったとされる曖昧な手法などを含めて色々と試しておる。


 体内に巡る気を感じ取り、それを循環させる方法であったり、大気中から仙気若しくは霊気又は神気なるものを体内に取り込む方法なんぞじゃ。

 但し、儂の魔導の知識と経験が、その試しに際してどうも障害となるようなのじゃ。


 魔導においても魔力を体内で循環させ、あるいは自分の身体から外に取り出して魔導として発現させるのじゃが、所謂(いわゆる)関連書物の中に書かれていることが、その魔導の発現と同じであるだけにとてもやりにくいのじゃ。

 魔力ならばすぐにもわかるが、それ以外のものであるならば、その存在を感知するのも難しいということじゃ。


 別段、急ぐことでもないからのんびりと試しておるが、進展ははかばかしくはないのぉ。



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