本音と本性
エリナの宣言と共に会議は終わったが、自由になれたのはそこから一時間も後のことだった。あの後すぐに場を去ろうとしたが、考え直してくれだの他国への言い訳が立たぬ等という文句を黙らせていたらこの時間になってしまったのだ。
「全くもって不愉快です。あの者達は自分でも考えつく程度の問題を私が考慮していないと、本気で思ってるのでしょうか」
長い睫毛を不満げに歪め、護衛のアルフリードに愚痴を漏らしながら中庭横の回廊を進んで行く。すれ違う者は皆いつもとは違うエリナの様子に見惚れるか緊張を走らせるかしたが、すぐに正気に戻って頭を下げた。
陽はもう間もなく紅く染まり、エリナとアルフリードの影をより一層濃くしようとしていた。
「……ありがとうございますエリナ様」
「どうしましたか急に。感謝されるような事をした覚えはありませんが」
珍しく彼の方から声を発し、しかも唐突に謝恩の言葉を投げられた。
「妹の事です。あれだけの失態を犯しながら見限らずにいて下さり、更には温情までかけて頂いたこと。心より感謝申し上げます」
「その事でしたら礼は不要と言いました。彼女にはまだ使い道がある、だから残したそれだけです」
盗賊に捕まったんだとしたらアルシェの心はもう既に壊れているかもしれない。しかし彼女には聖女として成すべきことがある。今後も表舞台へ立ってもらうべく先ずは荒んだ心を癒し、その為には城へ連れ帰った時にサーナが居ないのでは話にならない。
「貴方の妹はあの子のお気に入りでしたからね。」
「エリナ様…」
やはり淡々と……他人にも実の妹に対しても何処か事務的な扱いが見てとれる。“国のためなら何であろうとも利用する”と彼女は言った。その言葉に偽りの文字はなく、実際に今その通りの対応をして見せている。
しかし彼は知っている。そんな非情にも見えるエリナという人間も、実は聖女に負けないくらい慈しみの心を宿していることを。妹とは方向性が違うだけだ。
彼女が愛するのはこのフィリアムという国の全て。
土地も、人も、平和だってその対象だ。だから守ろうとする。だから自分の感情を押し殺さんとしている。そうでなければアルシェがあんなにも慕っている理由がない。
彼女は知っているのだ。エリナが見せる冷たさの中にも誰かを思いやる気持ちがあるのを。それを知りながらも、そう振る舞うことしか出来ないエリナの境遇にアルフリードは心を痛めた。
「ですがそれはアルシェ様が存命と信じ、妹が助けになると思ったからこその――」
「アルフリード。黙りなさい」
何とか言葉に纏めようとして、しかし横目で釘を刺される。
「…はっ。失礼致しました、出過ぎた真似を」
「…」
己の失敗を心の中で悔やんだ。エリナはその秘めたる思いが暴かれるを嫌う。それは彼女にとっての理想の王女像が今の姿だからだ。優しさなどいらない。国を想う心こそ彼女の求める全て。それを壊すような存在をエリナは嫌う。
――ぁ
「……?」
「姉さまぁー!」
ふと西日を背負う二人の耳に聞き慣れた声が入ってきて、エリナの肩が僅かに揺れる。右を向いたアルフリードの視線からは、一人の少年が走ってくるのが見えた。
「今の声は…」
「ベリト様です。彼方からおいでになられてますね」
「あの子ったら…また剣の稽古を放り出してきたのかしら」
「恐らくは」
二人に迫るその少年は、まだそれほどの年を重ねていないというのに中庭を彩るどんな芸術にも勝っていた。
目を引くのは可愛らしさに比重を置いた男の子の顔。そして混じり気のない滑らかな素肌に、子供特有のパッチリと開かれた双眸。その瞳からは浅緑色の光が輝きを放たれ、濃淡の差でアルシェの深い緑よりも透き通って見える。
――ベリト様! ベリト様はどこに!
「確定です。抜け出してきましたね」
「そのよう…ですね」
後ろでお付きの者の叫び声が聞こえた事により少年の説教がエリナの中で決定付けられる。そんな未来など露知らず、目の前に迫ってきた彼はエリナに飛び込むようにして抱きついた。
常であればエリナに近付いた時点でアルフリードの手により八つ裂きにされるが、今回ばかりはそうならなかった。何故ならその者は王女たるエリナと対等であり、国にとってもかけがえない存在なのだから。
「ベリト。貴方のその行動が皆の迷惑になると何度も――」
「姉さまっ、姉さま…!」
「…はぁ、甘やかし過ぎたでしょうか」
そう。エリナを姉と呼び、今まさにお腹に顔を埋めているこの少年こそエリナとアルシェの弟――つまりはフィリアムの第一王子だ。齢9つにして既に特殊保持者の称号を得、エリナでさえも舌を巻くほどのフィリアムきっての天才児である。
少年の名はベリト=フィリアム。
その幼さから他国にはまだあまり知られていないが、大きく成長すれば大陸一の容姿を誇る姉達と並んでも遜色なく映るだろう。お世辞抜きで湊にも引けを取らない素材の良さをしている。
そのある意味で常識外れな姉弟の末っ子として生まれたベリトは今、エリナに抱きついたままの姿勢で止まっている。
「まったく何時までくっついてるつもりですか。ほら貴方のせいで着物が崩れて…」
「だって…姉さま……」
「っ!」
何とかして顔を上げると、愛らしい顔をクシャクシャにし、宝石のような瞳から涙を溢していた。それで彼が何を想い泣いてるのかを瞬時に浮かび当てると、後ろに控えるアルフリードに指示を与える。
「…アルフリード」
「はい」
「此方はもう大丈夫です。戻って陛下に報告を」
「畏まりました」
アルフリードはその命令に従い来た道を引き返す。本当なら城内といえど襲撃の後で警備を怠る訳にはいかないのだが、そこは無粋と考え一切の間も置かなかった。それに…エリナのことを想うならここは退くべきだと良心が訴えていた。
「それと、アレの処理は任せましたよ」
「承知致しました」
最後に指示を一つ付け足し、その場を去った。そして周りに誰もいないことを確認すると、しゃがみ込んでベリトの目線まで顔を低くした。
「どうしたのベリト。泣くのは卒業したんでしょう? 貴方は笑っている方が素敵ですよ」
途端に柔らかい笑みを弟に向け、栗毛と金糸を混ぜたような髪を優しく撫でた。それで幾分か落ち着いたのか、漸く泣くのを止めてエリナから距離をとる。
「エリナ姉さま。アルシェ姉さまはまだ帰られないのですか?」
「…」
閉口し、何と答えればよいか返答に詰まる。
「アルシェ姉さまが居なくなられてから既に二週間。もしかしたら今も危険な状況が続いて…」
「そんな事はありません。あの子ならきっと大丈夫だから。姉さんも一緒になって捜してるのは知っていますよね。ベリトは私のことが信じられない?」
「そんな事ありません! エリナ姉さまは世界一の王女ですから!」
その言葉に食って掛かると、エリナも誇らしげに微笑んだ。しかし尚もベリトは暗い顔のまま。
「でもっ! アルシェ姉さまは拐われて酷い扱いを受けているって、城の者が話しているのを聞きました」
「ベリト…」
「アルシェ姉さまが嫌な思いをするのはボクも嫌です! だからエリナ姉さま、ボクをっ!?」
最後の言葉を言い終える前に今度はエリナから抱きついてきた。まるで溜め込んだモノが溢れたように。
アルシェ以上に起伏に富んだ胸がひしゃげてベリトを包むが、彼はその温もりさえ悲しく感じてまたすすり泣いた。そんな弟の心配が、顔が見えずとも身体を通して伝わってくるみたいだ。
それは弟を心配する姉のせめてもの思いやりで、普段は人に見せられないからと精一杯自分の〝愛情〟を注ぎ込む母のようでもあった。
「あの子なら無事にやっています。だってこの世界で唯一女神様の加護を受けているんですもの。こんなところで負ける筈ないわ」
「うっ…ふぇ…ぐすん」
それは弟に向けて語りかけるようで、その実自分にも言い聞かせるような言葉だった。直に肌で感じているからかベリトもそんな姉の様子に気付き、段々と嗚咽も静かになっていった。
「ベリト。今日の訓練はもう良いから姉さんの部屋まで行きましょうか。ここは人も沢山通りますし」
「ぐすっ、……うん」
「貴方の好きなハザーリッツも用意しますよ」
「! 本当に!?」
「えぇ。本当に」
一瞬気持ちが浮き上がるが、すぐに声を潜めて今度は緊張した面持ちでエリナを見始めた。
「どうしたの?」
「あのね姉さま…」
「何かしら」
「今日だけ、一緒に寝ても良い?」
幼い頃はたくさん甘えれた。でも今はそんな事できない。ダメ元で聞いてみたが姉は意外にも柔らかな笑みを向けてくれた。
「仕方ありませんね。今日だけですよ」
「本当に!?」
「ふふ。さっきと同じ流れですね。えぇ本当です」
「ありがとうエリナ姉さま!」
夜の準備に忙しいこの時間。偶然にも通りかかる人はおらず、二人だけの時間を歩んだ。懐かしさに心踊らせ手と手を繋ぎ、仲良く談笑に浸る。そこに第一王女としての顔はなく、エリナという一人の女性本来の姿があった。
もう一度言うが、エリナはその内に秘めた思いが暴かれることを嫌う。優しさなどいらない。国を想う心こそ彼女の求める全て。それを壊すような存在をエリナは許さない。
だが時として、例えば家族のような大切な人達が傷付くのを見て哀しく耐えられなかったら、一瞬でもその矜持から眼を瞑るのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一方その頃。王都にある大きな屋敷の中では、髭を生やした男は盛大に愚痴を吐きながら殴るような字で手紙を書き綴っていた。
「クソッ、クソ! 聖龍が動くだと? そんなの予定に入れてたまるか!」
男は会議に参加していた十傑の一人だった。そして彼こそがフィリアムの裏切り者。他に露見すれば困る案件などを処理する部屋は、現在薄暗くガリガリ削るような音と罵声だけが室内に響き、お付きの者はその様子を恐々と見つめていた。
「おい何を見ている。愚民は私に脅えてれば良いのだ。私は未来の国王であるぞ!」
最早八つ当たりに近いソレで鬱憤を晴らそうとし、それでも収まらない怒りはありもしない妄想の世界へと誘い込んだ。
「ひひっ。小娘め、でかい面をしてられるのも今の内だ。将来は妹共々こき使ってやろう。お前は儂のモノだ」
男はエリナに並々ならぬ劣情を抱いていた。自分を見下ろす顔が屈辱に歪むのを想像し、下品な笑い声を漏らす。
顔、スタイル、そして品格と合わせてどれも文句の付け所がない。あれを自分のモノに出来たらと考えるだけで昇天しそうだ。
(まったく。あの小娘がこんな危険な手段に出るとは。しかし裏を返せばそれだけ追い詰められているということ。気は乗らんがあの狸の言う通りにして正解だったわけだ)
元を辿ればその後ろにいるあの御方なる人のお陰であるのは重々承知している。ただ、それが誰なのかまでは男も分からない。
自分と奴はこうして手紙で連絡しあうだけの共犯者であるが、同時に己の野望を叶えるための利用手段でしかない。
(ただこのやり取りももう少し控えた方が良いな。小娘ならば既に網を設けているやもしれん)
そうやって自分を追い込むと次第に愚痴も減り、数分後には最後の一字を書き終えた。
「よし。予定よりも早く仕上がった。これならあの女を出し抜き事も済むだろう」
「何が仕上がったって?」
「ふっ、それは勿論―――はぁっ!!?」
突然室内から聞こえる筈のない声が聞こえ、驚いて扉の方を見れば音を立て赤毛の男が入ってきた。
「おっ、お前はアルフリード! どうしてここに!」
「エリナ様からの指示だ。貴様を見張れとな。あの御方は何もかも見透かしておられる。お前は初めから踊らされていたに過ぎない。観念しろ」
「くっ、一兵如きがこの私に対して何たる物言いだ! 見張りはどうした!? 速く誰か来い!」
シーン……
「どうした、なぜ誰も来ない!?」
「それなら全員倒した」
「はっ…?」
「入ろうとしたら止められたのでな。力ずくで通してもらった」
思わず間抜け面を晒してしまうがそれも仕方ないだろう。何せ彼の護衛に付けていたのはどれも名の知れた冒険者かそれに準ずる者達だったのだ。
「馬鹿なッ、あの数を一人でだと! 海棲種をも倒した戦力だぞ!?」
「海棲種だと? 浅層にいる魔獣種と間違えたんだろう。それが本当ならもっと苦戦していただろうな」
「そ、そんな…」
男の言葉に憤然とした調子で答え、その場にいた付き人も合わせて唖然としている。
「もう良いだろう、いい加減俺も頭に来てるんだ。少しくらいの乱暴は許せよ」
アルフリードが一歩を踏み出すと、男は慌てて残った最後の一人に捨て身の指示を出す。
「や、やれ! 何としてでも隙を作るのだっ!」
「わっ、私がですか!?」
「さっさとしろ愚図め! 余りある大恩を忘れたか!」
最早完全に捨て駒扱いだ。その間に自分は裏から逃げようと背を向けて走り出した。
「そういう貴様は屑だな。今すぐその腐った態度を後悔させてやる」
「う…うぅ…」
指示通りに向かってきたお付きを峰打ちで静め、そのまま剣を高く上げると――
「ふんっ!」
ドンッ、ガラガラアァーーシャンッ!
「ひっ、ひいぃ~!」
思い切り振りかぶって男の目の前に投擲した。特殊覚醒者の全力投球は音速にすら迫るものがある。放たれた凶器は壁を突き破り外の庭園を破壊し、そして最後は入り口の塀にぶつかって刺し止まった。
「っとスマンな。手元が狂わなくて良かった。しかし貴様の姿が消えるような事があれば今度こそ手元が狂うかもしれない」
「あ、あぁ……」
男はだらしなく失禁し、手に持っていたキューブ状の物体を床に落とした。
「やはり古代級魔道具を隠し持っていたか。流石はエリナ様、ここまで見抜いていたとは」
油断なく男に近付きそれを拾い上げたところで壊した入り口の方から王国兵が続々と入ってきた。しかし瓦礫などが散らばって進むのに難航していた。
「少しやり過ぎたか。頭に血が上っていたとはいえ俺も未熟だな」
「ぐぇっ!」
抵抗されるのも面倒なので通常よりも若干強めの手刀を当てると男は蛙が潰れたような声を出して気絶した。そして最後に証拠品となる手紙を手に取る。
「宛先は無し。独自のルートで渡そうという事か」
それも懐に忍ばせると、兵士が来るまでの少しの間だけ崩れた男の頭を足で小突いた。
「貴様も間が悪い。御二人の時間に水を差すわけにはいかぬし…報告は明日にしておこう」
間もなくして兵の波が流れ込むと、それと入れ替わるようにして部屋を後にした。その足取りは悠然としており、裏切り者の首根っこを引き摺りながら帰城するのだった。
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