第九話その4
「おー、良くなったのか?」食堂に降りる最中にスラッシュに声をかけられた「聞いたぜ?転送酔いだってな…いやぁ懐かしいなぁ。そんな単語を聞くのは…」
「まぁ、ラミエやラフィーリア、ノルイが入隊したとき以来じゃないか?」隣にいたランサーが頷く「明日の温泉巡りには行けそうなのかい?あんまり無理はしない方が良いと思うが」
「大丈夫だと思います」ハリスは頷いた「もし行く先にゲートなんて有ったら楽しめないでしょうしね」
「…やっぱりゲートって出てくんのかな。…おいランサー、もし女の子の入浴中のど真ん中にゲートが沸いたら…」
下品な笑みを浮かべてスラッシュはランサーに耳打ちした。
「おお、マジでか」ランサーもノリノリで言う「まずいな〜、ゲートが出ちゃったなら仕方ないよな〜?」
「またアーチャーねぇちゃんを泣かせる気なんだ…へぇぇ?」ここで階段を上がってくるカリースが怪訝な顔で二人を見つめた「ハリス兄ちゃん、もういいのかい?…ごめんなさい、つらかったよね…?」
「いいや、貴重な経験をさせてもらったよ」ハリスは笑った「転送魔法にも慣れておかないとね。気分はもういいから、今から食堂に向かうね」
「うんっ!」カリースは嬉しそうに頷く「…で、スラッシュとランサー兄ちゃんが変な事を企んでるってブレードさんに言っておけばバッチリなんだよね?」
「うぉあ!?」スラッシュが慌てる「ま…まだ何も企んでねぇから!」
「そうだぞカリース、いくら去年のアレが俺達の責任だったとしても、今回は聞けば男女分かれているんだろう?事故が起こりうる筈がないんだ…だからこそ、せめて妄想だけで楽しもうとだな…!」
「…」カリースは可愛そうな物を見る目で二人を交互に見つめた「ハリス兄ちゃん…行こうか」
「え?あぁ、うん…」
背後から文句が一言二言飛んできていたが、カリースは欠伸をして気にせず食堂へ階段を下っていった。
★
「…さて」食堂に人が集まったのを確認すると、ブレードは全員を見渡した「改めて、明日の動きについて伝達する。…場所はイフリートの魔釜の南東…アルディシージ火山湖の安全地域。去年と同じだな…現地までドラゴン便で移動、そのあとは歩きで温泉まで向かう。さて…総員、ここまでで何か質問は?」
「は…はい」ラミエが手を上げた「その…お風呂って同じ時間…じゃないですよね。去年みたいに別々の時間でやるとけしからん方々が覗きをするかもしれないので」
「…すまんが、入る場所は違えど、安全面から多少時間はずらしてる」ブレードは頭を下げた「見張りの人員は俺が責任を持って選出しよう…スラッシュとランサーは絶対に選ばないから安心してくれ」
「ひでぇ」「マジでか…」
「…なら良かったわ」ラミエは両手を合わせた「まぁ嫌な予感がするのはいつもの事だけどね…ふふ」
【怖いこと言わないでくださいよぅ】
ノルイがボードをラミエに掲げる。
「…よし。集合は朝の7時半。ドラゴン便外口東乗り場に来てくれ。…早起きが苦手な連中は事前に打ち合わせておくこと。さて…質問がなければ俺からは以上だ」
「あぁ、ハリス君」料理を取り分けていると、シオンに声をかけられた「アニちゃんの様子、知りたいかな?」
「あ…すみません、貴重な時間を割いていただいて…」
「いいのいいの。僕も誰かを尾行するのって大好きでね…ただ仕事じゃなきゃやらないんだけどさ。明日の温泉が終わったら、リウォウドでのパフェ、期待してるからね?…それで、内容は君の部屋で話そうか?それともここで話そうか?」
「ここでも大丈夫ですよ。隠すような内容でもないので」
「分かったよ」シオンは話始めた「まず、彼らは珍都バブッキンガム…遠いんだけどここから北東の方向にある都だよ。そこの廃棄区画でレベリングしてるみたいだったね。シェイダーの旦那、野郎には厳しいんだけど女性には優しいからなぁ…色々と話をしてる旦那なんてなかなか見られないから、面白かったよ」
…どうやら上手くやってるみたいだな。
「ありがとう、シオンさん」
「うん。ただ、暗殺者のエリートを雇った以上、寝首をかかれたくなかったら、報酬を忘れちゃダメだからね♪」
「は…はい…」
…こ、怖い!!!
「お話は以上。明日は遠出だから、しっかり食べておくんだよ」
「うぉあ!!?」近くを歩いていたスラッシュが驚いた「シオン、いきなり目の前に出てくんなよ…死ぬほど驚いたぜ?」
「あぁ、ちょっと考え事してたよ〜」
そういえば。
シオンと会話をしていたとき、周りの音が急に聞こえなくなったけど…自分ごと他人の気配を消していたのか…?
他人の気配を魔法無しに消すという芸当は、生半可な者が出来る事ではない。
改めて、シオンはとても優れた暗殺者なのだなと実感した。
★
「…ふぅ」
豪華な食事を取り終わり、部屋に戻る。
一人だけのベッドは妙に広かった。
思えばこの世界にやって来て随分経ったものだと思う。
全員が全員自分の意思を持っていて、日々を生きている。毎日皆の服装が同じだったり、メニューやHPが見える状態になっているのがやはりゲームなのだなと思うが…それを除けばここはもう現実なのだ。
ここで生活することに慣れてしまっている自分がいる。
「…僕は、本当に帰りたいのか…?」
そっとハリスは呟いた。
親衛隊の人達やブレードさん、その他にも沢山の人々が関わり、共に過ごす日々はとても楽しくて…
【現実】という場所はここよりも楽しい事があるのだろうか…?
とんとん。ハリスは小さく響いたノックの音に気づいた。真っ暗になった部屋の外を少し見て、持ち運びの出来るランタンを持ち上げる。
「はい、どなたでしょ…」
「…シーッ!」
唇に指を当てられ、ハリスは黙る。
扉の外にいたのはアーチャーだった。
あ…そう言えば枕が云々とか謎な事を言っていたような気がしたが…
「…あの、どうして…」
「早く中に入れて下さい」有無を言わさぬ表情でアーチャーは小さく言った。
「はい…」
「うぅっ…んっ…」
アーチャーの様子がおかしい。目には涙を浮かべ、顔を紅潮させながら手に持った胸当てをギュッと抱きしめている。
「アーチャー、具合が悪いの?」ハリスは心配になって声をかけた「時間が時間だけど、もし酷いようならメースさんに言って何とかしてもらえないか…」
「ハリスさん…」アーチャーは涙ぐんだ顔をこちらに向ける「こうなったのはあの馬鹿赤ローブのせいなんですがッ…?」
「馬鹿赤ローブって…メースさんが?」
「んっ…そう…ですよっ」アーチャーは身を軽くよじらせながら言う「あの人最近私が元気無いからって今日午前中に【ラブリーオイル】を盛ったらしくて…」
「…えぇ!?」
ラブリーオイルは特定の妖精の力が宿った特殊な薬草を煮詰めて出来る油で、一般的には真実薬の材料になる。
…原液を直接飲むと、感情が無くなり、理性のまま動いてしまうという劇物なのだが…彼女は一体何をしてるんだ!?
「あの馬鹿ローブ…【闇の一族】がラブリーオイルを飲むと稀に媚薬みたいな効果が発現する習性を利用して変な薬を作ったらしくて…あああ…うううっ…」
「…それ、失敗したら感情が無くなってマズイ事になるやつじゃ…」
「私にはどうも【適性】があるらしくて、似たような事を何度もあの馬鹿からやられた記憶があったのですが…。あぁ、あいつが作ったパスタの試食を頼みたいとか言った時に気づいていれば…ッ!」
「アーチャー…メースさんの所には僕も一緒に行くから、ちゃんと言った方がいいんじゃないかな…?」
ハリスはだんだん慌ててきた。
身をよじって媚薬の効果に耐えているアーチャーにだんだんドキドキしてしまっている自分がいる…。
このまま部屋に居られたら…何か間違いが起きてしまうかもしれない…!
事態はかなりマズイ…!
「ダメ…こんな状態になってるなんて知ったらまたアイツ私を騙すに決まってます…明日の朝まで耐えて、澄ました顔で『何事も無かったので、もう二度としないで下さいね』って言ってやらないとッ…」
「そう…なんだ」だんだん目を逸らしながらハリスは言った「でもここに来たって、まだ僕毒物を中和できる魔法なんて持ってないし、それこそバイタルリンクなんてやったら僕も平静を保っていられるかどうかわからな」
ハリスの腕にアーチャーが絡み付く。
「あなたと…リンクしたいの…」
うっとりとした目で上目遣いにこちらを覗き込む赤い瞳。ブレードの胸当ては既に地面を転がっていた。
「!!?」
…まずい、これは色々とマズイって!?
「…うぅ、ゲホゲホッ!」アーチャーは咳き込んだ「駄目…だんだん症状が酷くなってくる…。ねぇハリスお願い、【私に何があっても、何もしない】で…!」
「…いや、それはいくらなんでも…」
なんとかしてアーチャーから体を離す。
「だって体が熱くて…他の男性陣の部屋になんか行ったら、私もう二度と皆に顔向け出来なくなっちゃうじゃないですか…」
「じゃあ女の子の部屋は!?」
…とにかく一刻も早くアーチャーを追い出さないと…!
「無理ですね…」アーチャーは両腕で体を抱えた「私の体が向きません。部屋に入れないんです…ねぇハリスさん。ハリスさんは結婚してますよね?私に何もしないって約束守ってくれますよね…?」
「いや…それは難しいよ…」ハリスはアーチャーに言う「何か方法はないの?」
「…そうだ、眠ってしまえば…」アーチャーはハリスのベッドに勝手に潜り込む「あ…も、もう限界ですッ…!」
…
静かになった。そして、メニューやHPバーの表示がいきなり消えた。
「…」
ハリスは初めて起きた状況に慌てず、事態を冷静に察し…部屋を後にした。
★
「…ハリス?どうした、眠れないのか」
親衛隊の事は、親衛隊の責任者に!
…要は丸投げである。
ハリスは事情を話した。
「…という訳なんです」
「…」ブレードは頭を抱えた「おいおい…はぁ。あいつも色々とストレス溜まってるのかな…」
「メースさんには内密にしてほしいと頼まれているんですが…」
「…分かった。そこのハンモックを使って休んでいいぞ。俺はアーチャーをなんとかしてくる…」
ブレードは机から立ち上がると、部屋を出て階段を静かに上がっていく。
「あ、僕も行きます…何か手伝える事があれば言って下さい」
部屋に入ると、布団を蹴飛ばしてあられもない姿になってベッドに横たわるアーチャーがいた。
「あぁ…ブレードさんっ…私…鎧も好きですけど今は貴方が欲しいっ…」
「…」ブレードは異臭のする生ゴミを見るような目をした「これはまた…いつにも増して酷い状況だな…。ミルクの奴がマタタビを嗅いだときより酷い…」
「愛してる…隣に来てぇ…」
うわぁ。
普段冷静なアーチャーがこんな事になってしまっている。ドキドキはすれど、少し引いてしまう物もあった。
「全く…」
ブレードは小さなポケット救急箱をいつの間にか取りだし、中から小さな小瓶を取りだし、ガーゼに液体を含ませた。
素早くそれをアーチャーの顔に当てる。
「んんっ…?…きゅー」
「…本来救急用麻酔はこういう使い方をしないんだがなぁ」ブレードはため息をつくと、片手でアーチャーの体を持ち上げた「…よし、ハリスは早めに寝ておけ。伝えてくれて感謝する」
そうしてブレードは部屋を後にした。
「…」
ベッドに潜り込んだものの、なんだか甘い香りがして落ち着かなくて、とてもじゃないが睡眠を取れる状態じゃなかった。
【続く】




