第五話その3
「ぐっ…」ハリスは全身の痛みに顔をしかめながら起き上がった。
痛みに耐えられず、鞄からポーションを取り出して一気に飲み干す。
少しして痛みが消えると、ハリスはふらふらと立ち上がった。
そこは…岩がゴロゴロと転がる、植物が生えていない峡谷だった。
あちこちのひび割れや谷は遥か底に続いていて、うっかり足を滑らせたなら命はないということを認識させられる。
「アーチャーは…?」
メニューを表示し、アーチャーのデータをフレンドリストで確認する。
試しに魔法メールを送るが、全く返事がなかった。アーチャーとは当然ながら結婚していないので、現在位置を知ることも当然出来なかった。
「あぁ、くそ!どうすればいい!?」
奇跡的にハリスは人一人歩けるスペースに倒れていた訳だが、下手に動けば下に落ちてしまう危険もある。
空中は静かだ。一体何時間気絶していたのだろうか…。
「…そうだ、今頃アニが心配してるな。メールを送ろう…」
時刻は午後6時。彼女に黙って1日戻っていないわけだ。
相当怒っていることだろうな…。
とりあえず今までのいきさつを簡潔にまとめ、アニに送ることにする。
一分もしないうちに返事が来た。
【言いたいことは山ほどあるけど、まずは無事で良かった…。アーチャーさんとは一緒なのかしら?】
【いいや、空中で襲われた時に離ればなれになってしまったんだ。…無事でいてくれれば良いんだけどね】
【状況は分かったわ。これから私達もそっちに向かうけど、こっちはあなたの現在地が分かるから、まずは安全な所まで移動すること、出来る?】
【やってみるよ】
ハリスは辺りを見渡し、峡谷を下る道を見つけた。すぐに崩れそうだが…。
【そこから下っていくの。最深部は魔法メール不可地域だけど…まぁ、貴方なら大丈夫よね】アニがそう言うのはとても意外だった。
【てっきり最深部手前で待ってて、とか言うのかと思ったけど?】
【…なんかね、そう言ったらもっと危険なことするような気がして…。事実、貴方は何度も死から逃げてきた。きっとこれからも大丈夫よ】
【分かった。この丘を降りて…】
【そう。最深部はリザードマン達の集落になっているわ。でもそこを通らないと峡谷は抜けられないし、そこで黙っていてもワイバーンに見つかると思う。戦闘は出来るだけ避けて、安全にね。じゃあ】
【了解、気を付けていくよ。】
《ドラグーン=フォール》〜シュワダナディニーダ集落〜
推奨戦闘値3000〜
ハリスの今の戦闘値 1781
…確かに。戦闘は出来るだけ避けて…それ以前の問題でこのレベルなら戦闘にすらならないのでは…?
ともかく周りに注意しよう…。
【[ブレイドバースト・シャドウ]!…[クローキング・マスター]!】
最近覚えた技だ。
闇のオーラを利用し、暗闇に溶け込む。
使用中は少しずつ魔力を消費するのだが、音や視覚による接敵を免れることができるかなり素晴らしいスキルだ。
「あー、やっぱりなぁ…」リザードマンは降りる途中も、やはりあちこちにいた。
戦闘値を注意深く観察する。
2881、2963…勝負にならない…。
「…装備は錆びた剣と防具に見えるんだけどなぁ…」ハリスはため息をついた。
こんな高レベルだと逆に、不思議とだんだん彼らの武装は死線を潜り抜けた年季の入った物に見えてくる。
「…先を急ごうかな」
★
降りるところまで降りると、すっかり日の光が入らない暗闇だった。オイルランプを鞄から出すが、少し歩いた所に松明の明かりがあるのが見える。
近づくと、一本の道を照らすように松明が置かれているようだった。
道の端でMPをポーションで回復させると、ハリスは道なりに進む。
アニの言う通り、この先がリザードマンの集落なのだろう。
ちらちらと見えるリザードマンの中には、エプロンっぽい服を着た戦闘値900ほどのリザードマンも歩いていた。
「やっぱり…魔法メール不可地域だな」
歩きながらハリスは確認する。
しばらく歩くと、リザードマンの数もかなりの物になってきた。木製のアーチをくぐり、集落のような場所に入る。
そこは峡谷の壁に穴をあけて作った洞穴のような住宅が並ぶ、リザードマンの村。
「シュラルララ、ラーゲルパフ」
「フォセシ、シュララレ」
「ラリーコ、シラバサダーシェ」
言っていることは分からないが、ハリスが人にぶつからないように歩いているこの場所は、メルハで言うところの噴水広場に近い場所だ。
土で作られた像の周りに沢山のリザードマンがあちこちで談笑している。
彼らにも家庭があり、人間と大差ない暮らしをしていることにハリスは驚いた。
…これも、現実なんだ…。
普段何気なく斬っている敵の一匹一匹にも、もしかしたら家族がいて、帰りを首を長くして待っているかもしれないのだ。
でも…そうは言っていられない。仲間を守り、生き残る為には手段を選んではいられないのだ。…マナが身近な例である。
ハリスはそんなことを思いながらふと道端の露店に目を向ける。
そこに並んでいた一振りの短剣を見てハリスは背筋に悪寒が走った。
…見間違える筈がない。
アーチャーの短剣だった。
マナの試練の地へ行く前にアーチャーがハリスに話してくれた、ブレードと初めて会った、魔剣との契約の対価の話。
…たしかその話の中に、アーチャーが魔剣と一定距離をおくと死んでしまう。という話が無かっただろうか?
「…!!」
呼吸が荒くなる。今すぐにあの短剣を手に入れたい…しかし露店商は抜け目なく商品をチェックしているし、あまり大きな行動をすると居場所がばれてしまう。
ハリスはその場に立ち尽くした。
魔剣からの魔力は微弱に感じられた。
つまり瀕死なのかもしれないが、アーチャーは生きているということだ。
…この短剣の魔力の届く場所で。
ハリスは周りを見回した。
槍を持った衛兵風のリザードマンが立っている場所を見つける。
暗い雰囲気で、窓には鉄格子がはまっているのが少し見えた。
もしあれが…牢屋のような場所なら…アーチャーはあの先に…?
直感的にそんなことを考える。
「うおっ…と」危うく屈強なリザードマンにぶつかる所だった。
…とりあえず何か策を考えなければ。
近くの壁に背を着けて考える。
何か気を引くもの。
…火、かな?
リザードマンというのは要は蜥蜴であり、蜥蜴というのは変温動物。
周りの気温に自分の体温を合わせてしまうという特性がある。
リザードマンは興奮すると火を吹くことがあるが、これは体温をわざと上げて興奮状態にする、というリザードマン独自の体温調節機能であり、気温が暑い場所を好むリザードマンはかなり獰猛である。
何が言いたいのかというと、近くに焚き火でもあればそこに集まって来るのではないだろうか?ということだ。
更にその状態で近くで爆発でも起きれば、頭に血の上ったリザードマンたちは爆発の方に殺到するに違いない。
…そこで素早く短剣を入手する!
ハリスは早速取りかかることにした。
★
「完成…っ」
少し大きな焚き火を作り、近くの酒場のような場所から拝借した椅子を周りに沢山並べる。酒も置いておいた。危うくMP切れで周りに気づかれそうになる事も何度かあったが、何とか準備を整えた。
しばらくして、リザードマンの一人がハリスの作った焚き火に気づく。
怪しむ事もなく椅子に座った。
その後も次々とリザードマンが集まって、暖をとり始めた。
…これは面白い…
「シェ!?ラバーダ!?シャバー!」
やがて椅子の下に隠した酒に気づいたリザードマン達は次々と酒をあおっていく。
やがて体温が上がってきたのだろう、口から煙を吐き始めた何匹かが口論を始めた。口論はやがて殴り合いに発展する。
…計画通りだ!
ハリスはMPの残り残量を確認すると、隠れながらこっそりと酒場の倉庫に沢山置いてあった樽に火をつけた。
まぁ少し気を使って民家に被害がない場所に移動させてからだが。
ドオオオン!!!
発火しやすい酒だったようで、酒樽は音をたてて爆発した。
「シェワ!?」
リザードマン達は慌てふためく。
焚き火にいた全てのリザードマンが抜刀し、爆発の方へ走っていった。
やがて露店商もその騒ぎに気づいたようで一瞬、彼の視線が爆発とそれに群がるリザードマンに向けられた。
…今だぁぁ!!!
隠蔽魔法が解けるのを感じながらハリスは短剣をさっとかすめとる。
一瞬でそれを鞄にしまうと、すぐさま近くの焚き火にあらかじめ置いておいた空の樽の山の中に隠れる。
持っている最後のMPポーションを飲み干し、バクバクする心臓をどうにかなだめながら隠蔽魔法を自分にかけ直した。
魔力の足跡は残るだろう。
早々に行動を始めなければ!
ハリスは樽の山から飛び出すと、衛兵のいた場所に向けて駆け出した。
見張りの兵士もどうやら爆発騒ぎの方に夢中らしい。誰もいない入り口を抜けて、ハリスは中へと足を踏み入れた。
途中、詰所のような場所に忍び込み、気づかれないように鍵束を盗む。…あとはアーチャーの位置さえ分かれば…
ハリスが手に入れたアーチャーの短剣は魔力がこもってはいたが、それによってアーチャーの位置を特定することはどうやら出来ないようだった。
一つ一つ、牢屋を調べていく。
ハリスは階段を下り、更に次の層へ。
…以外にも広い作りだ。
★
少し悪い状況になった。
ひととおり調べていったのだが、とうとう隠蔽魔法が切れてしまったのだ…。
「うーん…」鞄にはもうMPを回復するポーションはない。
もし見つかったら一貫の終わりだ。
やけに響く足音を響かせながらハリスは階段を下り終える。
…結構下まで来たなぁ…。
しばらく通路を道なりに進むと、目の前に鍵のかかった木製のドアがあった。
…あちこちに血痕がこびりついている…
鍵を開けるとハリスは臭気に顔をしかめた。ハエがおびただしい量飛んでいる。
…明らかに普通の雰囲気ではない。
少し進むと看守の詰所のような場所に着いたが、中にいたのは鋸を研いでいる明らかに様子がおかしいリザードマンだけだ。
周りの壁には鋸だけでなく、釘や針、焼きごてなど、様々な拷問器具が立て掛けてあった。…すごく嫌な予感がする。
鋸を研いでいるリザードマンはそれほどレベルは高くない。
…後ろから襲いかかれば…!
「食らえっ!」「ギャ!」
ハリスは彼の後ろから近くの壁に掛かっていた巨大なトンカチで頭を殴打した。
リザードマンは地面に倒れると、そのまま動かなくなる。…気絶したのだろう。
「よし」ハリスは声に出してそう呟くと、リザードマンを縛った上でテーブルの下に隠した。
ハリスは更に奥にある部屋へ入る。
通路は気がおかしくなりそうなほど、血の臭いが充満していた。
…本当にこんな場所にアーチャーは生きているのだろうか?
辺りの独房には真新しい何かの肉塊や骨がばらまかれている。
先程リザードマンにも家族がいる。とか言っていた自分の言葉を今撤回しよう。
たとえ人間だって、ここまで残虐非道な真似は出来やしない。
ただの肉塊になっても拷問にかけ続け、牢屋から出すことをしないなんて…。
ふつふつと怒りが沸いてくる。
そして通路を突き当たりまで進むと、目の前に少し広めの独房があった。
無言でハリスはドアを開けて入る。
「…!」ハリスは絶句した。
辺りにはよく分からない半透明のスライムのような液体が飛び散り、部屋の中央が血の海になっている。
壁に置いてある各種拷問道具はまだ血を滴らせており、見ているだけで発狂してしまいそうだった。そして…
「…」
血の海の真ん中に、力の抜けたアーチャーの身体が横たわっていた…。
【続く】




