いきなりの遭遇! クロノスはあなたを……
東京まではあっという間だった。 今まで、この距離をどれほど遠く感じていたか……
『拓也がいる街……』
音香は高鳴る胸を押さえた。
さすが都会。
見渡せば、どこもかしこも冷たい表情の人々がひしめいている。 誰もクロノスの事など知らない。 ボーッとしていたら、すぐに飲み込まれてしまいそうな人波。
溺れるように空港ロビーに立ち尽くしていたクロノスメンバー。
誰からとも無くハッと我に返ったメンバーは、ワイワイと慌てるように声を掛け合い、数日前に連絡を取っていた棚橋と、再び連絡を取った。 すると、とりあえず本社に来てくれという返事をもらった。
あらかじめ貰っていた地図とメモを頼りに、まずはリムジンバスで東京駅に向かい、慣れない電車を乗り継ぎ、一時間後にやっとオフィス街に着いた。
ネクサス・エンターテインメント社屋は、一際高くそびえたち、見上げると鏡面仕様のガラスがキラキラと輝いていた。
緊張しながら自動ドアを潜り抜けると、そこには吹き抜けでだだっ広いロビー。 ピカピカに磨かれた大理石の床を、雲に乗っているような頼りない足取りで受付に向かうクロノスメンバー。
思わず見とれるような美人受付嬢に話しかけると、丁寧に挨拶を返した彼女は電話で誰かと話した。
「棚橋は六階の第三会議室で待っているそうです。 エレベーターで、どうぞ」
とにっこりと言われ、一同は受付嬢の指し示す方へ、うながされるままにエレベーターへと向かった。
一体このビルは何階まであるのか……。 音香たちの地元でも、ここまで高く立派な建物は見たことが無い。
六階へ向かおうとボタンを押そうとすると、上階からエレベーターがタイミングよく下りてきた。 これは丁度良いとしばらく待ち、その扉が開いた途端
「あっっ!」
四人は目を見開き、息を飲んだ。
静かに扉が開いたエレベーターから出てきたのは、拓也だったのだ。
同時に彼も音香たちに気付き、ハッとして足を止めた。
マネージャーと思われる女性が手帳を片手に通り過ぎようとして、何事かと振り返った。
「オッ……カ……?」
かすれた声を出して、目を見開いて驚いている拓也。
無理もない。 音香がここに来ることなど、想像だにしていなかっただろう。
お互い何も言えないままで、何時間とも思えるほどの数秒後、音香はカツカツと拓也に近づいた。 そして、動けずにいる拓也の整えられた前髪をひと束つまみ、クンッと軽く引っ張った。
その場の空気が固まった。
何しろ素人の女が、今や大物アーティストの髪を引っ張って睨みつけているのだから。
「やめと……け」
と止めようとするナツユキの肩を、マサトが掴んだ。
「待って。 好きにさせてあげな」
「でも……」
と焦るナツユキに、ユウジも首を横に振った。 皆、音香の気持ちを痛く感じていた。
拓也は抵抗もせず、音香を見つめながらも、その頬は若干引きつっていた。
音香はそれを冷たく見つめ、ゆっくりとそして静かに言った。
「クロノスは、あなたを抜きます」
そしてそっと手を離し、すれ違うように、扉が閉まったエレベーターの前へと歩いた。
マサトが拓也に近づいた。
「俺たちも本気で音楽やるから。 本気出したらクロノスは凄いってことぐらい、拓也だって分かってるだろ?」
睨むように微笑むと、その肩をポンと叩いて音香を追った。
ユウジが、ナツユキに一言囁いた。 するとナツユキが思い出したように、バッグから封筒を出した。
「拓也、俺たちはクロノスを続けていく。 それは、お前の願いでもあったはずだ。 あとさ、これ受け取れ!」
一センチほどの厚さのある封筒を差し出すと、拓也はナツユキをきょとんと見つめた。
「これは?」
「一年前にお前が事件起こした後、『拓也エイド』って銘打ってライブしたんだ。 昔のファンも来てくれた。 その時の売り上げと、皆からの募金だ。 オッカも、マサトもユウジも俺も、ファンの奴らだって、離れてても連絡取れなくても、皆お前を思って心配してた。 誰も忘れた奴なんていなかったぞ!」
拓也は黙って、目の前に差し出されたその封筒を見つめていた。
「お前のために用意してたんだ。 受け取ってくれ」
ユウジもナツユキの隣で言った。
拓也は二人を見比べ、少しうつむくと小さく息を吐いた。
「ありがとう。 でも、これは受け取れない」
「拓也!」
ナツユキが驚いた声を出すと、拓也は顔を上げて真っ直ぐ見つめた。
「その代わり、それはセブンスヘブンに寄付してくれ。 俺たちみたいに、夢見て必死に音楽やってる奴らのために使ってくれ。 俺からの、せめてもの罪滅ぼしだ」
ナツユキとユウジは、黙って見つめ返していた。 少し離れたところで、マサトも振り向いてその様子を見ている。 音香だけは振り返れずにエレベーターの扉の前でうつむき、ただそのやり取りを背中で聞いていた。 拓也の言葉ひとつひとつが、音香の心に染み込む。
『拓也も苦しんでたんだよね……』
しばらくの沈黙の後、ユウジがひとつ息をついて言った。
「そうか、分かった」
ナツユキもあきらめたように苦笑した。
「じゃあこれは、セブンスへブンに寄付することにする!」
「ああ、頼む!」
拓也は嬉しそうに小さな微笑みを湛えて、大きくうなずいた。
「拓也くん、時間が無いわよ!」
様子を伺っていたマネージャーが少しきつめに言った。 拓也は返事をせずに、音香を見つめた。 相変わらず背中を向けたままの音香に、拓也は言った。
「ありがとう。 俺、もう負けないから!」
それは、たくさんの気持ちがこもった強い口調だった。 音香は一度唇を噛むと、勢いよく振り返って叫ぶように言った。
「今度心配させたら、許さないからね!」
その胸は張り裂けそうだった。 喉が痛い。 それでも懸命に見つめた涙のたまった瞳には、音香を優しく見つめる拓也の姿が映った。
肩に力も入っていなくて、いつも何かを楽しんでいて、いつだって頼りがいのある、音香の大好きだった拓也の姿だった。
「分かってる!」
そして、笑顔で高々と親指を立てた腕を上げた。
音香もまた、涙をこらえ唇を噛みしめながら、同じように親指を立ててみせた。




