挨拶まわり……旅立ちに向けて!
まずはクロノスのギタリストを決めなくてはならない。 マサトが、拓也を抜くためにベーシストとして残ることにしたからだ。
ただ、こんな片田舎で、自分たちの理想に合ったギタリストが見つかるとも思えない。
そこで、新しいギタリストは音香を除く三人が東京で探すことにした。 東京なら、全国から野心を持った猛者たちが集まっているはずだ。 たとえ時間がかかっても、自分たちの理想に繋がる演奏者を探したい。 音香も、ネットなどを使って出来る限りの協力をするつもりだ。
「とにかく、棚橋さんには事情を話しておかないとな」
ナツユキの言葉に、音香は自分で話すと手を挙げた。 こればかりは自分で後始末を付けなくてはならない。 もしかしたら、メンバーが変わることで東京の話も無くなるかもしれない。
リスクを背負うことになるこの土壇場の事件にも関わらず、誰もが悲観的にならなかったのは、若さゆえのパワーなのだろうか。 どこかで、まだ自分たちには希望があると自信があったのかもしれない。
張り裂けそうなほどの動悸のなかで話した電話の向こうで、棚橋は少し驚いたような声を返したが、戸惑いながらもこう話した。
「メンバーが変わることは驚いたけど、私たちが欲しいのは、その演奏力やキャラ、つまり、どれだけメディアの中で輝いてくれるかっていうことだから。 私はスカウトマンとして、君たちの将来性に自信を持っています。 それは今も変わっていませんよ」
と、東京本社で、面接も兼ねて改めて話をすることになった。
メンバー全員、ホッと胸を撫で下ろした。
だが、本番はこれからだ。
クロノスが羽ばたくためには、もっと険しい道が待っているはずだ。
ナツユキ、マサト、ユウジ、そして音香の四人はしっかりと握手を交わして、クロノスのこれからに望みを託した。
「そういう事だから、クロノスの将来がしっかり見えるまでは、その事に集中したいの。 だから、しばらく裕里と遊ぶのを控えたいから」
音香は裕里を喫茶店に呼び出すと、そう伝えた。 裕里の顔が緩んだのが分かった。
「オッカが決めたことなら、文句ないよ。 でも……オッカが永遠に遠くに行く事にならなくてよかった」
やっと裕里の本音を聞くことが出来た音香は、改めて裕里に深く感謝した。 彼女はいつも、音香のことを自分のことよりも考えてくれている。
二人の前に、注文したケーキセットが並んだ。
「それって、誰かに相談した結果なの?」
嬉しそうにケーキにフォークを入れながら裕里が尋ねると、音香は思わず首を横に振った。
誰にも相談しなかった。
ただ独り言を言って、泣いただけだった。
だがその時のぬくもりは、まだ背中に残っている。
「……っ!」
ふいにあの夜のことを思い出してしまった音香は、慌てて目の前のオレンジジュースを飲んだ。 その様子を見つめていた裕里は、怪訝な顔で言った。
「何かあった?」
「何も! 何も無かったよ!」
赤くなっている顔で笑顔を振りまく音香に、ははぁん?と薄目で見、にやけた裕里。
何か決定的なことを言われたわけではなかったが、影待に抱きすくめられたことで、音香の中で何かが変わったのは確かだった。
「で、先生にもさ、そう伝えておいてくれない?」
話題を変えるつもりで言った音香に、ケーキの乗ったフォークを口の中に入れた裕里は
「そんなの、自分で言えばいいじゃん」
とくぐもった声で言った。
「ちょっと事情があるの! あと、マスターにも」
付け足しのように言ってしまったが、音香は、マスターには自分の口で言いたいと思っていた。
セブンスヘブンを知ることがなければ、音香はここまで成長できなかった。 マスターにはちゃんと自分で思いを伝えなくてはと思っていた。
裕里は含んだ微笑みをしながら音香のチョコレートケーキを一口分フォークに乗せると、素早く口に含んだ。
「分かったよ。 その代わり、用が済んだらまた、私と遊んでくれるんでしょうね?」
「もちろんよ。 これ、全部あげるから!」
音香は微笑んで自分のケーキを裕里に差し出した。
裕里と別れた後、音香はマスターに会いにセブンスヘブンへ足を運んだ。 駐車場にマスターの車、ジャガーを確認し、マスターが居ることを確認すると扉を開いた。
カランカランカラン……
というベルの音の下、店内をおそるおそる覗くと、影待の姿は無かった。
ホッと胸をなでおろし、マスターに挨拶をした。
今はまだ、影待と会うのは気まずい。
事あるごとにあの時の情景が思い浮かび動悸が激しくなる。
マスターは一人きりの店内でにっこりと音香を迎えた。
「いらっしゃい、オッカ」
このお迎えはしばらくお預けかと思うと、少し淋しくなった。
カウンターの端、いつもの席に座ってファジーネーブルを注文すると、音香はクロノスで決めた事を話した。
「そうですか。 クロノスは、ちゃんと話し合いで解決出来る。 それはとても素晴らしいことだと思いますよ。 僕たちの時は、なかなかそういう風に出来ませんでしたから」
「ウラノスガイアのこと?」
うなずくマスターは、遠い目をして言った。
「ええ。 当時の海斗は自分を過信しているところがあって、時々暴走していたんです。 それで、上京の話が来た時も、冷静に考えようと言う僕の言葉に、彼は必ず成功すると言って聞かず、とうとう喧嘩別れしたような感じになってしまったんです」
それは多分、誰も知らない話だった。 マスターは遠い日を思い出しながら、懐かしそうに話していた。
「そんな思い出も、今では楽しかった余韻でしか無いですけどね」
そして視線を音香に向け、本当にいい仲間たちに出会いましたね、と微笑んだ。
「マスター、それでも後悔してないの? 今の海斗の人気は凄いよ。 それこそ毎日のようにテレビに出てるし、出す曲はいつもランキングの上位に入ってる」
「そうみたいですねぇ。 でも僕は、僕の人生を楽しんでますから。 バンドを組んでいた時もそうでした。 あんな終わり方にはなってしまいましたけど、僕は僕で居られる場所を自分で見つけてきたんです。 選んだ道に、後悔なんてありませんよ」
マスターは事も無げに答えた。 その瞳には、揺らぐ気持ちさえも見て取れるものではなかった。 彼が信念を持って生きてきた道に、後悔という言葉など無いのだ。
『自分が自分で居られる場所……』
音香は今まさに、それを選ぼうとしている。
意を決し、恥ずかしさを抑えながらも、影待に対する気持ちを告白した。 話を聞き終わり、微笑んでうなずくマスター。
「マスター、もしかして気付いてた?」
音香が少し顔を赤らめて聞くと、彼は微笑んだ。
「影待くんは、音楽に関してはとても頼りがいのある人なんですが、恋愛という気持ちに対しては結構不器用で消極的なんですよ。 何度か相談されましたけど、そういうのは自分で何とかするものでしょうって、勇気付けるのに大変でした」
マスターは楽しそうに話した。 彼は影待の悩む姿を見ながら、きっと楽しんでいたのだろう。 彼の瞳が心なしか輝いて見えた。 音香は影待の事を不憫に思いながらため息をついた。
同時に、マスターに自分の気持ちを言ったことで、心はとてもすっきりしていた。 自分を信じていいのかも知れないと、少しだけ自信を持った。




