信じていたものが崩れる時……
数日後、ネクサス・エンターテインメントからスカウトされてから、初めてのバンドの練習日。
音香が一足先にスタジオに入って待っていると、時間ピッタリにやってきたナツユキ、マサト、ユウジは、揃って目を丸くしていた。 それは、音香が東京行きを決めたのだと思わせるのに充分だった。 そんな彼らの笑顔を前に、音香は神妙な面持ちで話を切り出した。
「相談があるの」
音香の相談とは、三人が仰天するものだった。
「東京行きをやめる?」
ナツユキが驚いた顔で音香を見つめた。
他の三人はすでに上京する意志を固め、それぞれに準備をはじめていた。
ナツユキは目下、家族を説得中。 マサトは一人暮らしの部屋を出るために荷物を片付け始めている。 ユウジも家族を説得し、バイトも辞めたところだ。
ソレらを全て知っていて出した音香自身の結論は、メンバーを驚かせるには充分すぎた。
「そりゃ、答えは任せるって言ってたけどさ……」
ユウジも驚きを隠せない表情をしている。
「それってさ……クロノスを抜けるってこと……だよな?」
マサトが震える声で言った。 音香ははっきりとうなずいた。
「んだよっ!」
突然、マサトは壁を拳で殴り、練習スタジオの扉を勢いよく開けると出ていってしまった。
「マサト……!」
音香は慌ててマサトの後を追った。 楽器屋の中は不気味なほど静かだ。 いつでも試奏ができるように、店内はBGMをかけずに加湿器の音だけが静かに漂っている。
「マサト待って!」
音香は彼に追い付くと、その袖をつかんだ。
「話を聞いて! あたし、軽い気持ちで東京へ行くわけにいかないの!」
「俺も同じだ……」
立ち止まったマサトから返ってきた言葉には、怒りではなく、落胆した様な空気が感じられた。
「マサト?」
彼はゆっくりと振り向くと、音香に寂しそうに微笑んだ。
「悪い。 俺も色々考えて出した答えだったから。 だけど、オッカにも事情ってもんがあるんだよな……」
マサトは力なく壁に寄りかかり、彼の落ち込んだ声が楽器屋の一角で揺らめく。
「……東京に一緒に行って、クロノス一緒にやって、成功して……そうなったら、オッカに言いたかったんだ」
マサトは立ち尽くして見つめる音香を優しく見下ろした。
「拓也はもう、いいだろ?って」
「マサトそれって……」
音香の胸がざわつき、声が震えた。
「拓也じゃなくて、俺を見てほしいって」
マサトは視線をはずした。
「そりゃ、俺はずっと拓也には勝てなかった。 人気も演奏も、拓也がいつも前を走ってて、俺はいつもその背中を見てた。 それと同時に、オッカが拓也を見てるのも、ずっと見てた」
「マサト……」
彼は揺れる瞳で音香を見つめた。
「拓也が居なくなっても、君はいつも拓也を想ってた。 それがすごく辛くて……何度も声をかけようと思ったけど、ダメだった」
マサトは悔しそうに前髪をくしゃっと上げた。
「俺は、拓也には勝てねえ」
「そんなことないよ! マサトはいつも周りに気を遣ってくれたし、新人だったあたしは、何度も助けられたよ。 皆だってきっとそう思ってるはずだよ!」
マサトは自虐的に頬を緩ませた。
「俺は多分、オッカのそういう所が好きなんだな」
音香の胸が痛んだ。
「マサト、あたし……」
「いいんだ」
「良くない! 聞いて。 あたし、クロノスが好き。 それと同じくらい、ナツユキもユウジもマサトも好き! 出来れば東京へ一緒に行って、皆でクロノスを成功させたい。 拓也の事は、あたしの勝手な思い込みだったって気付かされた。 とっくに、到底手の届かない所にいたのにね……だからアイツを、クロノスで見返してやろうって思った。 ……けど……だけどあたし、ここでやりたいことが出来たの!」
音香の頭の中は少し混乱していて、思うことが通じているのか不安だったが、マサトは静かに聞いていた。
「こんな片田舎だけど、あたしはこの街が好きだし、セブンスヘブンを知らなければここまでいろんな経験もしなかったと思う」
音香の脳裏に、影待の姿が浮かんだ。
「それに、ずっと近くにいてくれた人がいるのに気付いた……」
マサトの拳がぎゅっと握られた。 音香は噛みしめるように、その言葉を口にした。
「あたしは多分……その人の事が、好きなんだと思う」
二人の間の空気が一瞬止まった後、マサトのため息が空気を動かした。
「そっか」
そして切り替えたようにいつも通りの笑顔で言った。
「皆の所に戻ろう! きっと心配してる」
なんでもなかったかのように、音香を練習スタジオへとうながそうとするマサトに、踏みとどまった音香が言った。 このままうやむやにしていても、いいのだろうか?
「マサト!」
「オッカの気持ちは分かったよ」
マサトはうなずいてスタジオへと戻っていった。
音香はその背中を追えずにしばらく立ちすくんでいた後、息を飲んで後を追うと、部屋の中ではマサトがナツユキとユウジに何か話していた。
「みん……な?」
音香が扉を開いたところで立ちすくんでいる姿を見て、三人は笑顔を見せた。
「ま、しゃあないよな!」
ナツユキが前髪をかき上げながら、綺麗に並んだ真っ白な歯を見せた。 少し笑顔が引きつっているのが分かった。
「それでも俺たちは、何度でもはい上がる自信があるからな!」
ユウジも腰に手をあてて微笑んでいる。 マサトも微笑んでうなずいた。
「皆、ごめん……こんな、我が儘……」
音香は、自分が泣く立場ではないと分かっていながら、涙を流してしまった。 張り詰めていた心が緩んだのだ。
正直、音香が決めてきたことは、クロノスにとって大きな事だった。 せっかく一つにまとまったクロノスが、バラバラになるかもしれない……どんな結末を迎えるのか、すごく心配だったのだ。
立ちつくしたままで泣く音香の頭をポンポンと優しく叩いて、無言でなぐさめたのはマサトだった。
それから四人は楽器を置いて話し合い、これからのことを決めた。




