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音香彩々  作者: 天猫紅楼
39/50

ファンであることの喜びと悩み

 やがて映画の主題歌が発売された。 音香は当たり前のように予約をして、購入した。

 今、音香の手の中には、薄っぺらいCDケースが握られている。 ジャケットに拓也の写真はなく、曲をイメージした風景写真がCG処理されている。 拓也の姿は、歌詞カードの端の方に背中のシルエットのみが写っていた。

「拓也、焦らすなあ……」

 今の拓也が見られると思って期待していたのだが、すっかり空振りだ。

「……見たかったなぁ……」

 音香は残念そうに呟いた。

 それでも、拓也の頑張っている形を手にすることが出来たほうが嬉しかった。 もしかしたら拓也はこの初めての曲を、師匠と慕い、神と崇めた影待にレコーディングしてもらいたかったかもしれない。 そんな憶測も答えなど出るわけもなく、ただ音香の夢物語で終わった。

 それから毎日、音香の部屋では拓也の曲がヘビーローテーションで流れ続けていた。

 

 そうしているうち、事務所もプロモーションに力を入れているのか、拓也は雑誌の取材に出るようになった。 あちこちでその顔が出たので、また世間では話題になり、とうとうテレビ出演まで決まった。

 生放送の音楽番組で、ゲストが何組かいる中のひとり。

 平日の夜八時。 新人だし、たいして出番も無いだろうと笑いながらも、わざわざ家まで来てくれた裕里と共に観ることになった。

「ワクワクするね!」

 裕里がジュースの缶を片手に言う。

「なんだか、裕里が一番喜んでるみたいだよ?」

「オッカが嬉しいことは私だって嬉しいの! キミだって、今すぐ踊りだしたいくらいなのだろう?」

 持ってきたスティック菓子で顔を指す。 それを無造作にカリッとかじると、音香は隠しきれない笑顔を見せた。

「ほらみろ!」

 二人が笑い合っているうちに番組は始まった。

 テーマ曲と共に煌びやかな番組タイトルが画面を覆い、最初に出てきた司会者が呼び込むたびに、有名なアーティストが次々に映し出された。 最後に

「映画主題歌で話題沸騰、今最も注目株の古瀬拓也~!」

 音香の背筋が伸びた。 テレビ画面に、笑顔で歩いてくる拓也が映った。

「拓也~~!」

 観客の黄色い声と共に、裕里が声を上げた。 まるでライブ会場に居るかのような大声だったが、音香はそれを止めなかった。 もはや彼女にそんな余裕は無かったのだ。

「ほらやっぱ、拓也くんカッコいいよね!」

 興奮気味に言う裕里に、テレビを凝視したままうなずく音香。 瞬きさえも惜しいほどだった。

 目の前に、拓也がいる。

 二年前に別れたまま、その姿を見ることもなく、ずっとゆっくり会話も出来なかったストレスは、今やっと少しだけだが解消されようとしている。 画面に映る古瀬拓也は、小柄でお洒落なあの頃のままだ。

 彼は今も同じ香水を付けているのだろうか? 今はどんな車に乗っているのだろうか? ベースはまだ続けているのだろうか? 音香は生放送の画面の向こうにいる拓也に、たくさんの質問を投げかけたかった。

 番組は淡々と進行し、ついに新人の拓也はマイクを向けられた。 興味深そうに、司会者が語りかける。

「最近、すごい人気ですね!」

「はい、有難いことに、やっと街で指を差されるようになりました!」

 拓也はニッコリと答えた。 緊張している感じはしない。

「この曲はラブソングだけど、何か特別な思いとか込めたりしたんですか?」

 突き出されたマイクを前に、拓也は笑って鼻を触った。

 音香は知っている。 彼が少し躊躇する時の癖だ。 音香の胸がざわついた。

「えーと、ラブソングではあるんですけど、故郷に残してきた人に対する応援歌でもあるんです」

 音香の心臓が波打った。

 

「俺はここで頑張ってるから、お前も頑張れって」

 

 拓也の視線がカメラに向けられた。 その瞬間、音香は真っ直ぐ見つめる瞳に吸い込まれたように、思考が止まった。

「それは、ラブソングだけに、昔の恋人ですか? それとも、友人とか仲間とか?」

 司会者が突っ込むと、拓也はそれには答えずに

「ま、届かないかもしれませんけどね」

と笑った。

「それでは、世の中の同じような境遇の人たちが元気を出してもらえるように、歌ってもらいましょう!」

 事務的なコメントで司会者にうながされて、拓也はステージへと進んだ。

 

 クロノスの時はいつも下手シモテに立っていた拓也が今、アコースティックギターを構えて中央のスタンドマイクの前にいる。 ステージが淡く青い光に包まれ、音香がずっとヘビーローテーションで聴いて来た曲が、今しっとりと始まった。

「拓也くん、ホントにギター弾くんだ?」

 裕里が呟いた。 裕里も、拓也はベースしか弾けないと思っていたからだろう。 拓也はギターを弾けなかったはずだ。 少なくとも、音香と一緒にいる時は、ギターを触りはしても、曲を弾くところまでは見たことがなかった。 作曲をするときも、マサトに鼻歌で伝えながら二人で譜面に起こしていたのを見たことがある位だ。

『練習したのかな?』

 もはや、テレビのトリックである口パクなどという疑いなどどうでもよかった。 目の前で曲を披露し、観客を喜ばせている。 観覧席の観客たちが曲に合わせてライトを揺らしている。

 今の拓也の姿は、クロノスで経験してきたような小さなライブ会場に入るような人数じゃなく、何万、何千万以上という人の目に映っているはずだ。

『すごいな、拓也……』

 音香と裕里は、拓也の演奏に見入った。

 だが番組の都合でフルコーラスではないので、曲はあっという間に終わってしまった。

 照明が落ちて画面が切り替わり、何事も無かったかのようにコマーシャルが流れ始めると、音香ははぁ~っと長い息を吐いて全身の力を落とした。 横から、裕里がにやけながらその様子を見つめている。

「なによ?」

 顔を赤らめて睨む音香。

「オッカのことだよね、さっきの?」

 裕里は楽しそうに言った。 音香は何も言えないまま、考え込むようにうつむいた。

「なんだ、まだ好き同士なんじゃない。 ヨリ戻せば?」

 事もなげに言う。 音香はまだ動悸が治まらない。 拓也のさっきのコメントは、本当に自分に言っているのではないかと思った。

 耳と心から離れない言葉と拓也の視線。

 

「俺はここで頑張ってるから、お前も頑張れ」

 

『まだ想っててくれてるのかな……?』

 真相が分からぬまま、音香はその言葉を丸ごと受け取ることにした。 その方がすっきりする気がしたからだ。

 裕里が帰った後、ベッドに横になりながら拓也のCDジャケットを取り、歌詞を読み返した。

 

  ――

 

 後から後から涙が溢れた。

 歌詞が丸ごと自分に向けられたものだとしたら、これほどに心に突き刺さる言葉があっただろうか。 音香にとっては、今までの何よりも元気をもらい、そして、これからの道を歩いて行くにふさわしい応援歌だった。

『拓也、あたしも頑張るよ。 拓也に届くように!』

 音香は、またしても拓也によって元気にさせられた。 彼にはもらうことばかりだ。

 

 やがて、日を追うごとに拓也の人気はうなぎ登り。 いくつか出した曲も例外なくヒットを飛ばしている。 東京だけだが、初めてのライブも決まった。

「勿論行くよね? 仕事なんてどーでもいいじゃん! ファンクラブも出来たみたいだし。 手紙とか何か贈りなよ、また連絡くれるかもよ! 拓也くんも、音香の事、絶対覚えてるからさ!」

 音香の部屋に遊びに来た裕里は、興奮げに音楽雑誌を広げて音香に迫った。 裕里も拓也に関してチェックを欠かしていない。 彼女はすっかり拓也のファンなのだ。

「うん、勿論ファンクラブにも入るし、ライブにも行くつもり。 人気が凄すぎて、ファンの子たちに埋もれちゃうかも知れないけどね」

 苦笑しながら言う音香。

 

 

 拓也との連絡が断たれて早二年半あまり。 月日の流れは無情だと、音香は思う。

 クロノスの人気も出ているし、職場でもそれなりに仕事をこなしている。 セブンスヘブンで楽しい夜を過ごすのも飽きることはない。 充実した毎日を過ごしている。

 だが、拓也との距離は全く縮まることはなかった。

 もはや、音香の知る誰とも連絡を取り合っている様子はない。

 テレビの中では様々な番組に出演し、楽しそうに笑顔を見せている。 音香からは、遥か遠くに行ってしまった気になる。 小さな音香は、もうただの一ファンとして埋もれてしまうのかもしれない。

 それでも、音香は拓也を応援しようと心に誓っていた。 それが、いつも元気や勇気をくれる拓也に、音香ができる唯一の恩返しだと思うからだ。

 ある日音香は、拓也ファンクラブの申し込みをしがてら、ひとりでショッピングモールに出掛けた。

 そして迷う事無く香水売場に入り、付き合っていた頃に拓也が好んでつけていた香水を選ぶと、プレゼント用に包んでもらった。

 今もつけているのか分からないが、音香にとってはこの香りが拓也そのものであり、思い出がたくさん詰まった香りなのだ。

『拓也、喜んでくれるかな?』

 音香は、笑顔で喜ぶ拓也の顔を想像してにんまりと笑った。 そして、ベッド脇の棚にそっと置いた。 彼の手に届く事を心待ちにして……。


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