衝撃! 都会の誘惑!
興奮が残っている様子のナツユキ、マサトやユウジが、楽屋に入るなりペットボトルを手に取ってゴクゴクと水分補給をするなか、音香は力なく椅子に座って静かに汗を拭いた。
マサトが、無言で音香にスポーツドリンクを差し出した。
「ありがとう」
と手にとって、一口飲んだ。 冷たさだけがまっすぐに胃へと落ちていき、拒絶するようにキリキリと痛んだ。
「拓也、来なかったのかな……」
ナツユキが呟き、メンバーの視線は自然に楽屋の扉の方に向けられた。 誰も会場に拓也の姿を見つけられなかった。 僅かな期待を込めて見つめた、その扉が開く気配はない。
遠く、会場を後にする観客たちの高揚した声が聞こえるだけだ。
「来れなかったのかな?」
ユウジが火照った顔にタオルをあてながら、言葉を選ぶように呟いた。
「アイツ、なんだかんだ言っても忙しそうだしな……また、チャンスあるって!」
ナツユキが沈みがちなメンバーを元気付けようと、わざと大きな声で言った。
音香はドリンクを飲み干した。
「そうだね、きっと急に仕事が入ったんだよ」
そう思い込もうとした、その時だった。
バターーーン!
楽屋の扉が勢いよく開け放たれた。
驚く四人の前に立っていたのは、さっきまで朋美と共にライブを観てくれていた裕里だった。
「これ! 見てっ!」
裕里は血の気が失せた顔をして息せき切って駆け込み、持っていたケータイの画面をすぐ近くに居たナツユキに見せた。
「ん? なんだよ?」
何気なく受け取りその画面を見た途端、彼の顔からも血の気が失せた。 言葉を無くして画面を食い入るように見つめている。
「どうした?」
異変を感じたマサトとユウジも、慌てて近寄って顔を寄せ、ナツユキの手の中にある裕里のケータイを見た。 そして裕里、ナツユキ、マサトとユウジは、そろって音香の顔を見つめた。
「何? どうしたの?」
状況が分からないままの音香は、裕里からケータイをその手に持たされた。 唇が震え、黒目がちな瞳が揺れている。
「気を、しっかり持って……」
「?」
ケータイの画面には、ニュースのトップが表示されていた。
「え……これ……」
音香は我が目を疑った。
そこには、こう記されていた。
『音楽プロデューサー逮捕。 覚せい剤所持の疑い。 同業の二名も同件で身柄確保。 東京』
震える指でスクロールすると、詳細が表示された。
『麻布警察署は、車の中に覚せい剤を隠し持っていたとして、音楽プロデューサー大島満(四十二)を覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕した。 同署によると、大島容疑者は容疑を認めているという。 同署の調べによると、大島容疑者は二十一日午前四時三十五分ごろ、路上に停めていた不審な車に職務質問したところ、車の中に覚せい剤三袋を見つけた。 同じく車に同乗していた宝田輝(二十三)と古瀬拓也(二十七)も同容疑で身柄を確保した』
「古瀬……拓也……」
音香は、ケータイを持ったまま呆然としていた。
「……うそ……でしょ?」
頭の中が真っ白になった。
その場に居たすべての人が言葉をなくし、立ち尽くしていた。 しばらくして、ただ事ではない雰囲気を感じ取ったマスターが、静かに顔をのぞかせた。 音香の記憶はそこで途切れてしまった。
どこをどう帰ったのか、覚えていない。
裕里と朋美に付き添われて家まで送ってもらったのだと、母が言っていた。
テレビでは連日のように関連のニュースが繰り返されていた。
中心人物の大島という男は、世間でもかなり有名な音楽プロデューサーで、道行く大抵の人は
「知っている」
と答えるほど、名が売れていた。
そんな大物に拓也が可愛がられていたことは誇らしい。 だが、時々同罪で紹介される拓也の名前が映し出されるたびに、音香の心は大きくえぐられるようだった。
あんなに会いたいと思っていた拓也がこんな形で目の前に現れるなどと、一体誰が予想しただろう?
『大島容疑者は三年ほど前から常用していたと思われ、他の二人についても、半年前から様子がおかしかったと関係者が証言しています』
アナウンサーが無機質な声で原稿を読んでいる。
音香には、泣けばいいのか、叫べばいいのか、それとも笑い飛ばせばいいのかも全く分からず、ひたすらぼんやりと時間を過ごした。
かろうじて職場に顔は出すが、仕事に身が入るわけもない。
音香が拓也と付き合っていたことなど、職場の人達は知らない。 仕事をする音香の周りで、大島の話が飛び交う。 ニュースのネタを毎日の生きる材料にしているような、年配のおばさんたちのいつもの出来事だ。
「いくら有名でも、やっていいことと悪いことがあるわよ!」
「一緒にやってた人も若い人ばかりだと言うし。 都会の人って、何を考えてるか分からないわ。 それにやっぱり都会って、怖い所だね!」
そんな冷たい言葉も、音香の耳には入ってしまう。 その中で、平静を装って仕事をすることが苦痛で仕方なかった。
食事も取れず、音香の体重は次第に減っていった。
自分の思いがどこにあるのか分からないまま、音香は自然と音楽からも遠ざかった。 当然、クロノスの活動も休止状態だ。
音香のもとには、裕里や朋美たちや、クロノスのメンバー達からも、何度か連絡があった。 影待もまた、かなりのショックを受けた声で音香に連絡をしてきた。
「俺たちとなかなか連絡が取れないのは、忙しい身だったから仕方ないだろうな程度に思っていたけど……まさか、やってるなんて考えもつかなかった。 ……アイツ、そんな誘惑に負けるような奴じゃないと信じてたのに……城沢も辛いだろうけど、思い詰めるなよ。 セブンスヘブンで気晴らしに呑んでもいいんだしさ!」
自分も強く落胆しているだろうに、それ以上に音香を気遣い心配してくれる影待の声が、ケータイの向こうで響いた。 頼んでもいないのにまるで弟子のようにいつもそばにいた拓也が、まさか人の道を外すことになるとは、影待自身も信じられなかっただろう。
マサトは
「アイツ、人を喜ばせるのが大好きでさ、そのためには手段を選ばないところがあったんだ。 まさかこんな形になるなんて、きっと本人も思ってなかったハズだ。 拓也はいつも一生懸命だから」
と拓也を全否定はしなかったし、裕里も
「きっと、大島に無理やり誘われたんだよ。 ほら、拓也くん、お人好しだし、相手が自分の師匠だし、断れなかったんじゃないかなぁ?」
と、何とか元気付けようとしてくれている。
音香もそれらを聞いているうちに、わずかながら気力が沸いてきていた。
やがて、拓也の判決が下った。
初犯であった事と、薬の使用状況、自身の更生を強く望む意向も酌み、三ヶ月の自宅謹慎という形になった。 それがテレビに映し出された時、音香の中で何かが変わった。




