拓也が来る日――
やがて、セブンスヘブンという、とっておきの場所でのライブ当日がやってきた。
朝から快晴。 透き通るような青空、少し冷たい風も、どことなく穏やかに吹いて衣服を揺らす。
だがそんな天気など、ライブハウスの中に入ってしまえば関係ないのだが、外は秋も終わりに近づいている。 観客たちも、防寒着で観に来る率が多くなってきた。
「あいつらの長袖なんか、まくってやるぜ!」
と訳の分からない叫び声を上げるナツユキ。 テンションがヘンに上がっている。
マスターや立木兄弟、影待たちスタッフ陣も、久しぶりに拓也と会えることを楽しみにしているようで、どことなく雰囲気が柔らかい。
音香は、楽屋の隅で入念にメイクをしていた。 ステージ映えがするように濃いめのメイクは当たり前なのだが、今日は特に念入りにした。 もう1時間以上も鏡の前に居座っている。
今日は拓也が観に来る日だ。
きっとライブ前の楽屋に来て、クロノスの士気を盛り上げてくれるに違いない。 あわよくば、サプライズとして拓也をステージに上げてしまおうか。
そう心を浮き立たせながら待っているが、開演十五分前になっても拓也の姿はいっこうに現れない。 連絡ひとつ、誰にも来ない。
「遅いね…………」
準備も終えステージに上がるだけの状態で心配そうに呟く音香に、時間つぶしのようにベースを爪弾いているマサトも、呟くように言った。
「もしかしたら、こっそりライブを観てて、後から酷評しに来るんじゃない?」
椅子に深々と腰掛けてベースを抱えるマサトのベーシスト姿も、だいぶ板についてきた。
「そーそー、あいつ、そういうの好きだし!」
ナツユキもあっけらかんと言う。 音香はそれでも落ち込んだ口調で言った。
「だといいけど……」
「そんなに心配なら、電話してみれば?」
ユウジの言葉に、音香は少し震える指でケータイを取った。
トゥルル、トゥルル……
五回コール…………十回コール…………
音香の心臓が破裂しそうに波打っている。
ガチャ……
「あ、あの!拓……」
『こちらは、留守番電話サービスです。 御用の方は……』
無機質な機械の声が響いた。
静かにケータイを閉じた音香に、待ちかねたようにユウジが声をかけた。
「どうだった?」
「出ない……」
音香は、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。 どうしようもない不安や胸のモヤモヤが襲う。
時は無情に――開演五分前。
ナツユキが勢いよく立ち上がった。
「アイツなら大丈夫だって! 今頃、会場の隅っこで俺らのことを待ってるさ。 オッカ、行くぞ!」
励ますように、ニッと笑顔を見せた。
音香は息をひとつ吐くと、大きくうなずいた。
「そうだね、観客は拓也だけじゃないもの。 来てくれた皆に楽しんでもらわなきゃ!」
「そうだぜ!」
そしてメンバー同士、いつもの気合い入れ――円陣を組んでゲンコツを合わせながら、瞳を閉じて念を込め、気持ちを高めた。
「行くぜ!クロノスっ!」
ナツユキの声に、皆も声を上げた。
「おうっ!」
まだ暗いステージで楽器の準備をする間も、観客から声援が飛んでいる。 最近は音香の名を呼ぶ声も聞こえるようになった。 最初は恥ずかしいだけだったが、最近はそのたびに
『せっかくお金を払って来てくれたんだ。 絶対損はさせない!』
と意気込むのだった。
メンバー達の準備が整ったのを見計らって、ユウジのドラムスティックが打ち鳴らされた。
「ワン、ツー、スリー!」
第一音と共に、パァッとステージの照明が一斉に点いた。
照明の立木兄ともタイミングバッチリだ。
ステージ上に鮮やかに浮かび上がるクロノスを前に、歓声が一段と高く響く。
影待の腕が鳴る。 低音と高音を操りながら、クロノスを彩っていく。
ナツユキもマサトもユウジもそしてオッカも、ステージの狭さを感じさせないほどに壮大な曲を披露していく。
観客の姿が見えても、よほど緊張することはなくなった音香。 だいぶ肝が据わってきた証拠だと、マスターのお墨付きだ。
拓也はどこに居るのか……
音香は、観客を煽り、演奏をしながら会場内に目を配った。
すると前列の隅の方に、裕里と朋美の姿が見えた。
朋美は今、妊娠六ヶ月らしい。 幸せ真っ只中だ。 生活も落ち着いてきたと、最近また連絡をくれるようになった。
『つわりも落ち着いているし、体調見て行くよ』
音香は朋美からのメールを思い出した。
『こんなハードロックじゃ、胎教に良いのかどうか分かんないけどね』
心の中で舌を出しながら二人に目配せをすると、大手を振って返してきた。
だが、肝心の拓也の姿が見つからない。
さほど広くない会場なので、よほど隅っこの暗がりにでも居ない限り、見えないことは無いはずだ。
もしかしたら、受付の小部屋でマスターと話し込んでいるのか……音香の心の中には、若干の乱れがあった。
とにかく演奏を間違えないように、集中しようと必死だった。
そして、とうとうライブ終了まで拓也の姿を見つけることが出来なかった。
もちろん、ライブ自体は最高に盛り上がった。 観客の拍手や声援は、いつも音香の心を癒し、活力を与えてくれる。
だが今日は、そんな有難く素晴らしい力も吸収できずにステージを後にすることになった。




