月への誓い
『あたし、皆に心配ばかりかけてる。 クロノスも凍結しちゃってるし……皆だって傷ついて、悩んで苦しんでるはずなのに、前に進もうとしてる。 あたしも立ち上がらなきゃ……』
音香は思い切ったようにケータイを取ると、裕里を呼んだ。 彼女は何も言わず、すぐに駆けつけてくれた。
「オッカ、おまたせ!」
息を上げながら喫茶店に入ってきた裕里を、先に席に着いていた音香が手を振って迎えた。
「随分痩せちゃったね」
裕里はそう心配そうに言いながら、まだ若干血の気が失せてやつれている音香の前に座った。 とりあえずのメイクも、肌荒れの性で粉をふいて余計に貧相に見える。 音香は無理やり微笑んだ。
「心配かけてごめんね。 いつまでも落ち込んでる場合じゃないよね?」
元気になりたがっている音香に気づき、裕里も微笑み返した。
「そうだよ、オッカはそうでなきゃ! 何か食べるでしょ?」
「スペシャルケーキセット!」
「じゃ、私も!」
二人はやがて目の前に並べられたケーキを頬張った。
「クロノスも続けるんでしょ?」
「うん、皆はもう次の曲を作り始めてるみたいだし。 あたしも負けてられないから」
「私も楽しみにしてるんだからね、新曲。 早くお披露目してよ」
「焦らない焦らない」
すっかり小さくなってしまった胃に無理やりケーキを押し込みながら、音香は話し始めた。
「拓也もきっと、苦しんでると思うんだ。 こんなことになって……」
裕里は黙って音香を見つめた。
「更生するのって、大変なのかどうかも分からないけど、見守ってようと思う」
「拓也くんと、連絡は?」
音香は首を横に振った。
「またケータイ替えたみたいで、『使われてません』って」
裕里は驚いて目を見開いた。 何か言いそうになる彼女を制するように、音香は続けた。
「でもさ、あいつのことだから、急に電話でもかけてきて『ただいま!』とか言いそうだしね!」
フォークを皿の上に置いて椅子にもたれた裕里は、肩を落とした。
「まぁ、そんな事しそうだけど……でもそれじゃあ、先が見えないじゃん?」
「うん、それでも……あたしはそうすることしか出来ないから」
裕里にも、音香がこれ以上拓也の傍には行けない事は分かっていた。 音香の気持ちが固まっている事に気付き、それ以上は言わなかった。
拓也から連絡が入るのがいつになるのか、全く予想も出来ない。 だが、もし音香の事を少しでも心の拠り所にしているなら、待ち続けてあげたい。
音香に出来ることがそれ位しか思いつけない事が悔しかったが、せめて出来るだけの事はしてあげたい。 拓也は今どこで何を思っているのか、すぐにでも手を差し伸べてあげられない自分を強く悔やみながら、音香はそんな思いを振り切るように再びギターを握った。
クロノスが動き始めた。
音香がライブの予約を取るために、久しぶりにセブンスヘブンへ行くと
「オッカ! 心配していたんですよ? スタッフの皆も……」
とマスターが安どの表情で言った。音香は頭に手をやって苦笑した。
「ごめんなさい、心配かけて。 もう大丈夫です。 またクロノスが復活するので、ここでライブをやらせてください!」
「それはもう、どうぞどうぞ! 待っていましたよ!」
そして、いつもの調子を取り戻したように、音香は音楽活動を再開した。
ナツユキ、マサト、ユウジと話し合って、ライブのタイトルを『拓也エイド』と名付けてライブを計画した。
もちろん、売り上げの一部は拓也の為に……。 とは言え、誰も連絡が取れない今、使い道がどうなるか分からないが、いつか拓也と繋がった時にでも役に立ててもらおうと貯めておくことにした。
そして『拓也エイド』と銘打ったからには、拓也が居たころのクロノスの曲を中心にセットリストを組むことにした。
音香以外の三人の脳裏には、拓也も交えてバンドを結成した当時から、数々の努力を経て勝ち得た人気、時には喧嘩をして仲直りを繰り返し、続けてきた軌跡が思い起こされるのだろう。 演奏する姿がどこか物思いにふけるようだ。
ささやかながら、音香も昔のクロノスファンに喜んでもらえるようにと、練習に余念がなかった。
そんなある日、音香が気晴らしにセブンスヘブンで呑んでいると、
カランカランカラン……
と扉のベルと共に影待が入ってきた。 彼は音香に気付くなり、驚いたように小走りで近づいた。 音香は、影待には改めて連絡をしていなかったことに初めて気付いた。
「も、もう、大丈夫なのか?」
「あ、はい、もう大丈夫です! 心配かけて、すみませんでしたっ!」
すでに酔いが回っている音香は、ふざけて敬礼をやって見せた。
それでも影待は少しホッとしたような表情を浮かべて肩の力を抜くと、スッと音香の隣に座り、いつものようにコーヒーを注文した。
「ホント、先生ってお酒呑まないよね? 呑んでるところ、見たことないもんねぇ」
音香が言うと、影待はタバコに近づけていた火を遠ざけて、焦るように言った。
「呑まないんじゃなくて呑めないの。 下戸!」
「じゃあ、何でココに来るの? ココ、バーだよ?」
毒づく音香に、マスターが苦笑いをしている。
「まあまあ、仲良くね」
上品にコーヒーを差し出すマスター。 影待はペコリと軽く頭を下げて、そっと口をつけた。
「俺はまだ、引きずってるけどな……」
呟くように言う影待を、音香は白い目で見た。 すぐに拓也のことだと気付いたからだ。
「先生、男らしくないねぇ」
「だって……」
「だってもあさっても無い! 拓也だって、今一生懸命頑張ってるの! だからあたしたちも頑張らなきゃなんないの! クロノスだって、完全復活させるんだから!」
詰め寄る音香に、影待は押され気味に言った。
「だけど連絡は? 繋がってるのか?」
「いいえ! だけど、生きてる限りいつか必ず繋がる! と言うわけで、今度クロノスがココでライブやるからよろしく!」
影待は軽々しく肩に手を置く目の据わった音香に戸惑いながら、懐からケータイを取り、スケジュールを確認した。
「この前聞いた。 来月の二日、日曜だろ?」
「そう!」
ポンポンと肩を叩く音香の手をそっと避け、ケータイを仕舞った。
「城沢は強いな」
ぼそっとつぶやくと、音香は笑った。
「強くなんて無いよ。 皆だってそう。 でも前向かなきゃ仕方ないでしょ。 立ち止まってても何も良いことなんて無いんだから!」
音香は確実に未来へと思いを馳せていた。 マスターは
「頼もしくなりましたね」
と音香に微笑み
「それに比べて……」
と何かを含んだ微笑みで影待の方を見ると、彼は慌てたようにメガネを上げた。
「わ、分かってるよ! 俺だって苦労してんだ!」
静かに流れるジャズに、三人の笑い声が混じった。
帰り際、一緒に店の外に出た音香と影待。
「送って行こうか?」
と言う影待に、音香は首を横に振った。
「今日はゆっくり歩いて帰りたいから」
心配だからと念を押されたが、音香は丁寧に断った。 決して影待に嫌気が差していたわけではなく、満点の星空の下をのんびり歩いて酔いを醒ましたかったのだ。
影待は、車に乗り込みながら言った。
「そうか、じゃあ気をつけて」
「ありがとう、先生。 あと、心配かけてごめんなさい」
改めて言った音香の言葉に、影待が一呼吸置いて言った。
「城沢……」
「?」
まだアルコールでフワフワする頭で首を傾げる音香に、影待はフッと息をついた。
「とにかく、元気になったみたいで、よかった」
音香は笑顔で大きくうなずいて、手を振って踵を返すと家路に着いた。
ゆっくりと歩きながら見上げる冬の夜空は、澄み切った黒い空に幾つもの星が光を放っていた。 顔全体を撫でていく冷風は、心の膜を取り去るように厳しく通り過ぎていく。
「あたしはまだ、頑張れる!」
音香はひとり、空にぽっかり浮かぶ月に誓った。




