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音香彩々  作者: 天猫紅楼
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28/50

新たな旅立ちの扉!

 拓也が飛び立った日から二週間ほど経った。

 音香はまだ、自分の部屋から出ようとしなかった。 心までもが殻を被ったように閉じこもっていた。

 拓也との思い出は、ライブ会場で撮った数枚の写真や、忙しい合間を縫って重ねたデートの余韻。

 付き合い始めてから三ヶ月と少し。

 その間に、季節は秋から冬も終わりに近づいていた。

 今まで生きてきた中で、一番充実した年末年始を過ごした。

 

 クリスマス当日はクロノスのライブだった。

 拓也はステージの上から音香を見つけると、器用に指で挟んだピックを投げた。 うまくキャッチした音香の掌には直筆で『LOVE YOU』と書かれたピックが収まり、ライブ後にはちゃんとプレゼントも用意してくれていた。

 年末の夜は除夜の鐘も二人で鳴らしたし、おみくじも引いた。 『中吉』を引いた音香は、拓也に

「お前、なんて中途半端だよ!」

と、容赦なくからかわれた。 そんな彼が引いたのは『大吉』だった。

 雪がちらつくなか、二人で暖を取り合うように寄り添いながら歩いたことも、全てが心に深く根付いた思い出。

 どれも大切で、楽しくて、忘れたくない思い出ばかり。

 次々に思い出されるたびに、音香は心が沈んでいく。

 拓也はもう、音香の隣には居ないのだ。

 

 

「俺も止めたんだ。 あまり大きな夢を見るなって、説得しようとしたけどアイツ、絶対成功してみせるからって、全く話を聞こうとしなかった……」

 影待も、半ば悔しそうに電話の向こうで残念がっていた。 ギター教室を少しの間、休みたいと連絡した時の話だ。 影待もそんな音香の気持ちを理解したように理由は聞かずに、

「また気が向いたらでいいから。 だけどあまり思いつめるなよ」

と声をかけた。

 裕里もまた、

「駅前に美味しいケーキ屋さんが出来たんだって! 一緒に行こうよ!」

と気遣ってくれる。

 本当に有難い。

 まだ外には出たくない気持ちと、心配してくれている皆の思いに答えなくちゃという気持ち。

 音香は、ベッドの傍らに立てかけてあるギターをちらりと見た。

 まだ手に取る気になれない。

 ボディには、ホコリがうっすらと溜まり始めていた。

 そのまま何をするでもなく、何度もゴロゴロとベッドで寝返りを打っていると、ケータイの着信音が鳴った。 聞き馴染みの無い着信音に、

『非通知のイタズラかな?』

と思いながら見ると、知らない番号が表示されていた。

『誰でもいいか……』

 半ばヤケ気味にケータイを取った。

 

 

「もしもし?」

 

 

「!」

 音香は思わず飛び起きた。

「た……拓也?」

 電話の向こうから聞こえた声は、紛れもなく拓也の声だった。

「元気か、オッカ?」

 あの時と同じ、明るく元気な声だ。 音香はかろうじて声を出した。

「ん……」

「やっぱそうか」

 すぐに勘付いた拓也は、ため息をついた。

「ごめん……」

 拓也の前では、心配させないように気丈でいようと思ったのに、いざ声を聞くと心が折れそうになる。 わざわざ電話をかけてくれたことが素直に嬉しい。 音香は気持ちを奮い立たせた。

「拓也の方こそ、どう? 生活出来てる?」

 何しろ、今まで勤めていた職場をすっぱり辞めての上京だ。 退職金が入るのはまだ先だし、それもきっと微々たるものだ。 部屋探しから始まり、引越、ひとまずの仕事探しなど、やる事は山積みだった出発前を知っているだけに、ちゃんと食べているのかどうか心配になる。

 拓也は軽く笑った。

「大丈夫さ。 一応、当面のバイト先も見つけたし、今は音楽の勉強をしながら、色んな音楽会社を回ってる。 どこかで、下っ端でもいいから使ってもらえないかって思ってさ」

「イチから始めてるんだね」

「そう。 東京ココでは、今までのクロノスの人気なんて知ってる人はゼロだ。 無知の一般人から再出発!」

「大変そう……」

 音香が心配気な声で言うと、拓也はいいや、と笑った。

「これはこれで楽しんでるよ。 オッカがいつも言ってたろ? 『何でも楽しむことだ』って。 その言葉もらったから、大丈夫だよ。 心配すんな!」

「拓也、無理しないでね」

 音香の心配をよそに、拓也はとても充実した生活を送っているようだ。 彼は続けた。

「オッカ、こんな俺からで申し訳ないんだけど、ひとつ頼みがあるんだ」

「何? 何でも言って! あたしに出来ることなら何でもやるよ!」

 音香は、自分に出来ることなら何でもしてあげたいと、強く思った。 拓也は、そうか、と嬉しそうに言った後、はっきりとした言葉で言った。

 

「クロノスに入ってくれないかな?」

 

「へっ?」

 音香は自分の耳を疑った。

「今、なんて?」

「クロノスのメンバーになってくれないかって、言ったんだ」

「えええっ? 何言ってんの? あたし、拓也の代わりのベースなんて弾けないよ!」

「いや、オッカには、ベーシストじゃなくて、ギタリストとしてお願いしたいんだ」

「ちょ、ちょっと、そんな勝手な! 急に! そんな事言われても、困る!」

 音香はすっかり動揺していた。 小さな部屋の中に、音香のひとり慌てふためく声が響く。

「そっ、それに、ナツユキとか、他のメンバーは何て言ってんのよ?」

 拓也の返答は、音香の予想を軽く覆した。

「いや、それがさ、皆が言ってきたんだよ、俺に。 オッカ、遊びなりにも俺らの曲をコピーして遊んでたじゃん? だから、本気だせばバンドメンバーとして出来るんじゃねーかなって。 クロノスっていうバンドを消したくないのは、皆同じ気持ちなんだ。 ベースはマサトがやってくれる。 だから、ギターをお願い!」

「ちょっと! そんな簡単に決められることなの? クロノスは、拓也がいなきゃクロノスじゃないんだよ! だからラストライブをやったんじゃない?」

 拓也の上京が決まり、当然彼はクロノスを抜けることになり、メンバー全員でしっかりと話し合ったので揉めることこそなかったが、これ以上クロノスを続けることが出来なくなるのは必至だった。 だから、クロノスにとって最高のラストライブをセブンスヘブンでやったのだ。

「あの時の感動はどこ行っちゃったのよ?」

 お前たちのクロノス愛はそんなものなのかとまくしたてると、拓也はいたって真面目な口調で言った。

「勿論、俺が居たクロノスは、あれで終了した。 けど、これからは残ったメンバーとオッカで『新生クロノス』としてやっていくんだ!」

「拓也ぁ……」

「あいつら、クロノスを簡単に考えてなんか無い。 これは全員一致で決めたことだ。 実は何となくさ、ラストライブが決まった時にもうそんな雰囲気だったんだ」

「そんな前から?」

「そう。 オッカじゃなきゃダメだって。 男だとか女だとか関係なく、オッカだから入って欲しいんだ!」

 拓也に力説され、音香はすっかり言葉を失ってしまった。

 そんなこと、誰からも一言も言われなかった。 空港で拓也を見送りした時も、クロノスのメンバーはそこに居たのに、そんな空気は全く感じられなかった。

 皆、別れを惜しんで握手をしたり抱き合ったり。

 そして、拓也が乗った飛行機が見えなくなるまで、デッキで並んでずっと空を見つめていた。

 

 

「こっちの生活が落ち着いてから、俺からオッカに頼む計画だったんで、こんなタイミングになっちまったけど、本当は皆首を長くして待ってるんだ」

「本当に勝手な人たちね……」

 音香は呆れてしまった。

「オッカにしか出来ないんだ。 頼む!」

 電話口とはいえ、真剣そのものの拓也を感じ取った音香は、ため息をついた。

 

「……わかった」

 

「本当?」

「だけど、前のクロノスを越える自信はないからね!」

「そんなの、やってみなきゃわかんねーだろ? 大丈夫だ、オッカなら新生クロノスを盛り上げてくれるって信じてるから! 引き受けてくれてありがとう、オッカ!」

 お礼を言われる筋合いはない。

 音香の方こそ、拓也たちに感謝だ。

 落ち込み暗かった世界に、新しい道を作ってくれた。

 拓也は一足先に新しい道を歩き始めている。 音香も見習わなくては。 何より、拓也の声が聞けたことは、大きな元気の素になった。

 

 ケータイを切ったあと、音香は久しぶりにギターを手に取った。

 うっすらと積もったホコリがはらはらと落ちた。

「まずは綺麗にしなくちゃね……」

 音香はひとり、苦笑いをした。

 しばらく経って、ナツユキから連絡が入った。

「オッカ、ありがとう! 受けてくれるって信じてたけど、やっぱり嬉しいや! これからよろしくな! 皆も喜んでるよ! ほらっ!」

 興奮した声のナツユキの後ろで、楽器の音とマサトやユウジの声が聞こえる。

「こちらこそ。 こんなあたしで良かったら……とにかく頑張ってみるよ」

 かくして、新生クロノスのメンバーに城沢音香:オッカが加入した。

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