拓也の夢
「オッカ、すげーじゃん!」
拓也の喜ぶ様は半端がなかった。
夕食時の家族連れやカップルで賑わうハンバーグレストランの中、音香がおずおずと渡した真っ白で飾り気のないCDを前に、まるで自分の事のように嬉しさを爆発させていた。
「あーー、俺も神にレコーディングしてもらいてーなぁーー!」
と人目もはばからず叫ぶ彼に、周りの客たちや店員が怪訝な視線を送る。 音香は拓也の様子に呆れながら、軽く答えた。
「一応先生に言ってみたら、いつでもどうぞってさ。 自分で言ってこればいいのにって、笑ってたよ?」
「えーーっ!」
途端に拓也は目を丸くして驚き、そして今にも踊りだしそうにはちきれんばかりの笑顔を見せた。 まるで子供のように、落ち着き無く体を揺すっている。 そこに音香が一言付け足した。
「でも、代金は請求するって!」
「ひゃあ~! やっぱ抜け目ねぇよなぁ!」
拓也は『やられました』とばかりに額に手を当てながら笑った。 さっきから彼はテンションが上がりっぱなしだ。 やがて注文したハンバーグセットが運ばれてきて、いったん話は中断した。 それを食べ終わる頃には、拓也もだいぶ落ち着いていた。 音香は本当に美味しそうにハンバーグを食べる拓也を眺めながら、とても和んだ気持ちを感じていた。
『あたしが作った料理を食べる時にも、こんな風に美味しそうに食べてくれるかしら?』
ふとよぎった思いに、そっと一人で頬を赤らめた。
そして数分後――
「俺さ…………」
拓也は食後のコーヒーに口を付けながら、急に神妙な面持ちになった。
さっきとは打って変わって、しかも珍しく真面目な拓也の表情に、音香は戸惑ってしまった。
「どうしたの、突然改まっちゃって?」
「……うん……」
少し躊躇しながら拓也が話し始めたソレは、音香の予想を遥かに上回るものだった。
「オッカ、すごいじゃん!」
次の日曜日の昼下がり、行きつけの喫茶店にて、裕里もまた拓也と同じように喜びの笑顔を音香に見せた。 二人とも、もしかしたら音香本人よりも興奮している様子だった。
だが音香は、自分のギターの音に自信を無くしかけていた。 勿論、ちゃんとしたレッスンを受けていないボーカルなどもってのほかだ。
予想を反して、軽く重みのない音と声。
こんなものでは、何も伝わらない。
音楽とはこんなものじゃない。
もっと心に染み込んだり、突き刺さったり、温かくなったり、切なくなったり、何らかの感情を呼び起こすものなのだ。
音香のなかで、音楽に対する気力が薄れてきていた。
それと共に、先日拓也から聞いた言葉が、心に深く突き刺さっていた。 裕里を呼び出したのは、それを相談したかった事も含んでいた。
真っ白なCDを手に取り、しげしげと見つめる裕里。
「帰ったら、速攻聞くからね! ありがとう! 楽しみだなー!」
微笑みながら大事そうにカバンに仕舞い終えたのを見計らって、音香は話を切り出した。
「ね、この間、拓也に会ったんだけど……」
「うん、デート? どうなのよ? 仲良くやってるの?」
にっこりと微笑みながら聞き返す裕里。 注文したケーキセットが二人の前に並べられた。 豪華にフルーツが盛られたタルトは裕里のお気に入りだ。
「ここの、すごく美味しいのよねー!」
満面の笑みでぱくつき始める裕里。 音香はベルギーチョコをふんだんに使ったチョコレートケーキにフォークを入れた。 ふんわりとしたスポンジとくどくない甘さが、頭の中まで落ち着かせるようだ。
フゥッと息をつくと、音香は話を始めた。
「あのね、拓也に新しい夢ができたんだって」
「へえ! 何、何?」
そう聞きながら、裕里の瞳はタルトに夢中だ。
「拓也、音楽プロデューサーになりたいんだって」
「え、オッカ、それって……?」
裕里の手が止まり、音香を見つめた。
「うん、東京、行っちゃうかもしれない」
「ええっ? 本当に?」
「……多分」
目を伏せる音香に、裕里が身を乗り出した。
「で、引き止めたんでしょうね?」
音香は俯いたまま、黙って首を横に振った。
「何でよ? 彼が離れて行っちゃうんだよ? 何で引き止めないの?」
「うん……」
音香は背もたれに背中を預けた。 キィ……と木がきしむ音が聞こえた。
「最近っていうか、先生と知り合ってから、拓也、すごく音楽にのめり込んでてさ。 バンドはもちろんそれまで通りライブもやってたけど、それ以外にも他の楽器の勉強をしたりとか。 とにかく入れ込んじゃって。 もともと好きだったんだろうけど、何か、あたしよりもっていう感じがしてさ……すごく楽しそうにしてるんだ、音楽と向き合ってる時の拓也ってさ、ホント、それこそ子供が夢中になるアレと一緒っていうか……周りの事も気にならないくらい集中してて」
裕里は黙って聞いていた。
「だから……あたしが引き止めることで、拓也の夢とか可能性とか、壊したくないし、そんな権利無いし」
「黙ってサヨナラするわけ?」
「ん……」
音香は正直、まだ迷っていた。 その心には、拓也のある一言が引っかかっていた。
「『影待さんにオッカを取られるなら、それでもいい』って言われたことがあるんだ」
それは、セブンスヘブンでの初ライブで影待と戦い、和解したあと、帰り道で音香に言った言葉だった。 その時は彼もすごく興奮していたし、その勢いでの冗談だったのかもしれない。
だが、今でも本当に心からそう思うなら……
「あたしよりも、音楽の方が好きなら、仕方ないのかなって」
音香は無理やり笑顔を見せたが、裕里にはお見通しだ。 ひとつため息をつくと、静かにフォークを置いた。
「それでいいの? 東京に行っちゃったら、もう会えなくなるかもしれないんだよ?」
「じゃあ、拓也はどうなるの? せっかく掴もうとしてる夢を棒に振って、こんな片田舎で細々と生活していくの? そんなの勿体無いじゃん。 失敗したら、帰ってこればいいんだし……」
「待ってるつもりなんだ?」
裕里は黒目がちな瞳をまっすぐに音香へと向け、切なそうに言った。
「長いかもしれないよ? ……もしかしたら、もう二度と帰ってこないかもしれない。 声も聞けなくなるかもしれないんだよ?」
裕里の言葉は、どれも音香を不安にさせるものばかりだった。 だがそれは、裕里にとっての確認でもあった。 その反応を見て、音香の気持ちを知りたかったのだろう。 音香は、裕里と話しているうちに心が固まってきていた。
「うん、それでいい。 拓也が進む道だもん。 彼が自分を信じて進む気でいるなら、応援するのがあたしの役目だと思うの」
さっきとは違う、少し吹っ切れたような音香の顔を見て、裕里は息をついた。
「あんたはホントにお人好しだねぇ。 ……じゃあ、その気持ち、彼に伝えなよ? でもその前に、もう一度ちゃんと考えるんだよ?」
裕里の、まるで母のような言葉に、音香は大きくうなずいた。
「分かってる。 後悔したくないから。 でもやっぱり、裕里に相談して良かった!」
音香の表情に意思の強さを感じ取ったのか、裕里はやっと微笑んだ。
「そっか。 じゃ、御代の代わりにそのチョコレートケーキもーらい!」
「なんでよ! じゃ、あたしも!」
「あんたにはこの上のリンゴだけあげる!」
「ちょっと! ずるい!」
二人の明るい声が喫茶店に響いた。
数日後、音香は拓也に会いに行った。
小さなライブハウスでのライブが終わった、ステージ裏でのことだ。 拓也以外のバンドメンバー達は、楽屋に入って帰り支度をしている。
「ごめんね、忙しいのに」
「いや、来てくれてありがとう、オッカ。 俺こそあまり時間取れなくてごめん」
首にかけたタオルで汗を拭きながら、拓也は興奮が残っている赤らんだ顔で微笑んだ。 全力を出し切った後の、清々しい表情だ。 それを名残惜しそうに見つめながら
「あの、この間の話のことなんだけど……」
と音香が切り出すと、拓也は途端に表情を曇らせて楽屋の方へと視線を移した。 そして、そっと楽屋の扉を閉じた。
「オッカ、俺……」
「あのね、心変わりとかじゃないの。 もう一度、ちゃんと伝えたくて、ここに来たの」
「オッカ?」
「あたしには応援することしか出来ないし、一緒に居ても邪魔するだけだと思うの。 だから、ここに残って拓也の事を応援することにしたの」
「…………」
「そりゃ、淋しいけどさ……拓也の夢だし……あれ……?」
音香の頬を涙が伝い落ちた。 拓也の瞳が動揺したように揺れた。
「あれ、泣きに来たつもりじゃないんだけどな……」
強引に袖で涙をふいて笑顔を見せようとしたが、どうしてもうまくいかなかった。 強張っていく頬に、何度も手を当てていると、腕をつかまれ引き寄せられた。
拓也は精一杯の気持ちを込めて、音香を抱きしめていた。
「……ダメだったら、いつでも帰っておいで……」
と悪態をつくのが精一杯だった。
「オッカ……ごめんな、ありがとう」
遠くで次のライブが盛り上がっている音が聞こえる中、薄暗いステージ裏では、二人が最後の抱擁をしていた。
「拓也……ファン第一号になってもいい?」
「もちろん。 会員番号一番な」
拓也は微笑んで、音香の唇に自分のソレをそっと落とした。




