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音香彩々  作者: 天猫紅楼
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29/50

新生クロノスが近づく夜

 音香はギター教室を辞めた。

 新生クロノスに加入することになり、今までのように影待に頼ってばかりではいけないと感じたのだ。

 理由を話すと、影待も理解してくれた。

「そうか、城沢の考え、前向きで良いと思うよ。 勿論、何かあれば俺も協力させてもらうし、応援してるから。 頑張れよ!」

と、快く背中を押してくれた。 口調が若干淋しそうではあったが、生徒が減り収入がそれだけ減るのだから無理もないと音香は思った。

 次に音香はマスターに会い、セブンスヘブンのバイトを辞めさせてもらうことを伝えた。

 屋号が出来るのであれば、新生クロノスに集中したかったし、なにより音香は新人だ。 クロノスのメンバーとして恥ずかしくないように、落ち着くまでは余計な仕事を入れたくなかった。 音香もそこまで器用じゃない。

 マスターもまた最初は残念そうな表情をしたが、すぐに頷いてくれた。

「オッカの活動、応援するからね! たまには呑みに来てよ?」

 勿論、時間を作ってでも顔を出すつもりでいた。 音香にとって、セブンスヘブンは今の自分を創ってくれた基盤でもあるし、愚痴を聞いてくれ、心穏やかで居られる唯一の場所でもあった。

 知らせを聞いた裕里もまた驚き、音香がステージに立つことを喜んだ。

「勿論応援するよ! ライブがあったら必ず教えてよね! オッカがバンドだなんて、考えもつかなかったけど、そういう道もあったんだね! なんだか私まで嬉しくなってくるよ!」

 たくさんの声に励まされ、元気をもらった。 次は皆に返す番だ。 音香の心は希望に満ち溢れた。 そして相変わらずの不安にも苛まれていたのも、事実だった。

 

 

 新生クロノスになって初のバンド練習の二日前、音香はマサトに連絡をした。

 最初は驚いたような反応を示したマサトだったが、すぐに事情を理解し、音香の待つセブンスヘブンを訪れた。

「お待たせ、オッカ!」

 時間通りにラフな服装で現れたマサトは、軽い足取りで音香の隣に座った。 そして持っていた茶封筒を丁寧にカウンターに乗せた。

「はい、これ」

「ありがとう。 ごめんね、急に呼び出しちゃって……」

 申し訳なさそうにペコリと頭を下げて茶封筒を受け取った音香は、丁寧に封を開けて中を覗いた。

「オッカは練習熱心だね。 感心したよ」

 マサトは優しく微笑みながら言い、マスターにカクテルを注文した。

 

 切谷将人キリヤ マサト。 二十七歳。 拓也の同級生だ。

 クロノスを結成した時、一番初めは拓也とマサトから始まった。 細身で背が高く、いつも温厚な表情なので、優しい印象を受ける。 緩やかなウェーブの金髪もよく似合い、少したれ目な性か、不思議ときつい感じがしない。 大人しめな雰囲気をしているが、元気を振りまき暴走するナツユキと拓也のストッパー。 ドラムのユウジはマイペースで放任主義なので、限度を過ぎると、そこに釘を刺すのはいつもマサトの役目だった。 いつも周りを冷静に見ているのか、細かいことにも気が付いて気遣いが出来る。 なので、クロノスがまとまることが出来ているのは彼が居るおかげなのだと、音香は密かに思っている。

 

 そのこともあって、ここで頼れるのはマサトだけだと思って相談をしたのだった。

「できるだけ、皆に迷惑かけたくないからね。 あ、マサトにはもう迷惑かけちゃったか……」

 音香は少し照れ笑いを浮かべた。 そして中から取り出したのは、譜面の束だった。

「クロノスの、ですか?」

 マスターが控えめに尋ね、音香はうなずいた。

「そう。 一応遊びでコピーはしてたけど、しっかりした演奏が出来るわけじゃないし。 クロノスのギタリストしてたマサトに、助けてもらおうと思って」

「一応譜面の形はしてるけど、ライブではその場の雰囲気で変えちゃうところもあるから、それは場数を踏むしかないかな。 そんなに難しく考えることはないと思うけどね」

 マサトは出来上がったウーロンハイに口をつけた。 そして呟くように言った。

「俺もベーシストに関しては新人だからね。 オッカに負けてられないや」

 音香がうなずきながら譜面をなぞっている。

「オッカ、聞いてませんね」

 マスターが苦笑いをして言うと、音香はふっと顔を上げた。

「何?」

 マスターとマサトが笑うのを見て、音香は首をかしげた。

「そういえば、マサトもベースは初めてなんだよね? よかったの? もしかしてあたしの為に、無理して譲ってくれたの?」

 マサトは首を横に振った。

「違うよ。 俺も俺なりに思うところがあってさ。 それにオッカには、是非クロノスに入って欲しかったから」

「そんな……そんな、皆期待し過ぎなんだよ……でも、引き受けたからには、頑張らなきゃね!」

 音香はきゅっと唇をつむって、小さく拳を上げた。 マサトはそれを見て、同意するようにうなずいた。

「ベース自体は、経験したことがあるんですか?」

 マスターの問いに、マサトは苦笑いをして頭をかいた。

「それが……一応家にはあって、たまに弾くことはあったんですけど、実際ライブで弾くっていうのはまだやったことがないんです。 だから、正直不安で……」

「拓也に教わってたの?」

 音香の問いに、マサトはかぶりを振った。

「たまに遊びで教えてもらったことはあったけど、ほとんどは独学。 それに、何でも出来たほうが、アーティスト的にもカッコいいかなって思って」

『拓也と同じだ……』

 音楽に対して貪欲だった拓也と同じように、マサトも意外に野心家なのかもしれない、と音香は思った。 音香の脳裏に、ステージ上で弾ける拓也が思い返された。

「拓也もすごく楽しそうに弾いてたもんね。 マサトもそれくらい身になるように頑張んなきゃね」

 軽い口調で言った音香。 するとマサトは、静かにフッと視線を外した。

「?」

 少し不思議に思いながらも、音香はまた楽譜に目を通していたが、カウンターのぼんやりした明かりの下ではすぐに目が疲れてしまい、仕方なくまた封筒に仕舞った。 後は家で練習するしかない。 そして

「ベースなんて四本しか弦が無いし、簡単そうに思えるけどな」

と音香が何気なく言った言葉に、今度はマスターが激しく反応した。

「何を言ってるんですか? ドラムに並んで、ベースは曲のリズム隊。 縁の下の力持ちなんですよ。 リズムが崩れたら、その曲は曲でなくなってしまうんです。 それくらい、大切なパートなんですよ!」

 いきなり怒涛のように話すマスターに面食らった音香は、苦笑いをしながら必死に彼を抑えた。

「ご、ごめんなさい、そんなつもりで言ったわけじゃないの。 落ち着いて、マスター」

 マサトもそれを見ながら苦笑している。

「マスターも、ベーシストでしたもんね」

 彼は大きくうなずいた。 鼻息が荒い。 珍しく熱くなっているようだ。

「確かに、ベースはギターよりも簡単に見えるかもしれないし、実際、俺もそう思ってたから。 オッカもやってみたら分かるよ。 曲を支える荷の重さが」

 マサトは悟りきったように落ち着いた表情をしていた。

「はあ、びっくりした。 そんなつもりなかったのに」

 音香が動揺しながらマスターを見ると、静かに微笑む、いつもの彼になっていた。 芯の部分では、まだマスターはアーティストであり、音楽を愛しているのだと、音香は思った。

 

 それからいつものように他愛無い話をした後、帰ろうとした音香をマサトが家まで送ってくれた。 というより、マサトも歩きで来たこともあって、一緒に帰ってくれるというだけだったのだが。

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