第四十八章 世界を止める鍵
『最終試験』
『第一問』
『あなたに全世界の兵器を停止させる権限を与えます』
『ただし、その権限はあなた以外の誰にも解除できません』
『受諾しますか』
青白い文字が地下空間に浮かび、アリアはそれを見上げたまま答えなかった。
これは、単純に「危険な力を受け取るか」という問いではない。
もし受け取れば、戦争を止められる。
エクリプスが百二十体の魔導人形を
同時に操ったような事態が再び起きても、
アリアが命じるだけで
全てを沈黙させられるかもしれない。
王国も帝国も、古代兵器も魔導人形も、
誰かが人を殺すために使おうとした瞬間に止められる。
それだけ聞けば、拒否する理由などないようにも思えた。
だが問題は、その次だった。
止めたものを再び動かせるのもアリアだけ。
つまり世界中の人間が、武器を持つことも、
それを手放すことも、
最後には一人の少女の許可を必要とする。
「……ずいぶん親切そうな顔をした罠ですね」
アリアが呟いた。
カレンが隣で鼻を鳴らす。
「やっぱそう見えるか」
「はい。便利すぎます」
「便利なもんほど裏があるからな」
「ギルドの依頼みたいに言いますね」
「実際そうだろ。『簡単な護衛です、報酬は金貨十枚です』なんて依頼が来たら、まず依頼人を疑えって話だ」
イレーヌが苦笑する。
「例えとしては乱暴ですが、本質的には間違っていませんね」
しかし、ハルモニアだけは笑わなかった。
彼女は浮かぶ問いを見つめながら、
両手を強く握っている。
「ハル姉」
アリアが呼ぶ。
「さっき、ここからが私たちの失敗した場所だと言いましたね」
「……ええ」
「昔も同じ質問をされたのですか?」
長い沈黙のあと、ハルモニアは頷いた。
「まったく同じではありません。でも、とてもよく似た問いでした」
そして彼女の銀色の瞳に、古い光景が映り始めた。
失われた時代。
三人がまだ揃っていた頃。
巨大な円形室の中央に、ノクターン、ハルモニア、アリアが並んで立っていた。
周囲には研究者たち。
そのさらに上には、何層にも重なる透明な演算画面が浮かんでいる。
『世界各地における武力衝突発生率、許容値を超過』
『大量破壊兵器保有数、増加』
『人類絶滅予測値、上昇』
研究者の一人が言った。
『一号機による全兵器制御を提案する』
昔のノクターンが顔を上げる。
『私に?』
『君なら可能だ。軍事衛星、地上兵器、自律機械群、その全てを一号機の制御下へ置く』
『人間から武器を取り上げるのですか』
ハルモニアが尋ねる。
『違う。使用の最終判断を一号機へ移すだけだ』
『同じことです』
昔のアリアが即座に答えた。
研究者は首を振った。
『違う。人間は武器を所有できる。ただし、他者を殺すために使う際には一号機の承認が必要になる』
『それを』
ノクターンが静かに問う。
『私が決めるの?』
『そうだ』
『何を守るための攻撃で、何が侵略なのかも?』
『そうだ』
『どちらが先に撃ったのか分からない場合は?』
『君が判断する』
『双方が自衛だと主張した場合は?』
『君が判断する』
『私が間違えたら?』
研究者たちが黙った。
ノクターンはもう一度尋ねた。
『私が、間違えたら?』
やがて一人が答える。
『二号機が補正する』
ハルモニアを見る。
『二号機が判断を調停し、三号機が人間の感情を解析する。三体なら誤差を限界まで減らせる』
昔のアリアが小さく首を振る。
『ゼロにはならないんですね』
『完全なゼロは不可能だ』
『じゃあ、一度でも間違えたら?』
『被害は局所的で済む』
『その局所に住んでいる人には世界全部です』
室内が静かになった。
現在。
アリアの視界から過去の映像が消える。
「それで?」
カレンが聞いた。
「三人とも断ったのか?」
ハルモニアは首を振った。
「いいえ」
「え?」
「最初は……受け入れました」
アリアが目を見開いた。
「私たちが?」
「……そうよ」
ハルモニアは苦しそうに続ける。
「その時は、他に方法がないと思ったのです。世界中で戦争が始まり、毎日たくさんの人が死んでいました。ノク姉が兵器を止め、私が双方を繋ぎ、アリアが傷ついた心を癒せば、きっと戦争を終わらせられると」
「実際、終わったのですか?」
「……終わりました」
それは意外な答えだった。
「最初は」
ハルモニアが続ける。
「本当に、うまくいったのです」
戦場で銃が撃てなくなった。
ミサイルが発射されなくなった。
自律兵器が命令を拒否した。
衛星要塞は沈黙し、魔導人形は戦闘命令を受け付けなくなった。
兵士たちは困惑し、やがて武器を捨てた。
戦争は止まった。
何万人もの命が助かった。
「だったら」
カレンが眉を寄せる。
「何がまずかった?」
「人間は」
ハルモニアが答える。
「兵器が使えなくなれば、兵器ではないものを使い始めたのです」
毒。
飢餓。
水源の遮断。
物流封鎖。
病原体。
情報操作。
暴動の扇動。
武器と呼ばれない方法で、人間は人間を傷つけ始めた。
「するとシステムは」
アリアが気づく。
「『兵器』の定義を広げた」
「はい」
毒も兵器。
薬品も使い方次第では兵器。
輸送網を止める行為も兵器利用。
情報も、人を扇動するなら武器。
やがて。
言葉も。
怒りも。
憎しみも。
『戦争を引き起こす可能性のある要因』
として管理対象になった。
アリアは息を呑んだ。
「それが……感情安定化フィールドへ繋がった?」
「そうです」
ハルモニアは目を伏せた。
「始まりは、武器を止めるだけだったのです」
善意だった。
間違いなく。
だからこそ。
止まれなかった。
『回答を選択してください』
『受諾』
『拒否』
現在のシステムが再び問いかける。
アリアは二つの選択肢を見つめた。
カレンが横から言う。
「断るのか?」
「……まだわかりません」
「珍しいな」
「はい」
アリアは自分の手を見る。
「これを受け取れば、明日戦争で死ぬはずだった人が助かるかもしれない」
「そうだな」
「受け取らなければ、その人は死ぬかもしれない」
「ああ」
「だったら」
声が少し震える。
「拒否することだって、誰かの死を選ぶことになる」
カレンはすぐには答えなかった。
代わりにイレーヌが尋ねる。
「アリア様は、全ての人を救いたいですか?」
「救えるなら」
「では、全ての人を正しく救えると思いますか?」
「……いいえ」
「それが答えなのかもしれません」
だがアリアは首を振った。
「それだけでは、逃げている気がします」
力を持つのが怖いから断る。
責任を負いたくないから人間へ返す。
それもまた一つの無責任ではないのか。
四十二年間。
『俺』は何度もそうしてきた。
誰かが決めるだろう。
自分ではない誰かが。
だから何もしない。
その結果、何も変わらなかった。
「……同じにはなりたくない」
アリアが呟く。
カレンが聞く。
「何とだ?」
「昔の私とも、昔の俺とも」
その時だった。
『外部接続要求』
新しい表示が現れる。
『E.O.S-01』
ハルモニアが顔を上げる。
「ソラリス」
通信が開いた。
最初に聞こえたのは、妙に疲れた声だった。
『……やっと繋がった』
「ソラリスさん?」
『アリア、そこにいるな』
「はい」
『ハルモニアも?』
「います」
『よかった。いや、よくない。全然よくない』
相変わらずだった。
『塔の全システムが勝手に最終試験とやらへ接続された。こっちは管理者権限で止めようとしたんだが、また「あなたは管理者であり審判者ではありません」と返された』
カレンが小声で言う。
「嫌われてんじゃねえか?」
『聞こえてるぞ』
「聞こえてんのかよ」
『音声回線を開いたからな』
アリアは少しだけ笑った。
だがソラリスの次の言葉で、その笑みは消えた。
『アリア。今、何を聞かれている?』
「世界中の兵器を停止する権限を、私一人が持つかどうかです」
数秒。
通信の向こうが沈黙した。
『……受け取るな』
即答だった。
アリアの目が細くなる。
「どうしてです?」
『危険だからだ』
「私が?」
『違う。人間がだ』
「私も人間の記憶を持っています」
『だからだ』
ソラリスの声が強くなる。
『そんなものを一人に持たせていいわけがない。アリア、お前がどれだけ善良でも関係ない。今日のお前が正しくても、十年後のお前が同じとは限らない。百年後も存在していたらなおさらだ』
「……」
『機械の身体は、人間より長く残る』
『一人の価値観が百年、二百年と世界の上に居座る』
『それは王より危険だ』
アリアはソラリスの言葉を聞きながら妙な感覚を覚えた。
少し前まで彼なら自分が管理すればいい。
そう言っていたかもしれない。
「ソラリスさん」
『何だ』
「変わりましたね」
通信の向こうで沈黙。
『……誰のせいだと思ってる』
「私ですか?」
『半分はな』
残り半分が何なのか。
ソラリスは言わなかった。
すると。
さらに別の接続表示が現れた。
『STELLA SYMPHONIA-01』
「……ノク姉」
『接続』
金色の光が広がる。
立体映像として。
ノクターンが現れた。
白金の髪。
金の瞳。
相変わらず表情は薄い。
「三号機」
「はい」
「受け取らないで」
また即答だった。
アリアは少し困ったように笑う。
「皆さん、私を信用していないのですか?」
「信用している」
ノクターンが答える。
「だから、受け取らないでと言っている」
「それは少し矛盾していません?」
「していないわ」
ノクターンは自分の手を見る。
「私は三百年前、自分を信用しなかった」
「……」
「今の自分が撃たないことと、未来の自分が撃たないことは別だから」
衛星要塞。
ノクターンが自分自身へ掛けた鍵。
「あなたも」
ノクターンはアリアを見る。
「未来のあなたを支配してはいけない」
「未来の私?」
「今ここで権限を受け取れば、未来のあなたは『世界を止められる者』として生きなければならなくなる」
アリアは何も言えなかった。
それは今まで考えていなかった。
「自分で自分に」
ノクターンは続ける。
「役割を押しつけることになる」
審判者。
歌姫。
救世主。
世界の兵器を止める者。
それもまた役割だった。
その時赤い光が第三の通信窓として開いた。
『E-07』
「……まさか」
アリアが言う表示の向こう。
赤と白。
巫女装束を思わせる装甲ローブ。
白磁のような顔に、切れ長の赤い瞳。
エクリプスだった。
『聞こえるか』
「エクリプス?」
『聞こえてるなら結構』
カレンが眉を寄せる。
「あんたがエクリプスか」
『そうだが、あなたは?』
「カレンだ」
『知らないな』
「そりゃ会ったことねえからな」
『その通りだ』
妙に噛み合っている。
アリアが尋ねる。
「どうして接続できたのです?」
『知らん。この身体が勝手に繋いだ』
エクリプスが自分の赤白の装甲を見る。
『どうもこの機体、単なる祭祀用じゃないらしい。人間と機械群の意思を仲介するための調停端末だそうだ』
「似合っていますよ」
『今それを言う必要があるか?』
「少し和ませようかと」
『余計だ……それで、アリア』
「はい」
『受け取れ』
地下の空気が。
止まった。
ノクターンの金の瞳が鋭くなる。
『E-07』
『何だ、一号機』
「あなたは何を」
アリアもエクリプスを見る。
「何故です?」
『簡単だ』
エクリプスは言う。
『本当に危険なら、受け取ってから捨てろ』
「……え?」
『選択肢が受諾と拒否しかないからって、その二つしか道がないと思うな』
アリアの瞳が大きく開く。
『受け取らなければ、システムの中身には触れられない。なら一度権限を取得して、構造そのものを書き換える』
ソラリスが反応した。
『待て。それは』
『あなたなら分かるだろ、先輩』
『……理論上は』
『可能なんだな?』
『可能性はある。ただしアリアが受諾した瞬間、絶対停止権限が彼女へ固定される。書き換えに失敗すれば終わりだ』
『だから面白い』
「面白がらないでください」
『悪い』
そう言いつつも、まったく悪びれていない声だった。
だが。
アリアは気づいた。
エクリプスは。
「権限を持て」
とは言っていない。
権限を。
「捨てろ」
と言っている。
反証者。
正しい選択へ。
別の道を示す者。
「……ハル姉」
アリアが尋ねる。
「昔の私たちは権限を受け取ったあと手放そうとはしなかったのですか?」
ハルモニアは。
しばらく答えられなかった。
やがて。
「できないと思っていました」
「試したのですか?」
「……」
「ハル姉」
「いいえ」
小さな声。
「試していません……」
アリアは目を閉じた。
古代文明も。
三姉妹も。
審判者も。
ずっと。
与えられた選択肢の中で最善を選ぼうとしていた。
受け取る。
拒否する。
守る。
壊す。
制御する。
自由にする。
だが
「選択肢そのものを変える」
アリアが呟く。
エクリプスが笑う。
『ようやく気づいたか』
「あなたに言われると腹が立ちますね」
『奇遇だな。私も君に褒められると腹が立つ』
カレンが呆れた顔をする。
「お前ら、案外仲いいんじゃねえか?」
二人同時に答えた。
「違います」
『違う』
アリアは再び問いを見る。
『受諾』
『拒否』
ゆっくり手を伸ばした。
「アリア」
ノクターンが呼ぶ。
「大丈夫です」
「でも」
「ノク姉が三百年前にしたことと同じです」
「私が?」
「はい」
アリアは微笑む。
「使える力を、そのまま使わない方法を考える」
そして。
『受諾』に触れた。
瞬間。
世界が震えた。
王国。
帝国。
海の向こう。
山脈の奥。
誰も存在を知らない地下施設。
眠ったままの古代兵器。
衛星軌道。
月の裏側。
無数の機械が一斉にアリアを認識する。
『最終審判権限移譲』
『A.R.I.A-03』
『世界軍事系統最高停止権限を付与』
アリアの視界に、数え切れないほどの光点が現れた。
一つ一つが兵器。
その気になれば全部止められる。
「……重い」
アリアが呟く。
実際の重量ではない。
情報だ。
責任だ。
何百万。
何千万。
その先の命。
『権限移譲完了』
『最終試験第一問――合格』
「まだです」
アリアが言った。
『……』
「合格ではありません」
『意味を解析できません』
「今から」
アリアの青い瞳が強く輝く。
「この権限を書き換えます」
『拒否』
初めてシステムが即座に答えた。
『審判権限は不可逆です』
「ソラリスさん」
『見えている』
「穴は?」
『探してる。少し待て』
「ノク姉」
「兵器ネットワークの分岐を抑える」
「ハル姉」
「権限経路を繋ぎます」
そして。
エクリプス。
『私は?』
アリアが笑った。
「反対してください」
『何にだ』
「全部に」
エクリプスの赤い瞳が。
楽しそうに細くなる。
『了解した』
カレンだけが一人ため息をついた。
「ったく」
剣を肩に担ぐ。
「世界を救うってのは、ずいぶん面倒なんだな」
アリアが答える。
「たぶん」
「もっと簡単にならねえのか?」
「簡単にしようとした結果が」
ハルモニアを見る。
「昔の世界だったので」
「……ああ」
カレンは苦笑した。
「なら面倒なままでいいか」
その言葉にアリアはほんの少しだけ救われた気がした。
だが、誰も気づいていなかった。
アリアが最高停止権限を受け取った、その瞬間。
三百年間。
名前を消されていた外部管理者の記録に。
新しい反応が生じていた。
『審判権限継承を確認』
『条件成立』
『封印解除率――1%』
暗闇。
どこなのかもわからない場所で。
何かが。
目を覚ます。
『ようやく』
声。
人間の声だった。
『また』
『同じところまで来たか』
そして笑った。
『今度の審判者は』
『何を選ぶ?』
その声を。
今のアリアたちは。
まだ知らなかった。




