第四十七章 星は一人で裁かない
『記録復元可能』
『復元しますか』
「……やれ」
エクリプスが答えると、額の乳白色の宝珠が強い光を放った。
白磁のように滑らかな顔、切れ長の赤い瞳、そして白と朱で構成された日本の神社の巫女を思わせる装甲ローブ。
その静謐な姿には似つかわしくないほど膨大な情報が、
一瞬にして機体内部へ流れ込んでくる。
「っ……」
思わず額を押さえたエクリプスの視界を、映像と音、そして破損した大量の記録が埋め尽くしていく。
だが、それは現在の巫女型魔導人形自身が持つ記憶ではなかった。
『巫女型群体意思調停端末』
『共有記録領域へ接続』
『対象――STELLA SYMPHONIA-01』
『識別名――NOCTURNE』
「ノクターン……」
その名を口にした瞬間、目の前の隔離室が消えた。
三百年前。
街が燃えていた。
石造りの建物は崩れ、
道という道には赤い瞳を光らせた魔導人形が溢れている。
命令系統を失い、黒い霧を纏った機械たちが人間も建物も区別せず進路上のものを排除していた。
そのただ中に、一人の少女が立っている。
白金色の髪に金色の瞳、白と金の装甲ドレス。
ノクターンだった。
ただし、エクリプスが知る現在の彼女よりも表情はずっと乏しく、その顔には冷たい兵器としての面影が色濃く残っていた。
『魔導人形群体数――四百二十七』
『都市中心部へ侵入――百八十三』
『民間生命反応――四万八千二百十一』
『群体戦術網侵食率――72%』
ノクターンは上空を見上げた。
『静止衛星軌道接続』
『衛星要塞』
『ASCENSION ORATORIO』
その表示を見たエクリプスの意識が鋭く反応する。
「使えたじゃないか」
三百年前にも衛星要塞は存在し、ノクターンにはそこへ
アクセスする権限があった。
ならば、なぜ使わなかったのか。
なぜ一体ずつ魔導人形を止め、七時間も戦い続けたのか。なぜ自分自身を群体戦術網へ接続し、人格侵食の危険まで冒す必要があったのか。
答えはすぐに表示された。
『攻撃対象識別を開始』
『エラー』
『地上識別網――破損』
『敵味方識別不能』
『都市座標系――旧文明地図との不一致』
『建築物データ――97.3%不一致』
『生体識別標識――検出不能』
ノクターンの金色の瞳が細くなる。
エクリプスも理解した。
「……そういうことか」
三百年前の時点で、古代文明が滅んでからすでに長い年月が経過していた。
都市の形も道路も国家も変わり、
人々は古代文明が用いていた住民認証情報など持っていない。
つまり衛星要塞から見れば、地上にあるものはすべて未知だった。
知らない都市。
知らない建築物。
登録されていない生命体。
暴走した魔導人形と逃げ惑う人間さえ、精密には区別できない。
『精密攻撃――実行不能』
『代替攻撃モードを提示』
『広域浄化砲撃』
『推定有効半径――十二・八キロメートル』
『敵性機械群排除率――99.94%』
『推定民間生命損失――四万以上』
ノクターンの瞳が止まった。
『攻撃実行を推奨』
「却下」
返答は即座だった。
『敵性群体の拡大を確認』
『広域浄化を推奨』
「却下」
『理由を提示』
ノクターンは空ではなく、眼下の街を見た。
子供を抱えて逃げる母親がいる。負傷した兵士を背負う男がいる。倒れた老人を必死に引きずる少女がいる。
そのすべてを見たあとで、ノクターンは静かに答えた。
「対象が多すぎる」
『敵性機械群四百二十七』
「違うわ」
ノクターンは首を振った。
「人間の方よ」
同じ記録が、ミルフィア地下のアリアたちの前にも映し出されていた。
「衛星要塞……」
イレーヌが息を呑む。
「三百年前にも使用可能だったのですね」
「使えたわ」
ハルモニアが答えたが、その声には僅かな震えがあった。
「でも、ノク姉は撃たなかった」
カレンは映像から目を離さず言う。
「撃てば魔導人形は全部消せたんだろ?」
「はい」
「その代わり街ごと消し飛ぶ、と」
「……はい」
カレンは鼻を鳴らした。
「だったら撃てねえだろ。そんなもん」
単純な答えだった。
しかしアリアには、一つ気になることがあった。
「でも、今のノク姉は衛星要塞を使いました」
王都上空を思い出す。
エクリプスが操っていた五十体以上の魔導人形を、空から降り注いだ光が一瞬にして撃ち抜いた。
その時、衛星要塞は恐ろしいほど正確に魔導人形だけを狙っていた。人間も街もほとんど巻き込んでいない。
「なぜ三百年前にはできなかったことが、今はできたのでしょう」
ハルモニアが目を閉じ、記録を検索する。
「……待って。あるわ」
「何がです?」
「三百年前には存在しなかったもの」
空中に新たな表示が現れた。
『地上識別補助系統』
『第一接続――星詠みの塔』
『第二接続――外部管理者』
『第三接続――STELLA SYMPHONIA-03』
アリアは思わず自分を指差した。
「……私?」
「そう」
ハルモニアが頷く。
「今の衛星要塞は、ノク姉だけで照準を合わせていたわけではないの」
王都決戦。
あの時、その場にはソラリスがいた。
星詠みの塔の主であり、古代遺物への管理者アクセス権を持つ外部人格。
そしてアリアもいた。
三号機。
歌と共鳴を司り、人間の生命反応や感情の揺らぎを誰より鋭敏に捉える機体。
本人にはその自覚がなかったが、アリアのコアは戦場にいた
人間一人一人の生体波形を無意識に拾い続け、その情報を共鳴回線へ流していた。
記録の中で、ノクターンが空を見上げる。
『上位権限承認』
『星詠みの塔より地上座標補正』
『外部管理者E.O.S-01より攻撃権限承認』
『A.R.I.A-03より生命識別データ受信』
『非戦闘対象を除外』
『敵性機械群のみ捕捉』
『精密軌道攻撃――実行可能』
アリアは言葉を失った。
「私が……?」
「あなた自身は知らなかったでしょうね」
ハルモニアが穏やかに答える。
「でも、あなたのコアはノク姉へ伝えていた。誰が生きているのか、誰が人間なのか、どこに傷ついた人がいるのかを」
「だからノク姉は撃てた……」
「そうよ。空から針の穴を通すような精度で、魔導人形だけを狙えた」
アリアはしばらく黙り、やがて小さく呟いた。
「では一号機が武器で、三号機の私は目だったということですか」
「少し違うわ」
ハルモニアは微笑む。
「あなたは目というより、撃ってはいけないものを教える心よ」
「そんな大層なものでは……」
「そこは否定しなくていいんじゃねえか」
横からカレンが口を挟む。
「お前さんはきっと、昔から何かぶっ壊す前に『そこに人がいねえか』ばっか気にしてるんじゃないか?」
「……そうでしょうか」
「そうだろうが」
「……そうかもしれません」
アリアは少しだけ困ったように笑った。
だが記録は、そこで終わらなかった。
三百年前、ノクターンが衛星要塞を使用しなかった理由は、単に民間人を巻き込みたくなかったからだけではない。
『ASCENSION ORATORIO』
『広域浄化砲撃待機』
『実行確認』
ノクターンの指が、一瞬だけ止まる。
攻撃を実行すれば、十秒もかからず戦いは終わる。
魔導人形はほぼ全滅する。
それでも彼女は動かなかった。
なぜならノクターンは、衛星要塞がかつて何をしたのか知っていたからだ。
まだ三姉妹が揃っていた、遥か昔。
旧文明最後の戦争。
衛星要塞は本来、敵の兵器を破壊するために建造されたものだった。
しかし戦争が長引くにつれ、人々の考え方は変わっていった。
敵兵器が存在する都市。
いつしかそれは。
敵都市。
という意味へ置き換えられた。
一つの街が消えた。
次に二つ。
やがて十。
上空から降る光によって、兵器だけではなく人間も建物も、そこで営まれていた暮らしも一緒に消滅した。
その記録を、ノクターンは覚えていた。
『広域浄化を推奨』
「……嫌よ」
『再入力を要求』
「嫌」
『命令形式ではありません』
「知っているわ」
ノクターンは空を見上げたまま、静かに続ける。
「私は、もう空から街が消えるところを見たくない」
その声は兵器のものではなかった。
現在の隔離室で記録を見ているエクリプスは、黙ったままノクターンの姿を追っていた。
映像の中で、ノクターンは魔導人形へ向かって走る。
一体を止め、二体目を倒し、三体目を拘束する。
十体。
二十体。
損傷が増えていく。
『左腕装甲損傷』
『右脚駆動部負荷上昇』
『機体損傷率――18%』
衛星要塞を使えば、一瞬だった。
それでも使わない。
一体の魔導人形が、逃げ遅れた少女へ向かって腕を振り上げた。
ノクターンは迷わず割って入り、その一撃を背中で受け止める。
白金の装甲が砕け、火花が散った。
『機体損傷率――31%』
『衛星攻撃を再提案』
「却下」
『自己損傷増大』
「だから?」
『合理性がありません』
「あるわ」
ノクターンは背後で震えている少女を一度振り返る。
「この子が生きている」
『一個体です』
「そうね」
『戦術上重要ではありません』
ノクターンは少しだけ目を細めた。
「私には重要よ」
「ノク姉……」
ハルモニアの目から涙が落ちた。
アリアも、胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えていた。
記憶はない。
それでも、この人を知っている気がする。
こういう選び方をする人を、自分は確かに知っている。
三百年前の戦いは続いた。
ノクターンは七時間かけて魔導人形群を停止させ、
最後には群体戦術網そのものへ自分を接続した。
何百体もの魔導人形が発する命令、敵味方識別、排除判断、警告、攻撃要求が、一斉にノクターンの精神領域へ流れ込む。
『人格侵食率――41%』
『危険域』
それでもノクターンは接続を切らず、最後の一体が停止するまで制御を続けた。
やがて街に静けさが戻る。
戦いが終わると、ノクターンは損傷した身体を引きずるようにして地下へ戻った。
そして眠りにつく前に、衛星要塞へ一つの制限を書き加える。
『ASCENSION ORATORIO』
『地上精密識別系統喪失時』
『対地攻撃禁止』
『解除条件』
『外部管理者による座標承認』
『および』
『STELLA SYMPHONIA系列による生命識別』
イレーヌが目を見開いた。
「この制限を、ノクターン自身が設定したのですか?」
「はい」
ハルモニアが答える。
「だから三百年前以降、アーカイブからも削除して衛星要塞は誰にも使えなかった。さらにノク姉は自分一人では撃てないように、自分自身へも鍵を掛けたの」
カレンが考え込むように眉を寄せる。
「自分が次に起きた時、もし考えが変わってても簡単には撃てねえようにしたってことか」
「そうよ」
「自分自身すら信用しなかった……」
アリアの表情が変わる。
どこかで見た構造だった。
ハルモニアは、自らを封印した。
アリアは、自らの過去の記憶を消した。
そしてノクターンは、自らの最大兵器へ、自分一人では開けられない鍵を掛けた。
「三人とも」
アリアは静かに呟いた。
「自分一人だけが正しいとは思わなかったのですね」
「だからこそ、三体で一つだった」
ハルモニアが答える。
「戦う者、繋ぐ者、癒やす者。その全部を一人へ渡さないために」
帝国隔離室。
記録が終わる。
エクリプスは、赤と白の巫女型魔導人形の身体で長いあいだ動かなかった。
やがて、小さく息を吐くような仕草をする。
「……なるほどな」
かつて自分は百二十体を同時に操った。
百二十の目、百二十の腕、百二十の身体、そのすべてが自分だった。
それを全能に近いと感じた。
しかしノクターンは逆だった。
自分が全能になれないよう、自分自身へ制限を掛けた。
「完全に私と逆じゃないか」
エクリプスが苦笑した、その時。
巫女型機体の額にある乳白色の宝珠が、再び光を放った。
『巫女型残留記録』
『未復元領域を検出』
「まだあるのか」
『肯定』
『三百年前』
『STELLA SYMPHONIA-01停止後』
『本機同型機による接触記録』
エクリプスの表情から笑みが消える。
「待て」
次の表示が現れた。
『接触対象』
『外部人格』
『識別情報――破損』
三百年前。
地球圏から来た正体不明の転移者。
ノクターンが設定した魔導人形群体運用の制限を、後に解除したと考えられる人物。
「……そいつか」
『高確率』
「見せろ」
『記録損傷率――83%』
「残っているところだけでいい。復元しろ」
『復元開始』
白い光が広がり、激しいノイズの向こうに一人の人間の影が現れた。
顔は見えない。
声も歪んでいる。
ただ、その人物の前には一体の巫女型魔導人形が跪いていた。
『あなたは、本当にこの制限を解除するのですか』
歪んだ声が答える。
『ああ』
『ノクターンは間違えた』
『機械に選ばせても駄目だ』
『大衆に選ばせても駄目だ』
『弱い人間は、自由を与えれば必ず間違える』
エクリプスの赤い瞳が細くなる。
『だから、正しい選択ができる人間が代わりに決めればいい』
映像が激しく乱れる。
そして最後に、一つだけ鮮明な言葉が残った。
『私が、そうする』
映像が消えた。
エクリプスはしばらく何も言わなかった。
十秒。
二十秒。
やがて、白い手をゆっくり握り締める。
「嫌いだな」
誰もいない隔離室で呟く。
「会ってもいないのに、ものすごく嫌いだ」
何故か分かる。
男か女かさえ分からないその人物は、昔の自分によく似ている。
頭がいい。
自信がある。
他人より自分の方が正しい答えを知っていると考えている。
そして何より、自分なら他人の代わりに決めても構わないと思っている。
「一番面倒なタイプだ」
エクリプスは自嘲気味に笑った。
その瞬間、星詠みの塔、ミルフィア地下、帝国地下という三つの古代施設で、同時に一つの記録が復元され始める。
『三百年前』
『外部管理者』
『識別名――』
文字が一文字ずつ現れる。
しかし名前が完成する寸前、すべての表示が赤く染まった。
『アクセス拒否』
『最終試験による情報封鎖』
『対象の正体を知るには』
『試験を完了してください』
エクリプスは天井を見上げた。
「……随分ともったいぶるじゃないか」
遠く離れたミルフィアでも、アリアが同じ表示を見ていた。
やがて赤い警告が消え、代わりに新たな問いが現れる。
『最終試験』
『第一問』
『あなたに全世界の兵器を停止させる権限を与えます』
『ただし、その権限はあなた以外の誰にも解除できません』
『受諾しますか』
アリアは黙った。
カレンが横から表示を覗き込む。
「またか」
「はい」
「で、受けんのか?」
アリアは答えなかった。
これは今までの問いとは違う。
その権限を受け取れば、世界中の兵器を止められる。
これから先の全ての戦争を終わらせることもできるかもしれない。
エクリプスのように何百体もの魔導人形を軍事利用する者が現れても、二度と好き勝手には使わせないで済む。
しかし、そのためには。
自分が世界で唯一、「何を兵器として止め、何を許すのか」を決める存在になる。
それは三百年前のあの人物と、何が違うのだろう。
アリアの青い瞳に古代文字が映り込む。
『回答を選択してください』
その表示を見ながら、ハルモニアが小さく呟いた。
「……ここからなの」
「何がです?」
アリアが振り返る。
ハルモニアは、自分の両手を見つめていた。
「ここからが、私たちが失敗した場所なのよ」




