第四十五章(続き)日蝕の意味
記憶が流れ込む。
白い研究室。
昔のハルモニア。
昔のアリア。
研究者たち。
『審判者が暴走した場合、誰が止める?』
『我々では不可能だ』
『我々自身が世界内部の価値観に属している』
『では別の異世界人を呼ぶ』
『審判者とは正反対の人格を選定する』
『その者へ干渉能力を与える』
昔のアリアが。
立ち上がった。
『反対です』
『A.R.I.A-03』
『それは人を道具にしています!』
『彼らは死亡予定者だ』
『転移によって生存機会を与える』
『違います!』
アリアの声が響く。
『善人だから審判者』
『冷たいから反証者』
『頭がいいから管理者』
『戦えるから兵士』
『そんなふうに勝手に役割を決めて!』
『それじゃ』
一拍。
『私たちと同じじゃないですか!』
現在のアリアの瞳が揺れた。
昔の自分。
続ける。
『私は歌うために造られました!』
『ノク姉は戦うため!』
『ハル姉は繋ぐため!』
『でも人間は違うでしょう!』
『人間は誰かの役に立つために製造されたんじゃない!』
ハルモニア。
『外部人格召喚制度そのものの廃止を要求します』
研究者。
『却下する』
しばらく。
沈黙。
そして。
昔のアリアが言った。
『なら』
『私たちは協力しません』
記録が途切れた。
現在のアリアは。
長く黙っていた。
「……私」
アリアかぽつりと言った。
「昔から面倒臭い性格だったのですね」
ハルモニアが笑った。
「かなり」
「そこは否定してください」
「嘘はよくありません」
「ハル姉」
イレーヌは。
二人を見ながら言葉を失っていた。
一方。
カレンは。
腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「別にいいじゃねえか」
「え?」
「今のお前さんと大して変わんねえ」
アリアを見る。
「昔も自分の気に入らねえことに首突っ込んでた。それだけだろ」
「……カレンさん」
「過去の自分がどんな大層なこと言ってようが関係ねえよ」
一歩。
アリアの前へ出る。
「今のアリアがどうするかだ」
アリアは。
小さく笑った。
「はい」
帝国。
地下牢ではなかった。
そこは魔導ギルド最深部の隔離室だった。
鉄の扉。
魔導封印。
床一面の拘束術式。
部屋の中央に。
エクリプスが座っていた。
百二十体ではない。
一体だけ。
そして。
以前とは違う身体だった。
ノクターンから離れ、帝国へ戻ったエクリプスが現在宿しているのは、帝国地下の古代遺構で発見された一体の魔導人形だった。
まだこんな機体が遺構に残っていたのか。
最初にそれを見た時、エクリプス自身もそう思った。
これまで発掘されてきた量産型の魔導人形とは、明らかに設計思想が違う。
白磁を思わせる白い装甲。
そこへ鮮やかな朱色の装甲が組み合わされている。
肩から腕へ伸びる白いローブ装甲。
腰から下へ重なる朱色の可動装甲は、歩くたびにわずかに開き、また静かに重なる。
異世界――日本で生きていた頃の記憶を持つエクリプスには、その姿はどう見ても。
神社の巫女を思わせた。
白衣と緋袴。
もちろん実際には布ではない。
全てが魔導金属と古代素材で作られた装甲だった。
頭部はアリア達と同じく人間を模しており、
極細の光ファイバー黒髪に細い金色の装飾。
額の中央には、かつての機体にあった赤い宝石とは異なる、乳白色の宝珠が埋め込まれている。
瞳だけは赤い。
エクリプスの意識が宿っていることを示すかのように、暗い隔離室の中で静かに光っている。
肌にあたる部分の外装は、白磁を思わせるなめらかな質感をしている。
人肌の柔らかさを真似るというより、磨き上げられた祭器や面のような、穢れを寄せつけない無垢さを感じさせた。
目元は切れ長で、やや伏し目がち。
きつさはなく、感情を隠しているというより、初めから騒がしさというものを知らないような、静かな造形だった。
長い睫毛を思わせる繊細な縁取りがあり、そのせいで無機質なはずの顔に、不思議と祈る者のような気配が宿っている。
輪郭は細く、頬から顎にかけては滑らかであり鼻梁はすっと通り、口元は小さく薄い。
微笑むために作られたような柔らかさではなく、祝詞を紡ぐ直前の沈黙を封じ込めたような、端正でひそやかな口元だった。
戦闘用なのか。
祭祀用なのか。
式典用なのか。
それすらわからない。
武装らしい武装は見当たらない。
だが装甲そのものの強度も、
内部を流れる魔導回路の密度も、
これまでエクリプスが使った魔導人形とは
比較にならなかった。
どうやら。
ただの予備機ではない。
古代文明が何らかの特別な目的のために造った、
特別仕様の魔導人形らしい。
「……巫女か」
エクリプスは自分の白い手を見ながら呟いた。
神など信じたこともない男が。
よりによって神へ仕える女を思わせる姿になっている。
少し笑った。
「趣味の悪い冗談だ」
だが。
今の彼にとって。
身体の外見など大した問題ではなかった。
帝国へ戻った彼は。
逃げなかった。
皇帝の前で全てを話した。
自分が何をしたか。
戦争をどう加速させたか。
ノクターンを奪ったこと。
王都を破壊しようとしたこと。
そして。
敗れたこと。
皇帝は処刑を命じなかった。
まだ。
役に立つからではない。
何をもって転移者を裁くべきか。
誰にも分からなかったからだ。
そのエクリプスの前に。
突然。
赤い文字が浮かんだ。
『外部人格E-07』
『反証者機能再認証』
エクリプスの赤い瞳が細くなる。
「……何だこれは」
『審判プロトコル再開』
『反証者に参加を要求』
「参加?」
『A.R.I.A-03が新規規則を提案』
『本人選択権』
『反証を要求』
エクリプスは。
しばらく無言だった。
そして。
笑った。
「なるほど」
冷たい笑いではなかった。
どこか疲れた。
人間らしい笑いだった。
「そういうことだったのか」
かつて。
何故自分がこの世界へ来たのか。
考えたことはある。
だが答えはどうでもよかった。
面白ければいい。
力があればいい。
退屈でなければいい。
そう思っていた。
百二十の身体。
百二十の視界。
百二十の自分。
それでも。
退屈だった。
なぜなら。
全部自分だったから。
「私を」
エクリプスは表示を見る。
「誰かに反対させるために呼んだのか」
『肯定』
「はは」
笑った。
巫女を思わせる白いローブ装甲が、肩の動きに合わせてわずかに揺れる。
「実に合理的だ」
そして。
「実に気に入らない」
『理由を提示してください』
「人間を何だと思っている」
自分で言ってから。
エクリプスは止まった。
以前の自分なら。
そんな言葉は出なかった。
人間は資源。
人間関係は取引。
価値があるかないか。
利用できるかできないか。
そう考えていた男が。
今。
古代システムに同じことをされて。
腹を立てている。
「……皮肉だな」
エクリプスは呟いた。
母の声を思い出す。
雪崩に埋まった最後の瞬間ではない。
もっと昔。
子供だった頃。
『あなたは賢いけど』
『人を数字で見ちゃ駄目よ』
忘れていた声。
アリアの歌に掘り起こされた声。
「母さん」
小さく呟いた。
『反証を要求』
エクリプスは表示を睨む。
「アリアの提案は」
『転移対象本人の意思確認を義務化』
「……」
『反証者として否定しますか』
エクリプスは考えた。
以前なら。
即答した。
本人の判断は非効率。
死の直前なら精神状態も悪い。
生存率が高い方を自動的に選べばよい。
それが合理的。
それが正しい。
だが。
ノクターンを奪った時。
自分も同じことを言った。
『渡すかどうかを決めるのは君でも私でもない』
『決めるのは力だ』
エクリプスの顔から。
笑みが消えた。
「ああ」
初めて。
自分の言葉の意味が。
本当に分かった。
「私は、昔の文明と同じだったのか」
『質問を理解できません』
「理解しなくていい」
エクリプスは壁にもたれた。
朱色の腰部装甲が石床に触れ、微かな金属音を立てる。
「反証しない」
『確認』
『反証者E-07は審判候補A.R.I.A-03の判断に同意しますか』
「違う」
『矛盾』
「同意もしない」
『説明を要求』
エクリプスは赤い瞳を細めた。
「本人に決めさせるという規則に」
一拍。
「私が賛成する必要すらない」
『……』
「本人の人生だ。アリアのものでも、私のものでも、お前のものでもない」
沈黙。
『新規論理を検出』
『反証者が審判者の権限縮小を支持』
『想定外』
「想定外?」
エクリプスは笑った。
「いい気味だ」
乳白色の宝珠が。
一度だけ。
淡く光った。
それが何を意味するのか。
エクリプスには。
まだわからなかった。
ミルフィア地下。
アリアの前に、
赤い文字が届いた。
『反証結果を受信』
『E-07――拒否』
「拒否?」
『反証行為そのものを拒否』
『メッセージがあります』
「メッセージ?」
赤い文字。
『アリアへ』
アリアが目を見開く
『君の考えに賛成したわけではない』
「いきなりそれか」
カレンが鼻で笑う。
「面倒くせえ奴だな」
「ええ」
『死の直前の人間へ判断を要求するなど、合理的とは思えない』
『正常な意思決定ができない可能性もある』
『それでも』
『私が代わりに決めてよい理由にはならない』
アリアの青い瞳が。
静かに揺れる。
『私はノクターンの意思を奪った』
『力がある側が決めればいいと思っていた』
『世界規模で同じことをすれば』
『私は、私が嫌った古代文明そのものになる』
一拍。
『だから反証しない』
『だが君にも従わない』
『反対したくなれば、自分の意思で反対する』
『それくらいは許せ』
アリアは。
思わず笑った。
「エクリプスらしいです」
「そいつ」
カレンが言う。
「ほんとに元敵なんだろ?」
「はい」
「今は?」
「……さあ」
「わからねえのか」
「人間関係とは、そういうものなのでしょう?」
カレンは少し考え。
「まあな」
ハルモニアは。
赤い文字を見ながら。
静かに言った。
「これが」
「何です?」
「古代文明が計算できなかったものです」
「?」
「人間は変わる」
ハルモニアが言った。
「選ばれた時の性格のままではない」
ソラリスも。
アリアも。
エクリプスも。
転移した瞬間の人格をそのまま維持してはいない。
出会う。
失敗する。
傷つける。
後悔する。
愛される。
許されないこともある。
それでも。
変わる。
「古代文明は人間を」
ハルモニアが言った。
「条件として見ていました」
『支配欲が低い』
『共感性が高い』
『競争性が高い』
『効率を優先する』
「でも」
アリアが続ける。
「それは、その時のその人でしかない」
「はい」
ハルモニアは微笑んだ。
「だからエクリプスが必要だった意味は」
少し考える。
「古代文明が考えていた意味と今の意味は違います」
アリアが尋ねる。
「今の意味?」
「彼らはエクリプスを審判者へ反対するための影として呼んだ。でも実際に彼が証明したのは」
ハルモニアは静かに言った。
「人間を役割に閉じ込めることなどできないということです」
アリアは。
その言葉を胸の中で繰り返した。
エクリプス。
日蝕。
星の光を遮る影。
だが。
日蝕は。
永遠には続かない。
太陽を消すのではない。
一時的に。
光を隠すだけ。
そして。
その暗闇があるからこそ。
普段は見えないものが見える。
「……エクリプス」
アリアは呟いた。
「影も……必要なのかもしれませんね」
カレンが眉をひそめる。
「また難しいこと言ってるな、でもまあ確かに、人間なんてその日の飯と、会った奴と、失敗した数だけ変わるもんだからな」
ハルモニアが静かに笑った。
「……そうなのかもしれません」
誰にも操作されていない。
怒る自由。
笑う自由。
反対する自由。
誰かに賛成しない自由。
そして。
自分に与えられた役割そのものを。
拒否する自由。
古代システムはその会話を黙って記録していた。
『外部人格制度――重大矛盾』
『審判者が審判権限を制限』
『反証者が反証義務を拒否』
『既存判断モデルでは評価不能』
そして。
新しい文字が現れた。
『第三段階へ移行』
ハルモニアの表情が消えた。
「……第三段階」
イレーヌも。
息を呑む。
『確認』
『世界の未来を決定する絶対者が存在してはならない場合』
『世界の未来を』
『誰に委ねますか』
アリアは文字を見つめた。
審判者でもない。
反証者でもない。
管理者でもない。
古代文明でもない。
では誰が。
世界の未来を決めるのか。
カレンが横から覗き込み。
「決まってんだろ」
言った。
アリアが見る。
「何がです?」
「この世界に住んでる連中だ」
「……」
「一人に決めさせようとするからおかしくなるんじゃねえのか」
沈黙。
ハルモニアの銀の瞳が。
大きく開いた。
イレーヌも。
言葉を失った。
アリアは。
少しだけ。
微笑んだ。
「本当に」
「何だ」
「あなたを連れてきて良かった」
「私は勝手に来たんだよ」
「そうでした」
その瞬間。
地下の。
さらに遥か下。
これまで。
一度として誰にも認識されなかった場所で。
何かが起動した。
『回答候補を検出』
『集合意思決定モデル』
『禁則領域解除準備』
『最終試験へ移行』
巨大な機械が動き始める。
それは、古代文明が最後に残した試験であった。




