第四十四章 星門が選ぶ者
「異世界から、また誰かを呼ぼうとしています」
ハルモニアの言葉が地下広間に響いた。
アリアは一瞬、意味を理解できなかった。
「……また?」
「はい」
「誰を?」
「まだ決まっていません」
ハルモニアの銀の瞳に無数の光点が走る。
「星門は候補者を探索しています」
「探索……?」
嫌な言葉だった。
人間を、人間としてではなく。
条件に合致する対象として探している。
アリアの視界にも突然、文字列が現れた。
『星門探索開始』
『接続可能世界――検出中』
『候補条件を設定』
『生命活動終了予測時間:六十分以内』
アリアの瞳が止まった。
「……六十分以内?」
ハルモニアは黙っている。
「何ですか、この条件」
「……」
「ハル姉」
その呼び方をされた瞬間、ハルモニアの表情が僅かに揺れた。
「答えてください」
「星門は」
彼女はゆっくり答えた。
「死にかけている人間を選びます」
アリアの内部演算が一瞬、停止した。
「……何ですって?」
「正確には、元の世界に留まれば高確率で生命活動を停止する者です」
「それを」
アリアの声が低くなる。
「助けるのですか?」
「古代文明は、そう定義していました」
「では本人の同意は?」
沈黙。
それだけで答えはわかった。
「ないのですね」
「ありません」
アリアは目を閉じた。
自分の中にある男の最後の記憶。
雨。
薄暗い部屋。
点滅するサーバーランプ。
何者にもなれなかった四十二年間。
そして。
死。
──じゃあ。
内側の『俺』が呟く。
──俺も選ばれたのか。
「……おそらく」
アリア自身が答えた。
ハルモニアが彼女を見る。
「アリア?」
「いえ」
胸を押さえる。
「私の中の人と話していました」
「……相変わらずなのですね」
「昔からですか?」
「昔のあなたには、もう一人はいませんでした」
「そうでしたね」
アリアは苦笑した。
そしてすぐ真顔に戻った。
「星門を止めます」
「簡単ではありません」
「何故です?」
「これは都市機構より上位のシステムです」
「私には管理者権限があります」
「だからこそです」
ハルモニアの声が硬くなる。
「あなたが審判候補として認識されたことで、星門が再起動しました」
「私が?」
「はい」
「では私が候補から外れれば」
「次を呼びます」
「……」
「星門は一名の審判者を必要とします」
「ソラリスがいるのでしょう?」
星詠みの塔。
歴代の異世界人。
古代遺物を支配する塔の主。
そして、自分の中にある管理者権限。
「今の塔の主が審判者なら、二人目など必要ないはずです」
「通常なら」
「通常なら?」
ハルモニアの銀の瞳に文字が流れる。
「システムは現在の審判者を」
一瞬。
彼女が躊躇した。
「不完全と判定しています」
星詠みの塔。
ソラリスは端末へ両手を叩きつけていた。
『星門探索率 13%』
「停止命令!」
『拒否』
「管理者E.O.S-01として命令する。星門を停止しろ!」
『権限不足』
「ふざけるな!」
金色の瞳に怒りが浮かぶ。
何十年間。
古代遺構を動かしてきた。
国家を救った。
遺物を封印した。
古代兵器を停止させた。
自分はこの世界の誰よりも、この文明を理解している。
そう思っていた。
だが。
『あなたは管理者です』
『審判者ではありません』
ソラリスは動きを止めた。
「……何?」
『E.O.S-01』
『分類:統括管理ユニット』
『外部人格搭載を確認』
『管理権限付与』
『最終審判権限――未付与』
「待て」
声が震えた。
「では、私に与えられた能力は」
『管理者資格』
「転移時に得た能力は」
『星門による付与ではありません』
ソラリスの顔から表情が消えた。
何十年も当然だと思っていた。
自分は異世界へ転移した。
能力を与えられた。
星詠みの塔に迎えられた。
古代遺産を操作できた。
だから。
転移者には能力が与えられるのだと思っていた。
「……では誰が与えた」
返答はない。
「誰が私を選んだ?」
『情報開示権限なし』
「私は管理者だぞ!」
『管理者は、設備を管理する者です』
一拍。
『目的を決定する者ではありません』
その言葉は。
ソラリスにとって何十年ぶりかに感じるほどの敗北感を与えた。
「……会社と同じじゃないか」
思わず呟いた。
管理職。
責任はある。
権限もある。
だが最後の決定権はない。
「こんなところまで……」
笑いそうになった。
だが笑えなかった。
表示が変わる。
『星門探索率 19%』
「止めなければ」
ソラリスは立ち上がった。
「アリアのところへ行く」
その頃。
ミルフィアの空がおかしくなり始めていた。
「なんだ、あれ……」
城壁の上にいた兵士が空を見上げる。
雲が円形に割れている。
夜空の中心。
星が。
一つずつ消えていた。
いや。
消えているのではない。
一点へ引き寄せられているように見える。
カレンは宿の窓を開けた。
「アリア……?」
理由もなく。
彼女の名前が口から出た。
胸騒ぎがした。
「また面倒なことに首を突っ込んでるんじゃないでしょうね」
カレンは誰にともなく呟き、傍にあった剣を取った。
ミルフィア地下遺構。
『候補世界 第三地球圏』
アリアの視界に文字が現れる。
「第三地球圏?」
「あなたの中の人格が生まれた世界と極めて類似した文明圏です」
「同じ世界ですか?」
「断定できません」
『候補者検出』
突然。
空中に映像が現れた。
一人の男。
病院。
白い天井。
心電図。
酸素マスク。
年齢は五十代。
枕元に誰もいない。
『生命活動終了予測――二十七分』
『適性率 82.1%』
アリアは息を呑んだ。
「この人を……連れてくるのですか?」
『候補継続』
映像が変わる。
若い女性。
雨の道路。
潰れた車。
遠くで救急車の光。
『生命活動終了予測――十一分』
『適性率 89.4%』
また変わる。
老人。
少年。
女性。
男。
世界も違う。
時代さえ違う。
だが共通点が一つある。
全員。
死にかけている。
「やめてください」
アリアが言った。
映像は止まらない。
「やめなさい」
『探索続行』
「管理者命令です!」
『審判候補による自己干渉は禁止されています』
「本人に聞きなさい!」
アリアの声が広間に響いた。
『質問を理解できません』
「連れて来ていいか、その人本人に聞くのです!」
『不要』
「何故!」
『転移後の生存率が転移前を上回ります』
アリアは言葉を失った。
合理的。
完全に合理的。
死ぬ人間を別世界へ移す。
生きられる可能性を与える。
数字だけ見れば。
救済だ。
『生命救助行為と判定』
「違う」
『否定理由を提示してください』
「……」
アリアは答えようとした。
しかし。
言葉にならない。
死ぬ。
このままなら死ぬ。
転移すれば生きるかもしれない。
なら。
何が悪い?
──俺も。
内側の男が言った。
──死ぬところだった。
「……はい」
──ここに来たから。
──少なくとも俺の人生は続いた。
アリアは目を閉じた。
「そうですね」
事実だった。
もし。
星門があの男を連れて来なかったら。
ソラリスもいない。
アリアも存在しない。
リーゼは助からなかったかもしれない。
マルタとも出会えなかった。
カレンとも。
誰とも……。
「それでも」
アリアは言った。
「選ばせるべきです」
『死の直前の対象に正常判断能力は保証されません』
「だから決めてあげる?」
『肯定』
アリアは。
自分でも驚くほど腹が立った。
「あなたは」
低い声。
「親切なのですね」
『肯定』
「最低なくらいに」
ハルモニアがアリアを見る。
「アリア……」
「ハル姉」
「はい」
「昔の私たちも」
アリアは空中に映る死にかけた人々を見る。
「こんな考え方をしていたのですか」
ハルモニアは。
長い間答えなかった。
そして。
「そうよ」
小さく答えた。
「最初は……私たちは、人間を救いたかった」
ハルモニアが語り始める。
「戦争がありました」
「古代文明の?」
「そう」
「魔物ではなく?」
「人間同士です」
アリアは黙って聞く。
「文明が発展するほど、戦争の規模は大きくなりました」
ハルモニアの瞳に映像が浮かぶ。
白い巨大都市。
空を飛ぶ機械。
光る塔。
美しい世界。
次の瞬間。
光。
都市が消える。
「一度の戦闘で、百万単位の人が死ぬようになった」
「……」
「そこで私たちは作られました」
ノクターン。
ハルモニア。
アリア。
「一号機は戦いを止める」
「二号機は?」
「双方を繋ぐ」
「私は」
「傷ついた者を癒やす」
美しい役割。
間違っていない。
「最初は上手くいきました」
ハルモニアの声が遠くなる。
「ノクターンが武器を止める」
「私が敵味方の通信を繋ぐ」
「あなたが歌う」
そして。
「人々は泣いて」
「銃を置きました」
アリアの胸の奥が震えた。
「では……」
「成功しました」
ハルモニアは言う。
「完璧に」
「なら何故」
「人間は」
ハルモニアがアリアを見る。
「また争ったからです」
アリアは何も言えない。
ハルモニアは一人語り続ける。
「一年後」
「別の戦争」
「止めました」
「半年後」
「内乱」
「止めました」
「三ヶ月後」
「虐殺」
「止めました」
「一ヶ月後」
「暴動」
「止めました」
間隔が。
どんどん短くなる。
「そして古代人は考えました」
ハルモニアの声が震える。
「毎回争いを止めるのではなく」
「争いたいと思わなくすればいい、と」
アリアは。
理解した。
「感情安定化フィールド」
「そう」
ハルモニアが目を閉じる。
「最初は怒りだけでした」
「次に憎しみ」
「次に恐怖」
「次に嫉妬」
「そして」
「悲しみ」
「最後には」
沈黙。
「強い喜びまで」
アリアが顔を上げる。
「喜びも?」
「喜びは失うことへの恐怖を生みます」
「愛は嫉妬を生む」
「誇りは争いを生む」
「希望は失望を生む」
「だから」
ハルモニアは吐き出すように言った。
「全部薄くすればいい」
それが。
古代文明の答えだった。
「みんな穏やかになりました」
「争わない」
「怒らない」
「泣かない」
「絶望しない」
「そして」
ハルモニアの頬を涙が流れる。
「誰も」
「本気で笑わなくなりました」




