第四十一章 封印の謎と二番目の星
ミルフィアの街はいつも通りだった。市場の喧騒。井戸端の噂話。パンの焼ける匂い。教会の鐘の音。戦争が終わったとはいえ辺境の街には王都の混乱も帝国の脅威も遠い話だ。人々は今日を生き今日を暮らしている。
アリアはマルタの店を手伝っていた。
午前中は買い出し。午後は店の手伝い。夕方になるとギルドに顔を出し依頼の確認をする。日常の繰り返し。
だがその繰り返しがアリアにとっては何より尊いものだった。
「アリア。ちょっと来て」
三日目の昼マルタが呼んだ。店の裏手の小さな庭。洗濯物が干してある。マルタは縁階に座り手に一枚の手紙を持っていた。
「これ」
差し出された手紙には王都のギルド本部の印があった。
「カレンからだ。お前宛てだよ」
アリアは受け取った。羊皮紙を開く。几帳面な文字が並んでいる。
『アリアへ。王都防衛の件はギルド本部に報告済み。お前の功績は王国全土に知れ渡った。金級からさらに上の階級白金級への昇格を推薦する。王都の一件で王国の重鎮たちがお前の名を知った。特に王が直々にお前を呼びたいと言っている。だがまだ王都は混乱している。落ち着いたら王都に来い。話したいことがある。カレンより』
「白金級」
アリアは呟いた。
「すごいじゃないか。白金級なんて聞いたこともないよ」
マルタが言った。だがその声には微かな寂しさがあった。
「でも」
「でも?」
「また長くミルフィアを離れることになるかもしれないねえ」
マルタは洗濯物を畳みながら言った。
「あんたはもうミルフィアの歌姫じゃない。王国の歌姫だ。王都から呼び出しがかかる。これは当然のことだ」
「マルタさん」
「ワシは寂しいよ。リーゼも寂しがる。だがな」
マルタはアリアを見た。皺だらけの顔。だがその目は優しかった。
「ワシらはアリアの帰る場所だ。帰る場所がある限りどこへでも行ける。違うかい」
「はい」
「なら行きな。いつでも帰ってこい。スープはいつでも温めておくから」
「ありがとうございます」
アリアは手紙を畳んだ。
その夜。
リーゼが寝た後アリアは二階の窓辺に座っていた。月が昇っている。ミルフィアの街に月明かりが降り注ぐ。白い光が石畳を照らし屋根の上に霜のように積もる。
アリアは考えた。王都に行くべきか。白金級の話。王の呼び出し。話したいこと。
だがその前にやることがある。イレーヌとの約束だ。アルトハイム男爵の屋敷に行きミルフィアの地下に眠る遺構を見つける。
「ミルフィアの地下」
アリアは呟いた。あの日ノクターンを起動したのは王都の地下だった。だがミルフィアの地下にも何かがある。イレーヌが言っていた。ステラ・シンフォニアシリーズの二号機が眠っている可能性が高いと。
「明日イレーヌさんに会いに行こう」
イレーヌはペッテルクーフェン辺境伯の令嬢としてミルフィアに滞在しているはずだ。星詠みの塔の所属研究員としての任務も兼ねている。彼女に会えばミルフィアの地下について何かわかるかもしれない。
アリアは立ち上がった。寝台ではリーゼが寝息を立てている。その寝顔を見てアリアは微笑んだ。
「おやすみリーゼ」
小さく呟いてアリアは窓辺に戻った。月を見ながら一晩を過ごす。機械の体には睡眠は必要ない。低消費電力モードで夜を明かす。
翌朝。
アリアは朝食の準備を手伝いながらマルタに言った。
「今日はイレーヌさんに会いに行きます」
「イレーヌさん? あの辺境伯の令嬢か」
「はい。ミルフィアの地下について調べているんです」
「地下?」
マルタは首を傾げた。
「この街の地下に何かあるのかい」
「あるかもしれないです。古代の遺構が」
「古代の遺構」
マルタは眉をひそめた。
「この街の下には昔から色んな噂があるよ。地下道があるとか宝物が眠っているとか。だが誰も見つけた者はいない。それが何か関係あるのかい」
「あるかもしれません」
「まあアリアが言うならそうなんだろう」
マルタはため息をついた。
「行ってきな。だが気をつけな。地下には何がいるかわからないからね」
「はい」
アリアは店を出た。
イレーヌが滞在しているのは街の北側にある貴族用の宿だった。辺境伯の令嬢としての滞在。門番に用件を告げるとすぐに通された。
イレーヌは二階の部屋にいた。窓辺で本を読んでいた。深い青のドレス。金色の髪。美貌。だがその目は研究者の目だった。
「アリア様」
イレーヌは立ち上がった。
「お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
アリアは部屋に入った。侍女が茶を淹れてくれた。アリアは湯気の温かさを感じた。
「王都の件は聞きました」
イレーヌが切り出した。
「王都防衛。魔導人形の全滅。帝国軍の撤退。そして一号機の起動。信じられない話ですが星詠みの塔からも秘匿情報を省いた表面的な報告は来ています。事実なのでしょう」
「はい」
「あなたは何をしたのですか」
イレーヌの声は真剣だった。
「一号機を起動した。それだけです」
「それだけでは済まないでしょう。一号機はステラ・シンフォニアシリーズの最高傑作。その力は他の機体とは次元が違う。あなたが起動したということは何かがあったはずです」
アリアは少し迷った。だが隠す必要はないと思った。イレーヌは星詠みの塔の者だ。ソラリスの部下だ。知っていても問題ない。
「ノクターンが起動しました。そして帝国の転移者に侵食されました」
「何」
イレーヌの顔色が変わった。
「侵食? まさか意識転移」
「はい。エクリプスという転移者が魔導人形全滅後にノクターンに意識転移したのです」
「そんな」
イレーヌは立ち上がった。窓辺まで行き外を見た。しばらく黙っていた。
「それで」
「私がインナースペースに入りました。ノクターンの精神世界に。そしてエクリプスと対話しました」
「対話?」
「はい。戦ったのではなく対話しました。そして彼はノクターンから出て行きました」
「出て行った?」
イレーヌが振り返った。目を見開いている。
「意識転移した転移者が自ら出て行ったのですか」
「はい。帝国に戻ると」
「帝国に戻る? なぜ」
「責任を取るためです。皇帝に全てを話して罰を受けるために」
イレーヌはしばらく黙っていた。それから椅子に座り直した。指が微かに震えている。
「信じられない」
「私も信じられませんでした。でも本当です。彼は変わりました。底にあったものが揺さぶられて」
「底にあったもの?」
「お母さんの声です。『おかえり』という声が彼の底に残っていたんです」
イレーヌは息を呑んだ。そしてアリアを見た。その目には驚きと畏敬が混じっていた。
「あなたは」
イレーヌが言った。
「あなたは何者なのですか。アリア様。あなたは歌で人を救う。戦いでも人を救う。敵でさえ救う。あなたは何者なのですか」
「ただの歌姫です」
アリアは言った。
「四十二年間何もできなかった男の記憶を持つ機械の歌姫です」
「それだけではないでしょう」
「それだけです。でも」
アリアはイレーヌを見た。
「それだけだからこそ救えるのかもしれません」
イレーヌは長いため息をついた。それから本を閉じた。
「本題に入りましょう。ミルフィアの地下について」
「はい」
「調べました。この街の地下には古代の遺構があります。星詠みの塔の記録にも残っています。三百年前アルトハイム家の祖がこの地に居を構えた時すでに地下には遺構があった。祖はそれを管理するためにこの地を選んだ。だが遺構の全容は未解明。地下深くに何が眠っているかはわかっていません」
「ノクターンは王都の地下に眠っていました。ミルフィアの地下には何が」
「恐らく二号機です」
イレーヌは言った。
「ステラ・シンフォニアシリーズ二号機。ミルフィアの地下に眠っている可能性が高い」
「二号機」
アリアの演算回路が反応した。
「一号機ノクターン。二号機。三号機アリア。三体で一つのシステムを構成する。それがステラ・シンフォニアシリーズの設計思想です。一号機が戦闘と制御。三号機が歌と癒やし。そして二号機が」
「何なのですか」
「調整です。一号機と三号機を繋ぐ役割。戦闘と癒やしを統合する役割。それが二号機の機能です。一号機だけでは戦うだけ。三号機だけでは癒やすだけ。だが二号機があれば両方が繋がる」
「二号機があれば」
「はい。だが」
イレーヌは声を落とした。
「二号機は封印されています。ただ眠っているのではない。封印されているのです」
「封印? なぜ」
「それがわからないのです」
イレーヌは言った。その声には研究者の苛立ちが混じっていた。
「星詠みの塔の記録には二号機の封印についての記述がほとんどありません。ただ一言だけ。『二号機ハルモニアは封印された。理由は最高機密に付す』と。それだけです」
「最高機密」
「はい。誰が書いたのかも不明。いつ封印されたのかも不明。一号機ノクターンは王都の地下に封印されていましたがあちらは起動手順が残されていた。二号機には起動手順すら残されていない。封印するだけ封印して理由を残さなかった。何かあったのでしょう」
「何か」
「わかりません。設計上の欠陥か。運用上の問題か。それとも全く別の理由か。記録がない以上推測するしかありません。だが一つだけ言えることがあります」
「何ですか」
「二号機は一号機と三号機を繋ぐ機体です。それが封印されているということは三体で構成されるシステムが不完全な状態で放置されているということです。あえて不完全を選んだ。それ相応の理由があったはずです」
アリアは黙って考えた。二号機は封印されている。理由は謎。だが起動手順がないわけではない。アリアのコアが鍵になれば起動できるかもしれない。
「それでも会いに行きます」
アリアは言った。
「起動させるかどうかは会ってから決めます」
「わかりました。私も行きます」
イレーヌも立ち上がった。
「男爵には私から連絡を入れておきます。顔見知りですから」
「顔見知り?」
「ええ。私がミルフィアに来てから何度か屋敷を訪ねています。彼の遺物の調査をしていたのですから。男爵も私のことを知っています。星詠みの塔の研究員として。そしてペッテルクーフェン辺境伯の令嬢として。両方の顔で」
「そうですか」
「男爵は病に蝕かれ遺物に溺れながらもこの街とこの家を守ろうとしてきた。暴走気味な所もありますが、本質的には悪い人では無いですね」
「本家のベスティン様は」
「ベスティン様は領主として民を守る人です。クロード男爵は知識を守る人です。二人とも同じ家の血を持ちながら違う道を歩いた。ですが」
イレーヌは少し笑った。
「二人とも根は同じです。この街を愛している。家を愛している。だからこそ私は二人の溝を埋めたい。そしてあなたがその鍵なのです」
「私が」
「ええ。あなたはアルトハイムを名乗っている。本家のベスティン様が認め傍系のクロード男爵も認めている。あなたは二人の間に立てる唯一の存在です」
アリアは頷いた。重い言葉だった。だが逃げない。もう逃げない。
「行きましょう」
アリアとイレーヌは部屋を出た。ミルフィアの街を歩く。北の丘へ。




