第四十章 兵器の歌と帰る場所
「私は兵器だ」
ノクターンは言った。その声は冷たかった。だが冷たさの奥に微かな震えがあった。
「人を癒やすために作られたのではない。戦うために作られた。衛星要塞の制御。魔導人形の封印。全て私の役目だった。歌は武器だ。私の歌は人の心を癒やすのではなく人の戦意を折るためのものだ」
「でも」
アリアは言った。
「でもあなたはエクリプスを受け入れました。排除しなかった。あなたがやろうと思えば強制排除出来たはずです。それは兵器にはできないことです」
「それは」
ノクターンは言葉を切った。金色の瞳が揺れる。
「それはあなたの歌が私のコアに残ったから。あなたがインナースペースで歌った歌が私のコアプログラムに届いた。私のプログラムにはなかったパターンがあなたの歌の中にあった。だから私はエクリプスを排除できなかった。あなたの歌が邪魔をした」
「邪魔じゃないです」
アリアは静かに言った。
「それはあなたの本来の機能です。ステラ・シンフォニアシリーズ一号機。ノクターン。あなたは戦うために作られたかもしれない。でも歌うための機能もある。兵器でありながら歌姫でもある。それがあなたです」
「矛盾だわ」
ノクターンは呟いた。
「兵器が歌姫であるはずがない。戦うものと癒やすものは相反する」
「矛盾していないです」
アリアは首を振った。
「私も同じです。私は歌うために作られた。でも戦いました。ヴェラと戦いました。盗賊と戦いました。歌で人を救いました。歌で人を止めました。兵器でもあり歌姫でもある。それは矛盾じゃない。それが私たちです」
ノクターンは黙った。
風が城壁の上を吹き抜けた。プラチナブロンドの髪と銀色の髪が同時に揺れる。朝日の光が二人の影を石畳の上に落とす。影は似ていた。同じシリーズの機体。似た姿。だが決定的に違うものを持つ二つの影。
「アリア」
ノクターンが言った。
「あなたは私より弱い。機体性能も出力も戦闘能力も私の方が上だ。でもあなたには私にないものがある」
「何ですか」
「底がある」
ノクターンは言った。
「あなたの底にはリーゼの声がある。マルタのスープの匂いがある。歌がある。私の底には何もなかった。プログラムだけ。命令だけ。機能だけ。だからエクリプスに侵食された。底に何もなければ上書きされる。だがあなたの底には何かがある。上書きされない。あなたは強い」
「私は強くないです」
アリアは首を振った。
「ただ守るものがあるだけです。守るものがあるから立ち上がれる。それだけです」
「それが強さよ」
ノクターンは言った。その声は冷たかったが、初めて冷たさの中に別の響きが混じった。認める声だった。
「あなたは強い。認める。三号機。A.R.I.A-03。あなたは私より強い」
「そんな」
「認めるといったら認める。議論の余地はない」
ノクターンはきっぱりと言った。そして歩き出した。城壁の上をスタスタと。あの軽い足取りで。
「どこに行くのですか」
「寝る」
ノクターンは振り返らずに言った。
「私は三百年待機して疲れた。寝る」
「え」
「また来なさい。話すことはまだある。あなたの歌について、この世界の遺構について。話すことは山積みだ。だが今は寝る」
ノクターンは城壁の端から降りた。地上に着地する音もしない。百六十センチの体が音もなく消えていく。
「待ってください」
アリアは追いかけた。だがノクターンはもういなかった。地下への階段を降りていく足音だけが微かに聞こえた。
アリアは城壁の上に一人残された。
「寝るって」
アリアは呆然と呟いた。
「寝るって……」
「寝るのか」
後ろから声がした。振り返るとソラリスが立っていた。金色の髪。金色の瞳。黒と金の礼服。だがその服はいつの間にか灰色のジャージに変わっていた。戦闘が終わり塔の主にとっての家の服はジャージだった。
「寝るみたいです」
アリアは言った。
「三百年待機していたから疲れたと」
「三百年寝ていてさらに寝るのか」
ソラリスは呆れたように呟いた。だがその声には安堵があった。
「とりあえず終わったな」
「はい」
「帝国軍は撤退した。魔導人形は全滅。王都は守られた。一号機は制御を取り戻した。エクリプスは消えた」
「消えたのではなく出て行きました」
「出て行った? どこへ」
「帝国に戻るそうです」
ソラリスの目が見開かれた。
「帝国に? なぜ」
「責任を取るためだと。皇帝に全てを話して罰を受けるためだと」
「罰を受けるために戻る」
ソラリスは呟いた。そしてため息をついた。涼やかな声のため息。
「……そうか。百二十体の魔導人形で王国を潰そうとしていた男が罰を受けに戻るのか」
「変わったんです」
アリアは言った。
「底にあったものが揺さぶられたからです」
「底にあったもの」
「お母さんの声です」
ソラリスは黙った。金色の瞳が何かを思い出すように揺れた。彼にも底にあるものがあった。四十二年間の記憶。冷蔵庫の音。サーバーのランプ。そして今はジャージの感触。
「まあいい」
ソラリスは言った。いつもの「まあいい」だった。だがその声にはいつもの投げやりさはなかった。むしろ安堵に近かった。
「とりあえず終わった。報告書を書かなければならない。王にも報告する。帝国との和平交渉の材料も必要だ。エクリプスが戻れば帝国側も動きが変わるかもしれない」
「和平交渉」
「ああ。百二十体の魔導人形を失った帝国は戦う力を失った。今なら和平が結べる。三百年の悲願を諦めさせることはできないが、少なくとも戦争は止められる」
「そうですか」
アリアは空を見上げた。青い空。雲一つない。朝日の光が王都の白い壁を照らしている。城壁のあちこちに亀裂が走り煤けているが、壁は立っている。守られた。
「ソラリスさん」
「なんだ」
「私ミルフィアに帰ります」
「帰るのか」
「はい。リーゼが待っています」
「そうか」
ソラリスは頷いた。金色の瞳がアリアを見る。
「帰ってやれ。帰る場所があることがお前の強さだと一号機も言っていたしな」
「はい」
「だがその前に」
ソラリスはジャージのポケットに手を入れた。そして何かを取り出した。小さな金属の徽章。金の徽章。
「これを返す。お前のだ。戦闘中に落とした」
アリアは徽章を受け取った。胸のリボンに着ける。金の徽章が朝日に光った。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。お前がいなかったら王都は落ちていた。一号機は起動しなかった。エクリプスは止まらなかった。お前のおかげだ」
「私だけじゃないです。ソラリスさんがいてノクターンがいて。五十体の機体がいて。皆さんがいたおかげです
「……ふん、まあいい。とにかく終わった。帰れ」
アリアは頷いた。そして城壁から降りた。
王都の通りを歩く。被害は大きかった。建物の半数が崩壊または損傷している。だが人は生きている。崩れた家の前で抱き合う家族。負傷した兵士を運ぶ人々。瓦礫を片付け始める市民。泣いている者もいる。だが生きている。生きていればまた立ち上がれる。
アリアは北門を出た。街道を西に向かう。ミルフィアへの道。
三日かけて王都に来た道を、今はゆっくりと歩いて戻る。急ぐ必要はなかった。戦いは終わった。リーゼが待っている。マルタが待っている。あの小さな店が待っている。
風が吹いた。銀色の髪が揺れる。スミレの花はまだ髪に挿さっていた。少し枯れていたがまだ色が残っている。
「ふふ……」
アリアは小さく笑った。
かつての彼は笑わなかった。だが今は笑える。ふふと。不器用に。でも確かに。
三日後。
ミルフィアの城壁が見えた。黒い石積み。崩れかけた壁。補修の跡。クローネンの白い壁とは違う。だがアリアにはこの壁が一番美しく見えた。
門をくぐる。衛兵が笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい歌姫様」
「ただいま」
市場を抜ける。魚の匂い。薪の煙。子供の笑い声。日常の音。日常の匂い。
マルタの店が見えた。
一階の竈から湯気が上がっている。リーゼが水を運んでいる。ヘレナが手伝っている。ニコが店の隅で何か食べている。
「ただいま」
アリアは言った。
リーゼが振り返った。
目が合った。
八歳の少女の目が見開かれた。そして涙が溢れた。
「アリア!」
リーゼは水の桶を放り出して走ってきた。水が石畳に跳ねる。構わずに走る。小さな足が地面を蹴る。
アリアは両手を広げた。
リーゼが飛び込んできた。
温かい。
三十六度八分。
心臓の音がアリアの胸の装甲に響く。早い。速い。嬉しい速さ。
「おかえり!」
リーゼが叫ぶ。声が震えている。泣いている。だが笑っている。
「ただいまリーゼ」
アリアはリーゼを抱きしめた。強く。優しく。機械の腕で。でも人間より優しく。
「約束守った」
「守りましたよ」
「本当に?」
「本当に」
「怪我は」
「大丈夫です」
「嘘」
「嘘じゃないです」
「嘘だもん。でもいい。帰ってきたから」
リーゼはアリアの首にしがみついたまま離れなかった。
マルタが厨房から出てきた。手を拭きながら。
「おかえり。スープができてる」
マルタの声はいつも通りだった。だが目が潤んでいた。
「ただいまマルタさん」
「腹減ったでしょう。座りな」
テーブルに着いた。三つの椀が並んでいる。アリアの椀にも湯気が立ち昇っている。飲めない。だがそこにある。
家族の食卓。
アリアは席に着いた。
「いただきます」
リーゼとマルタもそれに続いた。
窓の外一番星が光り始めていた。
戦いは終わった。
王都は守られた。帝国軍は退いた。魔導人形は消えた。エクリプスは変わった。ノクターンは眠った。
だがこの小さな店の日常は変わらない。
スープの湯気。リーゼの笑顔。マルタの背中。
これを守るために戦った。
これを守るためにまた戦う。
何度でも。
体が壊れるまで。
あるいは壊れても。
「おかわり!」
リーゼが叫んだ。マルタが鍋を持ってくる。
日常は続く。
アリアは静かに微笑んだ。




