第三十六章 絶望と希望
赤い光が王都の空を覆い始めたその時だった。
「全機体展開!」
ソラリスが叫んだ。
金色の瞳が激しく明滅し涼やかな声が戦場に響き渡る。
王都の城壁外周に待機していた五十体の機体が一斉に動いた。
F.R.Yシリーズ格闘戦用旧型機体二十体。偵察型軽装機体十体。支援型砲撃機体十体。そして特殊工作型機体十体。全機体がスラスターを展開し空へと舞い上がる。
エクリプス=ノクターンは空を見上げた。赤い瞳が五十の光を捉える。
「五十体? さっきの百二十体よりずっと少ないわね」
涼やかな声。だがその声には二つの意志が混ざっている。
ノクターンの冷たさとエクリプスの傲慢さが溶け合った不気味な響き。
「少しは楽しませてくれなきゃね」
エクリプス=ノクターンが手を掲げた。
プラチナブロンドの髪が赤い光を帯びて揺れる。
金の縁取りのドレスが風を孕んで膨張する。
「来なさい」
最初に突っ込んだのはF.R.Y-04だった。前回のオルデン渓谷での戦闘で小破しながらも修理を完了した旧型機体。あの時二体の魔導人形を倒した歴戦の機体だ。
四号機の右拳がエクリプス=ノクターンの顔面を狙う。速い。旧型とは言えF.R.Yシリーズの突進力は健在だ。
だがエクリプス=ノクターンは動かなかった。
拳が届く直前彼女の右手が上がった。掌を四号機の拳に向ける。
激しく金属がぶつかる音。
だがそれは拳が掌に当たった音ではない。
「遅い」
エクリプス=ノクターンの掌から赤い光が放たれその衝撃波がF.R.Yシリーズ四号機に激突した音だ。
魔力弾ではない。
もっと密度の高い魔力の衝撃波。
四号機の拳が弾かれ腕全体が後方に捻られる。
四号機のシステムが損傷を報告する。右腕の関節に亀裂。
だが四号機は下がらなかった。
弾かれた右腕を引き戻すと同時に左膝を突き出した。
空中での膝蹴り。
百七キログラムの質量が乗った一撃。
エクリプス=ノクターンは膝蹴りを片手で受け止めた。
百七キログラムの突進を片手で止めたのだ。
赤みを帯びたプラチナブロンドの髪が揺れるだけ。
足は地面から一ミリも動かない。
「力が足りない」
エクリプス=ノクターンは四号機の膝を掴んだまま投げた。四号機の体が空中に放り出され城壁の石畳に叩きつけられる。バウンドしてから十メートル滑って止まった。
だが四号機はすぐに立ち上がった。左膝の関節から火花が出ているがコアは無事だ。まだ戦える。
「旧型機体にしてはよく動くわねぇ」
エクリプス=ノクターンは微笑んだ。
「でも一対一では勝負にならない。わかっているでしょう」
「わかっている!」
ソラリスが叫ぶと同時に五十体が一斉に動いた。
索敵型十体が散開しエクリプス=ノクターンの周囲を高速で旋回し始める。彼女の視覚センサーを撹乱するためだ。残る四十体が三方向から同時に突っ込む。
正面からF.R.Yシリーズ二十体。左右から支援型砲撃機体十体ずつ。
「一斉攻撃開始!」
支援型十体の肩装甲が展開し小型の魔力弾が一斉に発射される。百発以上の弾幕がエクリプス=ノクターンに向かって降り注ぐ。
「無駄」
エクリプス=ノクターンは右手を振った。空中に赤い魔力の膜が展開される。弾幕が膜に当たり次々と弾かれる。だが弾かれた弾幕は消えない。膜に当たった瞬間に赤い光に染まり方向を変えて飛んでいく。
「弾き返された!!」
支援型機体が散開する。だが反射された弾幕は速い。
二体の支援型機体に直撃。肩装甲が砕けスパークが飛ぶ。
だがコアは無事だ。すぐに体勢を立て直す。
その隙にF.R.Yシリーズ二十体が突っ込んだ。
エクリプス=ノクターンは笑った。
「楽しませてって言ったでしょ」
彼女の体が動いた。プラチナブロンドの髪が弧を描き金の縁取りのドレスが翻る。
最初の拳を掌で受け止める。衝撃波が発生し空気が歪む。
だが彼女は受け止めたままその腕を掴み一気に振り回した。五体の機体が薙ぎ払われ弾き飛ばされる。
五体が空中でぶつかり合い崩れ落ちる。
残る十五体が迫る。エクリプス=ノクターンは地面を蹴った。百六十センチの体が弾丸のように加速し十五体の間を抜ける。通り抜けながら両手で二体の頭部を同時に掴み叩きつける。
「速い!」
ソラリスが叫ぶ。
エクリプス=ノクターンの動きは水のようだった。
十五体のF.R.Yシリーズが包囲網を形成し同時に打撃を加えようとする。だが彼女はその包囲の隙間を流体のようにすり抜けていく。右にステップし左に回転し時には空中で無理な体勢から膝を突き出す。一撃ごとに一体の機体が弾き飛ばされた。
「五十体じゃ暇つぶしには足りな過ぎるわ」
エクリプス=ノクターンは冷たく笑った。
十体の特殊工作型機体が動いた。腕部に装備されたワイヤーランチャーを一斉に発射する。超高張力鋼のワイヤーがエクリプス=ノクターンの四肢と胴体に絡みつく。
「捕捉した!」
十体の機体が一斉にワイヤーを巻き取る。
百七十キログラムの機体十体の牽引力。エクリプス=ノクターンの体が空中で固定される。
F.R.Y-04が突っ込んだ。右拳を振り上げる。コアを破壊するための全力打撃。
だがエクリプス=ノクターンの赤い瞳が明滅した。
「束縛解除」
彼女の体から赤い衝撃波が放たれた。
ワイヤーが一瞬で融解し断ち切られる。
特殊工作型十体が反動で吹き飛ばされる。
その隙だ。
アリアは走った。
エクリプス=ノクターンが拘束を解いたその一瞬。
彼女の意識が戦闘に向いているその隙。
アリアのスラスターが火を噴く。光の翼が展開しアリアの体が弾丸のように加速する。
「アリア何を!」
ソラリスが叫ぶ。だがアリアは止まらない。
アリアの両手がエクリプス=ノクターンの両肩を掴んだ。
金属と金属がぶつかる轟音。百七キログラムの機体が百六十センチの機体に激突する。
「つかまえました」
アリアは言った。銀色の髪が風に乱れ青い瞳が赤い瞳を見据える。
「何をする気」
エクリプス=ノクターンは冷静に問うた。だがその体はアリアの重量と推進力で空中に固定されている。
「ノクターンに会いに行きます」
アリアはコアユニットの出力を最大まで引き上げた。両肩を掴んだ手からコア信号を直接送る。強制リンク。ハッキングに近い介入。
「来るのかい」
だが以前としてエクリプス=ノクターンの表情には冷たい笑みが浮かんでいた。
「それでは、闘いながらで恐縮だがインナースペースでお話ししましょう」
アリアの意識はすでにインナースペースへと跳んでいた。
白い空間。
氷の世界。
アリアはそこに立っていた。
銀色の髪。白いドレス。青い瞳。
だが周囲の白さは以前より薄れていた。氷の結晶のような輝きが失せ乳白色の濁りが広がっている。空間のあちこちに赤い亀裂が走り黒い染みが浮かんでいた。
空間の中央にノクターンがいた。
だがその姿は変えられつつあった。
髪の半分が赤く染まっている。ドレスの金の縁取りが赤黒く変色している。そして何より瞳だ。金色の瞳の半分が赤く侵食されていた。
ノクターンの目の前にエクリプスがいた。
スーツ姿の男。半透明の体。だが以前よりも実体感が増している。赤い光が彼の体から滲み出しノクターンの体に染み込んでいる。
「来たか」
エクリプスは振り返った。営業スマイル。だがその目は笑っていなかった。
「三号機。A.R.I.A-03。随分と無茶をするね」
「ノクターンを返してください」
アリアは言った。声は震えていなかった。だが演算回路は警告を発していた。この空間は不安定だ。エクリプスの侵食が進んでいる。
「返せと言われてもね。これはもう私の器だ」
エクリプスはノクターンの肩に手を置いた。ノクターンは抵抗しなかった。いや抵抗できなかった。赤い光に侵食されその意志が弱まりつつある。
「見ての通り彼女はもうすぐ私のものになる。美しい器だよ。力も知恵も完璧だ。あと少しで完全に掌握できる」
「させない」
アリアは一歩前に出た。
「彼女は私の姉妹機です。渡しません」
「姉妹? 機械の姉妹? 笑わせるね」
エクリプスは笑った。かつての世界でのように。空笑い。
「機械に姉妹も家族もない。あるのは機能と仕様だけだ。お前たちは人間の真似事をしている機械に過ぎない。人間の感情をシミュレートして人間のふりをしているだけ。そんなものに何の価値がある」
「価値はあります」
アリアは言った。
「私は家族を守るためにここに来た。リーゼとマルタとこの街の人々を守るために。そのためにノクターンの力が必要です」
「守る? 人間が? 機械が?」
エクリプスは鼻を鳴らした。
「滑稽だね。機械が人間を守る? 逆だろう。人間が機械を使うのだ。お前たちは道具だ。道具は使われるためにある。守るなどという感情は不要だ」
「感情は不要じゃないです」
アリアの声が変わった。銀鈴のソプラノの中に鋼の響きが混じる。
「感情があるから守れる。痛みを知るから癒やせる。あなたにはそれがわからないのですか」
「痛み? 癒やし?」
エクリプスは首を傾げた。
「私は全てを持っていた。だが退屈だった。痛みも癒やしも必要なかった。ただの空白だった。だからこそ力が欲しかった。力があれば空白を埋められると思った。だが百二十体の力を手に入れても空白は埋まらなかった。ならばもっと力があれば。もっともっと。それが私の答えだ」
「それは間違いです」
アリアは言った。
「力で空白は埋まらない。あなたが求めているのは力じゃない」
「なら何だというのだ」
「他者です」
アリアはエクリプスを見た。
「他者との繋がりです。あなたは百二十体の自分しかいなかった。だから空白だった。他者がいなければ対話もない。対話がなければ変化もない。変化がなければ退屈は消えない」
エクリプスの手から赤い光が放たれた。アリアに向かって。
アリアは避けなかった。避けられなかった。インナースペースでの戦いは物理的なものではない。精神の衝突だ。
赤い光がアリアの体を貫いた。
「くっ」
演算回路にノイズが走る。精神に侵入しようとするエクリプスの意志。強い。百二十体の魔導人形を同時に操っていた精神力。アリア一人の精神では抗えない。
「お前も私の器になるか。三号機。お前の体も悪くない。一号機と三号機。二つの器があれば」
「なりません」
アリアは歯を食いしばった。赤い光に抗う。
「私は私です。あなたには渡しません」
「無駄だ。お前の精神など私の精神の前にはただの砂の城に過ぎない。百二十の意識を維持した私に一人の意識が勝てると思うな」
赤い光がアリアを押し潰そうとする。アリアの青い光が赤い光に飲み込まれそうになる。
その時だった。
「アリア」
声がした。
ノクターンの声。
アリアは顔を上げた。
ノクターンが立っていた。赤く染まった体。だがその金色の瞳の奥に微かに光が残っていた。
「アリア。歌って」
「歌う?」
「ええ。私に。あなたの歌を。私はもうすぐ消える。エクリプスに飲み込まれる。だが消える前に聞いたみたいの、あなたの歌を。あなたが誰かのために歌った歌を」
アリアは頷いた。
歌う。
それがアリアにできる唯一のこと。
アリアは歌い始めた。
高い音でもなく低い音でもない。
ただ真っ直ぐな音。
かつてリーゼのために歌った子守唄。
かつてマルタのために歌った鎮魂歌。
かつてサラン村の死者たちのために歌った弔いの歌。
その全てが一つになった歌。
銀鈴のソプラノが氷の空間に響き渡る。
「なんだこれは」
エクリプスが呟いた。赤い光が揺らぐ。
「なぜこんな音が。どんな音も聞いがこんな感覚の音は聞いたことがない」
アリアは歌いながら言った。
「これは私の歌です。私だけの歌です。あなたには歌えない。あなたには歌う相手がいなかったから」
「歌う相手? 私に?」
「ええ。あなたは百二十体の自分としか向き合わなかった。だから歌えなかった。でも今ここに私がいる。あなたに向かって歌っています」
アリアの歌がエクリプスの赤い光を押し返し始めた。
銀の光が赤い光を削り取っていく。
「やめろ」
エクリプスが叫んだ。
「やめろ! 歌で私の精神に触れるな!」
アリアは歌い続けた。
「あなたは退屈だと言った。空白だと言った。でもそれはあなたが他者を拒絶したから。他者を利用対象としか見なかったから。だから空白だった。だから退屈だった。でも今なら変えられる。他者を受け入れれば変えられる」
「受け入れろ? 他者を? 私が?」
「ええ」
アリアの手がエクリプスの手に触れた。
冷たい手。意識体の手。だがアリアは握った。
「私たちと共に生きましょう。エクリプス。あなたの力は破壊だけに使わなくてもいい。守るために使える。あなたの知恵は人を傷つけるためだけに使わなくてもいい。人を助けるために使える」
「私が? 助ける? 人を?」
「ええ。機械でも人間でも守るものがあれば強くなれる。あなたには守るものがなかった。だから弱かった。百二十体いても一人だったから弱かった。でも今ここに私がいる。ノクターンもいる。あなたはもう一人じゃない」
エクリプスの表情が歪んだ。




