第三十五章 堕ちた星歌
一号機は冷たく微笑んだ。
「あなたは何故……」
その瞬間だった。
一号機の金色の瞳が微かに揺れた。
いや揺れたのではない。何かが混ざったのだ。
金色の光の奥に赤い点が灯った。
「……?」
アリアは気づいた。演算回路が警報を発する。
「あなたの瞳に……」
「知っている」
一号機の声が変わった。
涼やかだった声に微かなノイズが混じる。
まるで二つの声が重なっているかのように。
「意識転移。帝国の転移者のスキルよ」
「意識転移?」
「魔導人形百二十体を破壊した。だが彼の意識は消えていなかった。一体の魔導人形から別の機体へ移る。それが彼の転移者スキル。意識転移」
ソラリスが息を呑んだ。
「まさか。魔導人形全てを破壊したのに」
「破壊したのは機体だけ。意識は機体を捨てて逃げた。そして今」
一号機の体が微かに震えた。
「私の中に入り込もうとしている」
アリアは叫んだ。
「ノクターン! 出て行かせて!」
「できない」
ノクターンの声がさらに変わった。
冷たさの中に熱が混じる。
金色の瞳の赤い点が大きくなる。
「彼の意識転移は転移者特有のスキル。私のコアプログラムに直接干渉している。私はシンフォニアシリーズの機体。転移者ではない。だから転移者スキルへの耐性がない」
「そんな」
「そしてもう一つ。彼は元人間よ。人間の精神のしぶとさは機械のプログラムとは比べ物にならない。その執念が私のコアを侵食している」
一号機のインナースペース。
ノクターンの精神世界は白い空間だった。
アリアのそれと似ている。
だがもっと冷たい。
白というより氷の色。
光というより結晶の輝き。
その中央にノクターンが立っていた。
プラチナブロンドの髪。金色の瞳。金の縁取りのドレス。
彼女の向かいに一人の男が立っていた。
三十五歳。モデル並の顔立ち。スーツ姿。
だがその体は半透明で揺らいでいる。
実体ではない。意識だけの存在。
エクリプスだった。
「ようやく入れた」
エクリプスは笑った。
かつての世界での営業スマイル。
人を安心させるために計算された笑み。
「なかなか頑丈なコアだった。百二十体の魔導人形を破壊されたのは惜しかったが、これほどの器なら安いものだ」
「出て行きなさい」
ノクターンは冷たく言った。
「あなたのような存在に私のコアは渡さない」
「渡すかどうかを決めるのは君でも私でもない」
エクリプスは一歩前に出た。
「決めるのは力だ。私の意識転移は転移者スキル。この世界のルールの外にある力。お前のコアプログラムはこの世界のルールの中で作られている。ルールの外からの侵入者を防ぐ術はない」
「試してみる?」
ノクターンの金色の瞳が輝いた。
白い空間に無数の光の刃が生まれる。
ノクターンの意志が具現化した攻撃。
刃がエクリプスに襲いかかる。
エクリプスは避けなかった。
意識体に過ぎない彼は物理的な攻撃を防ぐ手段を持たない。
刃がエクリプスの体を貫く。
だがエクリプスは消えなかった。
「痛いな」
エクリプスは笑っていた。
刃に貫かれた胸から煙が上がっている。だがそれだけだ。
「残念だったな。私はすでに百二十体の魔導人形を操ってきた。百二十の意識を同時に維持してきた。意識の分割と統合には慣れている。この程度の攻撃で消えると思うな」
ノクターンはさらに攻撃を加える。
光の刃が十本二十本と増えエクリプスの体を貫く。だがエクリプスは消えない。
逆に彼の体が少しずつ鮮明になっていく。
「気づいたか」
エクリプスは言った。
「お前の攻撃は私の意識を削るが同時に私の意識を定着させている。攻撃すればするほど私はお前のコアに馴染んでいく。お前の攻撃は私の存在を認めているのと同じだ」
ノクターンの動きが止まった。
「私のコアがあなたを異物として排除しようとすればするほどあなたの意識が定着する」
「そういうことだ。私は排除されることを前提に設計された意識。拒絶されればされるほど強くなる」
エクリプスが一歩前に出た。
ノクターンが一歩後退する。
「お前は強い。ステラ・シンフォニアシリーズ一号機。ノクターン。この世界の古代文明が生み出した最高傑作の一つ。だがお前は機械だ。機械はプログラムに従う。そしてプログラムは書き換えられる」
「書き換えさせない」
「できるさ」
エクリプスは手を伸ばした。ノクターンの頬に触れる。冷、たい手。意識体の手。だが触れられたノクターンは動けなかった。
「なぜ」
「この機体に乗り移った直後にお前たちのデータを全て読んだ。星詠みの塔の機体。F.R.Yシリーズ。ステラシリーズ。全ての設計思想を。全ての制御コードを。お前のコアプログラムの構造も知っている」
「そんな」
「お前のコアは美しい」
エクリプスの手がノクターンの頬を撫でる。
優しい手つきだがその手から赤い光が滲み出てノクターンの白い肌に染み込んでいく。
「やめ……」
「抵抗するな。すぐに終わる」
赤い光がノクターンの体を覆い始める。
金色の髪が赤く染まる。金色の瞳が赤に変わる。
「私は……」
ノクターンの声が震えた。
「私は……ノクターン……ステラ・シンフォニア……一号機……」
「そうだ。お前はノクターンだ。だがもう一人のノクターンになる。私と共に」
「共に……」
「そうだ。私とお前。二つの意識が一つの体に。それが最強だ。お前の力と私の知恵。王国など恐るるに足らない」
ノクターンの目から光が消えかける。だがその直前彼女は最後の抵抗を試みた。
「アリア……ソラリス……逃げなさい……」
その声はインナースペースの外にも漏れた。
アリアとソラリスはノクターンの体が震えるのを見た。
金色の瞳が赤く染まっていくのを。
「ノクターン!」
アリアが叫んだ。だがノクターンはもう答えない。
「遅かったわね」
ノクターンの口が動いた。
その声はノクターンのものだが、雰囲気が全く違っていた。
「ありがとう。素晴らしい器をくれて」
ノクターンの体が動く。金色の髪が赤く染まり金色の瞳が赤い光を放つ。
「私はエクリプス。そしてノクターン。二つの名を持つ者」
アリアとソラリスは同時に後退した。
「最悪だ」
ソラリスが呟いた。
「最悪の保険が最悪の結果になった」
「どうするのですか」
「わからない」
ソラリスの声が震えていた。
「一号機を止める手段は五十体の機体だけ。だがノクターンはそれを遥かに上回る。そして今エクリプスの知恵まで加わった。手も足も出ない」
エクリプス=ノクターンは微笑んだ。
赤い瞳が朝日の中で輝く。
「まずはお前たちを始末するか。それとも」
彼女は空を見上げた。王都の空。青い空。平和な空。
「まずはこの王都を壊そう。せっかくの器だ。存分に使わせてもらう」




