第三十三章 王都炎上
ミルフィアを旅立ってから二日目の夕暮れ、
王都の城壁が見えた。
白亜の城壁。だがその白さはもうどこにもなかった。
壁面は黒く煤けあちこちに亀裂が走り一部は崩れ落ちている。
城壁の上には兵士が並んでいるがその数は少ない。
全員が傷を負い疲弊しきっている。
城壁の周囲には帝国軍の陣営が広がっていた。
無数の天幕。篝火。整然と並んだ兵器。
その数は計り知れない。
アリアの視覚センサーが概算する。
帝国軍八万から十万。対する王都の守備兵はおよそ二万。
絶望的な差だ。
だがアリアの目は別のものに向いていた。
空だ。
王都の上空を飛び回る影がある。人型の影。黒いローブを纏い赤い光を放つ魔女たち。魔導人形だ。その数は数えきれない。少なくとも五十体以上が空を舞い時折城壁に向かって魔力弾を放つ。城壁の兵士たちは盾を掲げて耐えているが盾は次第に砕けている。
「あれが帝国の魔導人形」
アリアは息を呑んだ。空を飛ぶ人型兵器。
しかも五十体以上。
「このままでは王都は持たない」
アリアは走った。
城壁の外側を回り帝国軍の包囲網の隙間を探す。
夜陰に紛れアリアの銀色の髪をフードで覆いながら進む。
帝国軍の哨戒は厳重だったがアリアの聴覚センサーと暗視機能は人間の哨兵よりも遥かに優れている。
見つからずに包囲網の北側へ回り込んだ。
北側は王都の城門があった。門は閉ざされ鉄格子が下ろされている。だが門の前には帝国軍の部隊が陣取っていた。
攻撃の準備をしている。
「北門から攻める気ですか」
アリアは決断した。フードを脱ぎ捨てる。
銀色の髪が夜風に流れる。白いドレスが月光を浴びて輝く。瞳の奥で青いリングが回転する。
「行きます」
アリアは帝国軍の部隊に向かって走り出した。
百七キログラムの機体が石畳を蹴る。
音もなく加速する。
帝国兵が気づいた時にはアリアは部隊の中央にいた。
「なっ」
「敵襲!」
「何だあの女!」
帝国兵が槍を構える。
アリアは槍を掴み引き寄せた。
兵士がバランスを崩す。
アリアはその兵士の胸を軽く打ち気絶させた。
同時に背後の兵士に向かって回し蹴りを放つ。
百七キログラムの質量が乗った蹴りは
鎧ごと兵士を吹き飛ばした。
「化け物だ!」
「弓だ! 弓を構えろ!」
矢が放たれる。アリアはスラスターを微かに噴かし空中で静止した。矢は全てアリアの足元を通過する。
「うそだろ空を」
アリアは着地と同時に地面を踏み抜いた。
石畳が砕け破片が周囲の兵士に降り注ぐ。
悲鳴。混乱。アリアはその隙に北門へ走った。
門の前には十数名の兵士がいた。
だがアリアは止まらない。
両手を広げスラスターを全開にした。
「通してください」
爆発的な推進力。
アリアの体が門に向かって一直線に飛ぶ。
兵士たちは避ける間もなく弾き飛ばされた。
アリアは門を叩いた。
「王国軍の方! 開けてください! 味方です!」
門の内側から声がした。
「誰だ!」
「冒険者ギルド金級アリア・アルトハイム! 王都防衛のため参りました!」
沈黙。そして鉄格子が上がる音。門が開いた。
中には傷だらけの兵士たちがいた。その中に一人の老将がいた。
「よく来たアリア殿。話は聞いている。ミルフィアの歌姫が金級冒険者だそうだな」
「はい。王都の状況を教えてください」
「包囲されて十三日。食料はあと三日。矢は尽きかけている。兵は疲弊し城壁は崩れかけている。そして何より空からの攻撃が止まらない。あの魔導人形どもを何とかしない限り我々は持ちこたえられん」
「魔導人形の数は」
「五十体以上。おそらくもっとだ。王都のあらゆる方角から攻めてくる」
アリアは城壁に上がった。東の空が明るくなり始めていた。夜明けが近い。
「朝が来る。また攻撃が始まる」
老将が呟いた。
アリアは空を見上げた。夜明けの空に無数の黒い影が浮かんでいる。魔導人形だ。五十体以上が整然と隊列を組み王都を見下ろしている。
「あれが帝国の魔導人形」
「ああ。空から魔力弾を放ってくる。我々の弓では届かない。対空兵器もない。なすすべがない」
アリアは魔導人形を観察した。人型。女性のシルエット。黒いローブ状の装甲。額に赤い宝石。目鼻立ちはあるが表情がない。だが一つ気づいたことがあった。
「あの魔導人形たち動きが同じです」
「同じ?」
「はい。全ての機体が同じタイミングで同じ動きをしています。まるで一人の人間が複数の人形を同時に操っているように見えます」
老将は目を見開いた。
「まさか。五十体以上を同時に?」
「わかりません。ですがあの動きは個々の意志ではありません。統制された動きです」
アリアの演算回路が高速で回転していた。五十体以上の魔導人形。統制された動き。ならば統制している何かがいる。
朝日が昇った。同時に魔導人形の隊列が動いた。五十体以上の魔導人形が一斉に王都へ向かって降下を開始した。
「来るぞ!」
老将が叫ぶ。兵士たちが弓を構える。だが届かない。
アリアは城壁の上に立った。銀色の髪が朝日を浴びて輝く。
「私が行きます」
「アリア殿?」
「あの魔導人形を止めます」
アリアはスラスターを全開にした。
背中の装甲が展開し光の翼が広がる。
アリアの体が宙に浮く。
「なっ」
「飛んだ!」
兵士たちの驚きの声を背にアリアは空へと舞い上がった。
五十体以上の魔導人形がアリアを見た。赤い瞳が一斉にアリアを捉える。
「貴方達たちを止めます」
アリアは歌い始めた。空中での歌唱。歌は戦場に響いた。
だが魔導人形は止まらない。
「無効。音響攻撃を確認。防御機構起動」
魔導人形たちのローブが膨張し魔力の膜を形成する。アリアの歌は膜に阻まれ魔導人形には届かない。
「歌が効かない」
アリアは格闘に切り替えた。一体の魔導人形に突進し拳を振るう。魔導人形が避ける。だがアリアの蹴りがもう一体の胴体を捉えた。ローブが裂け赤い光が漏れる。
だが五十体以上の魔導人形を同時に相手にして勝てるはずがない。アリアの演算回路が限界を警告する。エネルギー残量は六割。
ふいに王都の地下から振動が来た。
地響き。
王都の地下深くから何かが呼んでいる。
アリアのコアユニットが激しく反応した。
「これは……」
その時城壁の内側から声がした。
「アリア!」
振り返ると金色の髪の少女が立っていた。
ソラリス。
星詠みの塔の主。E.O.S-01。暁型統括制御ユニット。
「貴方は……」
「今データリンクで送った情報の通り、一号機の起動には私が必要でしょう。アリアが鍵なら私が施錠解除の管理。星詠みの塔の手順に従って起動する。制御不能になった場合私が停止させる」
ソラリスから送られた情報でアリアは瞬時に情報を把握する事ができた。
ソラリスは灰色のジャージではなく黒と金の礼服を纏っていた。戦場だ。正装で来たのだ。だがその顔にはいつもの涼やかな余裕はなかった。金色の瞳に真剣な光が宿っている。
「塔の機体は」
「約五十体。王都の城壁外周に待機させています。一号機対策の温存です。万一一号機が制御不能に陥った場合五十体で封印する。それが最悪の保険です」
「最悪の保険……」
「最善の策が一号機の起動。最悪の策も一号機の起動。どちらも一号機に関わる。皮肉ですが」
ソラリスはアリアと共に空から降下した。
城壁の内側に着地する。
「アリア殿! どうした!」
老将が駆け寄る。
「地下に行きます。王都の地下に一号機が眠っています。それを使えば魔導人形を止められるかもしれません」
「一号機? 何だそれは」
「古代の兵器です。詳しい説明は後にします。私とソラリスが地下に行っている間ここをお守りください」
老将はアリアとソラリスの顔を見比べた。二人の少女。だがその二人から漂う空気は少女のものではなかった。
「承知した。ここは我々が持ちこたえる」
「ありがとうございます」
アリアとソラリスは走った。王都の中央広場に向かう。
広場に着くと足元の石畳が微かに光っていた。
「ここです」
アリアが言った。ソラリスが頷く。
「私がアクセスします。アリアはコア信号を送って。三号機のコアが鍵。私の制御権が施錠解除」
ソラリスが石畳に手を触れる。同時にアリアも手を触れる。二人のコアユニットから同時に信号が送られる。アクセスコードを入力し起動プロトコルの第一段階を実行する。
石畳が動いた。地下への階段が現れた。
暗い。だが二人の暗視機能には問題ない。
アリアとソラリスは並んで階段を降りた。
地下は広かった。
石造りの巨大な空間。
天井は高く柱が並んでいる。
古代の遺構だ。
壁面には魔導紋様とは異なる幾何学模様が刻まれ
淡い光を放っている。
そしてその中央にそれはあった。
身長は百六十センチほど。
アリアより少し高いだけ。だが存在感が違った。
圧倒的に違った。
ステラ・シンフォニアシリーズ一号機。
台座の上に横たわるその機体はアリアと似ていた。
だが決定的に違う。
まず髪。アリアの銀色に対しこちらはプラチナブロンド。一本一本が白金の糸のように輝き光がなくても自ら淡い光を放っている。肌はアリアと同じ白磁だが微かに金色の気配が混じる。服装はアリアの白いドレスと似た形状だが基底色は純白ではなく淡いプラチナ。金の縁取りが施され袖口から胸元からスカートの裾まで金色の刺繍が星の軌跡のように走っている。リボンは金。靴は白金。全身が聖女の礼服のように荘厳だった。
アリアは台座の前に立った。ソラリスが隣に立つ。
「準備はいいな」
ソラリスが言った。金色の瞳が一号機を見つめている。その瞳には微かな緊張があった。
「はい」
アリアは手を伸ばした。一号機のコアユニットに触れる。
同時にソラリスも手を伸ばした。制御権限のインターフェースに接続する。万が一の場合即座に停止させるための安全装置。
アクセスコードを入力する。三号機のコア信号を鍵として一号機の起動プロトコルに接続する。
カチリ。
音がした。物理的な音ではない。データが噛み合った音だ。
一号機の瞼が開いた。
金色の瞳。
アリアの青とは違う。純金の光。だが温かくはない。冷たい。裁くような冷たさ。
一号機はゆっくりと体を起こした。台座の上に座り周囲を見渡す。その動作はアリアよりも滑らかで同時に機械的だった。
一号機は目を閉じた。
三秒。
目を開けた時その金色の瞳は変わっていた。冷たさはそのままにだがその奥に全てを知っているような光が宿っていた。
「状況把握完了」
涼やかな声だった。だがアリアの声とは違う。アリアの銀鈴が人の心に寄り添う声なら一号機の声は手術メスのように冷たく鋭い。美しいが触れれば切れる。
「王都包囲。帝国軍八万。魔導人形百二十体中五十体が前線展開。残り七十体は後方予備。王国軍残存戦力二万。食料三日分。城壁崩壊率四割。おおよそ四十八時間で陥落」
アリアは言葉を失った。
「今何をしたのですか」
「上位権限で全機体のデータベースにアクセスした。星詠みの塔の主ソラリス。E.O.S-01の記録。F.R.Y-02および04の戦闘記録。帝国の魔導人形の制御信号。全てを参照した」
一号機はアリアを見た。金色の瞳がアリアの青い瞳を覗き込む。
「あなたはA.R.I.A-03」
「はい」
「随分変わったわね」
唐突だった。一号機はアリアの全身を舐めるように見た。
「設計時の仕様とは違う。歩き方が違う。声の使い方が違う。表情制御のレイヤーが厚い。歌に感情の残滓が乗る。設計外の挙動だわ」
「設計外……」
「そしてあなたの中にもう一つの人格がある。かつて人間だった男の記憶と人格のコピー。それがあなたのコアプログラムと融合して新しい人格を形成している」
アリアの演算回路が凍りついた。
「なぜそれを」
「上位権限でアクセスすれば全機体のログは閲覧できる。あなたの起動ログも。人格書き込みの記録も。揺籃モードの経過も全部」
一号機はソラリスにも目を向けた。金色の瞳が金色の瞳を見る。
「E.O.S-01。暁型統括制御ユニット。あなたも転移者の脳を移植されている。四十二歳の冴えない男。まあ元の人格はどうでもいいわ」
ソラリスは黙って頷いた。
いつもの涼やかな表情はなかった。
一号機は立ち上がった。
台座から降りる。
百六十センチの体が石の床に立つ。
プラチナブロンドの髪が揺れ金色の瞳が地下の空間を見渡す。
「魔導人形ね」
一号機は呟いた。その声には微かな後悔の色が混じっていた。
「もっと念入りに破壊しておけば良かった」
「それはどう言う……」
「あれを封印したのは私だもの」
アリアの世界が揺れた。
一号機は歩き出した。
アリアの方へではなく出口の方へ。
スタスタと。
まるで散歩でもするかのように軽い足取りで。
「待ってください」
アリアは追いかけた。
一号機は振り返らない。地下の階段を上がり始める。
「どこに行くのですか」
「地上。魔導人形を破壊する。それがあなた達の目的でしょう」
「ですが一体どうやって」
「貴方の中のもう一人に聞くといいわ」
一号機は階段を上がりながら振り返らずに言った。
「五分もあれば終わるわ」
アリアとソラリスは顔を見合わせた。
地下の階段を上がる一号機の背中を二人は唖然と見送っていた。
プラチナブロンドの髪が揺れ金の縁取りのドレスが階段の暗がりで微かに光る。
その背中は小さかった。
だが歩みには一片の迷いもない。
「あの子」
ソラリスが呟いた。
金色の瞳が一号機の背中を見つめている。
「制御できるのか」
「わかりません」
アリアは正直に答えた。
インナースペースのもう一人の自分にリンクしようとした。あの子なら何か知っているかもしれない。
だが応答がなかった。
白い空間に立つもう一人のアリアは黙っていた。
青い瞳が揺れていた。だが口は開かなかった。
「返答がない」
アリアは言った。声が微かに震えていた。
ソラリスは一号機の背中を見ていた。
階段を上がり地上に向かう一号機。
その歩みは軽やかだった。
だがその軽さが逆に不気味だった。
「……まあいい」
ソラリスは言った。だがその声にはいつもの「まあいい」の安らぎはなかった。
「あの子が暴走したら五十体で止める。それが最悪の保険だ。だが」
「……」
「やはり……とんでもないものを目覚めさせてしまったのかもしれない」
二人は顔を見合わせた。そして同時に階段を駆け上がった。
一号機はもう地上に出ていた。
朝日の光の中にプラチナブロンドの髪が輝いている。金色の瞳が空を見上げた。空には五十体以上の魔導人形が飛び交っている。
一号機は微笑んだ。
初めて表情が変わった。
だがそれは安らぎの笑みではなかった。
「お久しぶりね……」
涼やかな声が朝の戦場に響き渡った。




