第二十八章 揺籃に眠る冴えない記憶
「私がやるべきこと、か」
彼はジャージのポケットに手を突っ込んだ。
かつての癖だ。
ジャージのポケットに手を突っ込んで俯きながら歩く。
コンビニまでの道アパートまでの道。
今はジャージのポケットに手を突っ込みながら
執務室で金色の髪を揺らしながら窓の外を見ている。
彼は机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。
古い記録ではない。彼自身が書いた実験ログだ。
端正な文字が並んでいる。
ソラリスの指先はペンを握るだけで美しい文字が書ける。
実験ログをめくる。
日付が並んでいる。
転移後三年目。
脳移植完了後。
彼がソラリスに統合され体が安定した後、
最初に取り掛かったのは
自分の記憶と人格のバックアップだった。
理由は単純だ。死にたくなくなったからだ。
二度死にかけた。
一度目は元の世界での緩やかな消耗。
二度目は転移後の肉体崩壊。
二度とも「まあいい」で済まそうとしたがさすがに三度目は「まあいい」では済まなかった。
脳移植という禁じ手を使ってまで生き延びた。
だがソラリスの機体にも限界はある。
いつかまた壊れるかもしれない。
その時に備えて自分の記憶と人格をバックアップしておきたかった。
保険。予備。スペア。
自分の記憶と人格をコピーし別の機体に移植する。
それができれば万が一ソラリスが破壊されても自分は消えない。
別の機体で続きができる。
人間だった頃の彼は「続き」なんて望まなかったが、
今の彼は「続き」を望んでいた。
それが人間の本能だと死んでから知った。
「で、色々試したわけだが」
彼は実験ログを机に広げた。
『人格互換性テスト不合格。コア拒絶反応。書き込み失敗』
四機目。五機目。六機目……。
全て不適格。
彼が保管していた機体の中で自分の記憶と人格のコピーを受け入れた機体は一つもなかった。
戦闘用も生活補助用も医療用も偵察用も。
どれもが彼のコピーを「異物」として認識し弾き出した。
「何なんだ全く」
そして、二十七機目の記録。
A.R.I.A-03。
ステラ・シンフォニアシリーズ三番目の機体。極致型歌唱・演舞ユニット。
この機体だけが例外だった。
彼は正直なところアリアには期待していなかった。
いやむしろアリアこそが最も不適格だろうと踏んでいた。
理由は明確だ。
ステラタイプのコアプログラムの互換性要求は全機体中最も厳しい。
生活補助用の機体でさえ弾かれたのだ。
歌と癒やしのためのアイドルロボットが自分のような人間の記憶を受け入れるはずがない。
彼はアリアでの実験を最後の手段というよりは、むしろ「一応やっておくか」という程度の気持ちで試みた。
だが結果は違った。
コピーを書き込んだ瞬間、アリアのコアは『異物』として排除しなかった。警告も出さなかった。エラーも出なかった。
コアがコピーを受け入れたのだ。
いや正確には受け入れたのではない。
アリアのコアプログラムはコピーされた記憶と人格を認識すると同時にそれを『種』として扱い始めた。
異物ではなく種。
排除すべきデータではなく育むべきデータ。
それは彼にとって全く予想外の反応だった。
なぜアリアだけが受け入れたのか。
彼にはわからなかった。
なぜ歌うための機体だけが自分の記憶を受け入れたのか。
仮説はいくつか立てた。
一つはステラタイプのコアプログラムが他の機体と根本的に異なる構造を持っている可能性。
戦闘用や生活補助用の機体は目的が明確だ。
敵を殺す。作物を育てる。傷を治す。
目的が明確な機体は人格の適合性をその目的に役立つか否かで判断する。
冴えない中年男の記憶は戦闘にも農作業にも医療に役立たない。だから弾かれた。
だがステラタイプの目的は、
人々が望む偶像である理想的なアイドルとして、
心に寄り添い歌で人々に癒しを与える事だ。
心に寄り添うためには「心」が必要だ。
そして心とは何か。
痛みを知ること。失敗を知ること。絶望を知ること。孤独を知ること。
四十二年間何もできなかった男の記憶。それは失敗と絶望と孤独の塊だ。だがその塊の中に「痛みを知る心」があった。
ステラタイプのコアはそれを認識したのではないか。
役に立たない人格だが心はある。
その心を種として扱ったのではないか。
「あくまでも仮説だが、俺の人生が無駄じゃなかったってことか。それとも俺の無駄な人生こそがアイドルに必要だったってことか」
彼は自嘲気味に笑った。
そういえば、アリアのコアが彼のコピーを「種」として扱った瞬間のログには不可解な一文が残されていた。
『人格データ受領。コア親和性確認。起動プロトコル初期化。揺籃モード移行』
揺籃モード。その言葉は彼がどの文献で調べても出てこない。全機体のどのマニュアルにも記載されていない。
アリアのコアだけが独自に生成したモード名だった。揺籃。ゆりかご。赤子を寝かせるための籠。
アリアは彼の記憶と人格を赤子のように扱ったのだ。
それが何を意味するのか。彼にはまだわからない。
「まあいい」
彼は実験ログを閉じた。
まあいい。また言ってしまった。
だが今の「まあいい」は逃げでは無く
先に進む為の「まあいい」だ。




