第二十五章 記憶の残骸
翌朝、アリアはいつもより早く目が覚めた。
正確に言えば、目が覚めたのではない。低消費電力モードから通常モードに復帰しただけだ。だがその復帰の瞬間に、演算回路の奥底で何かが弾けた。エラーではない。ノイズでもない。ただの記憶の断片が意識の表面に浮かび上がってきただけだ。
かつての男の記憶。
四十二歳の冴えない平社員。佐藤……いや、名字すらもう曖昧だ。確か佐藤だったと思うが、それも確信がない。妻の旧姓も忘れた。結婚記念日も忘れた。いや正確には忘れたのではなく最初から覚えていなかったのかもしれない。彼の人生において記念日とは「しなければならないこと」であって「したいこと」ではなかったからだ。
アリアは寝台の縁に座り、リーゼの寝息を聞きながら、かつての自分について考え始めた。
考えても仕方がないことだ。わかっている。今の自分は機械の体を持つアイドルロボットで銀色の髪と青い瞳を持つ少女の姿をしていてミルフィアの街で金級冒険者として暮らしている。かつての人生は終わった。終わったのだ。
だが四十二年間の記憶は簡単には消えない。
データとして演算回路の奥底に沈んでいる。普段は表面に出てこない。だが静かな朝、意識が半分しか覚醒していない時、まるで泥の底から泡が浮かび上がるように、ふと蘇る。
彼はどんな人間だったのか。
アリアは自分の過去を振り返った。いや振り返るというのはおこがましい。振り返るべき軌跡などないのだから。ただ中途半端に生きて中途半端に死んだ男の、中途半端な残骸を拾い上げているだけだ。
まず仕事のことから。
彼はIT企業の中間管理職だった。いや中間管理職というのは聞こえが良い。正確には平社員の中で最も年齢が高く最も役に立たず最も存在感の薄い人間だった。課長代理の試験は三回落として四回目は受験すら忘れて五回目は「今回は辞退します」とメールを送った。そのメールの文面を未だに覚えている。「誠に恐縮ながら今回は辞退させていただきます」。恐縮とは何に対する恐縮なのか。自分の無能さに対してか。それとも自分の怠惰に対してか。
メールを送った後、彼はトイレの個室で十五分座っていた。何を考えていたのか。何も考えていなかった。いや何も考えていないふりをしていた。本当は胃の底から這い上がってくる「また逃げた」という声を聞かなかったことにしていた。
また逃げた。
それが彼の人生の基調だった。
逃げた回数を数えたことはないが、もし数えれば四十二回は軽く超えるだろう。高校受験の時、第一志望を滑り止めに変えた。『万一落ちたら嫌だから』。万一。万が一。その万が一の確率を恐れて常に一段低い場所を選ぶ。その繰り返しだった。
大学受験もそうだった。行きたかった学部があった。文学部。何を学びたかったのか。もう覚えていない。ただ本が好きだった。それだけは確かだ。だが「文学部で何ができるの」という親の一言で経済学部に変更した。経済学部に入ってから微積分がさっぱりわからずに留年した。留年した時に何を思ったか。「まあいいや」。それだけだった。
まあいいや。
彼の口癖だった。
まあいいや。なんとかなる。なんとかなってきた。なんとかならなかったことはなかった。なかったと言い聞かせていた。実際には何とかなっていない事だらけだったが、そう認めるのが怖かったから「まあいいや」で蓋をした。
蓋をした回数も数えられない。
就職活動でもそうだ。内定をもらった会社が一つだけあった。中堅のIT企業。給料は安くないが高くもない。福利厚生はあるが使ったことがない。残業は多いが残業代は出ない。それでも入社した。他に選択肢がなかったから。
選択肢がなかった。
というのは嘘だ。選択肢を作らなかった。探さなかった。努力しなかった。自分から動かなかった。動けば傷つくから。挑めば失敗するから。失敗すれば「やっぱりダメだった」と確認されるから。確認されるのが怖かった。
だから何もしなかった。
何もしない人間は誰からも責められない。責められない代わりに誰からも褒められない。褒められない代わりに誰からも必要とされない。必要とされない人間は空気になる。彼は会社の空気になった。
朝九時に出社し18時に退社する。その間に何をしていたのか。仕事はしていた。ただしあまりにも機械的に。マニュアル通りに。マニュアルがない仕事は「誰か」に任せた。「誰か」はいつも名前のない存在だった。彼は「誰か」の影に隠れて生きていた。
昼休みは一人で食事をしていた。最初は同僚と一緒に食べていたが、いつの間にか一人になった。理由はわからない。誘われなくなったのか、誘われても断ったのか。たぶん両方だ。誘われても「今日は少し忙しいので」と断った。忙しくはなかった。ただ一人で食べる方が楽だった。
一人で食べるコンビニのおにぎり。しゃもじの味がする混ぜ物のおにぎりを齧りながらスマートフォンを眺める。ニュースアプリの見出しを斜め読みする。読んでいるのに何も頭に入らない。入らないのにスクロールし続ける。無限に続く情報の流れの中に自分を溶かしているようで、それが心地よかった。
ああ、これだ。この感覚。
無限にスクロールする画面の中に自分がない。いない。存在しない。それが心地よい。存在しなくていい世界。誰も彼を知らない世界。彼も誰も知らない。ただ消費するだけ。消費されない。消費されないから何も残らない。残らないから責任もない。
責任がない。
それが彼の究極の安全地帯だった。
責任を持たなければ責められない。責められなければ傷つかない。傷つかなければ痛くない。痛くなければ生きていける。生きていればいつか死ぬ。死ねば終わる。それでいい。それでいいと自分に言い聞かせた。
言い聞かせた回数も数えられない。
結婚についてもそうだ。
二十九歳の時、同僚の紹介で知り合った女性と結婚した。なぜ結婚したのか。好きだったからか。たぶん違う。好き嫌いの前に「そろそろ結婚しないと」という焦りがあった。三十歳が近い。周りの同僚は結婚している。独身は自分だけ。会話についていけない。子どもの話になると輪に入れない。
だから結婚した。相手がいたから。たまたま紹介されたから。断る理由がなかったから。
断る理由がなかった。
なんという理由だ。ある理由で結婚するのではなくない理由で結婚する。前向きな選択ではなく消極的な妥協。これが彼の人生の縮図だった。
妻は悪い人ではなかった。明るくて社交的で友達が多くて料理が上手だった。正反対だった。正反対だから補い合えると最初は思った。だが補い合うには互いに何かを差し出さなければならない。彼は差し出すものがなかった。
愛? 愛していたのか。たぶんしていなかった。愛の意味を知らなかった。愛とは何か。相手を大切に思うことか。それとも相手に必要とされることか。彼はどちらもできなかった。相手を大切に思うためには相手を見ていなければならないが、彼は自分さえ見ていなかった。自分を見ない人間は相手も見ない。
妻は次第に不満を溜めた。彼は気づかなかった。気づかないふりをした。それが彼の防御策だった。気づかなければ対処しなくていい。対処しなければ失敗しない。失敗しなければ傷つかない。
傷つかない。
だが妻は傷ついていた。彼が気づかない傷が妻の中に積もった。目を見てくれない。会話がない。休日は寝ているかスマートフォンを見ている。二人の空間にお互い居ない。
いるのにいない。
それが彼の生き方だった。会社にもいるのにいない。家庭にもいるのにいない。世界にいるのにいない。
妻が部屋から消えたのは結婚七年目だった。荷物をまとめて実家に帰った。彼はその日も会社に行った。帰宅すると部屋が空っぽだった。空っぽの部屋を見て何を思ったか。
「まあいいや」
そう思った。それだけだった。
怒りも悲しみも後悔もない。何もない。空っぽの部屋に空っぽの人間が立っていた。ただ冷蔵庫のブーンという音だけが響いていた。
あの時の冷蔵庫の音は未だに記憶の底に残っている。低い持続音。彼の人生のBGMだ。何も起きない部屋で何もしない人間の背景音。冷蔵庫とサーバーのランプ。それだけが彼の存在を証明していた。
その後のことはよく覚えていない。正確には覚えているが語るに値しない。独身に戻り、同じように出社し同じように退社し同じように誰とも話さず同じようにコンビニのおにぎりを齧った。ただ部屋が一つ広くなった。それだけの違いだった。
四十歳を超えた頃から体が衰え始めた。腰が痛く目がかすみ階段を登ると息が切れた。健康診断の結果は毎年「要経過観察」だった。要経過観察。観察する人もいないのに観察する。誰が観察するのか。自分で観察するのか。自分で観察できるなら病院に行く必要がない。
行かなかった。要経過観察と言われたが観察しなかった。観察したくなかった。観察すれば異常が見つかる。異常が見つかれば対処しなければならない。対処すれば金がかかる。金がかかれば働かなければならない。働かなければならないのは今も同じだ。何も変わらない。
何も変えようとしなかった。
変えようとするには「変わりたい」という欲求が必要だ。彼には欲求がなかった。欲求とは生の証だ。生きていれば欲求が湧くはずだが、彼の生はすでに枯れていた。枯れた生から湧くものは何もない。
かつての彼はこう考えていた。生きていくために必要なものは何もない。必要なのはただ息をすることだけ。食べて寝て出社して帰る。その繰り返し。それで十分。十分と言い聞かせた。
「十分だ」と。「これでいいんだ」と。「仕方ない」と。「他人もこうだ」と。全部嘘だった。他人はこうではなかった。他人は笑い泣き怒り喜び誰かを愛し誰かに愛されていた。彼はそうではなかった。だがそれを認めれば自分が壊れる。壊れるのが怖かったから認めなかった。
認めなかった。
そして死んだ。
彼の人生は拍子抜けするほどあっさりと終わった。最期に見たのは薄汚れたアパートの雨の降る窓枠と点滅するサーバーのランプだけだった。それが彼の人生のラストシーンだった。美しくも悲しくもない。ただ終わった。
終わったはずだった。
だが終わっていなかった。
アリアは寝台の縁で膝を抱えていた。リーゼの寝息が聞こえる。マルタが一階で竈に火を入れる音がする。今の日常の音。
四十二歳の人生を振り返って何が残ったか。
何も残らなかった。あれだけ生きて何も残らなかった。足跡すらない。泥の上を歩いても足跡は残る。だが彼は空気の上を歩いていた。空気の上には足跡が残らない。
彼は自分自身に呆れた。
四十二年間もらった命を全部無駄にした。もらった命? いや誰からもらったのか。親からか。神からか。社会からか。誰からもらったのかわからない命を誰にも返さずに消費しただけだ。消費して燃え尽きてゴミになった。
ゴミ。
人間がゴミになる。それは彼の実感だった。使い捨ての存在。交換可能な歯車。壊れたら取り替えられる部品。名前も覚えられない顔。顔も覚えられない名前。「あ、あいつか」。それが彼の存在感のすべてだった。
会議で発言しても「はい、次の方」と流される。メールを送っても返信が来ない。廊下ですれ違っても目が合わない。打ち合わせで意見を言っても「もう少し具体的に」と返される。具体的にしようとしたら「時間がないので後で」と切られる。後で。「後で」という言葉が彼の人生を埋め尽くしていた。
後でやる。後で考える。後で決める。後で話す。後で後で後で。
後では来なかった。
来るはずがなかった。後でやることは後でやる後でやる後でやる。無限ループ。彼の人生は『後で』という二文字で埋め尽くされた墓石だった。
「何なんだ、まったく」




