第二十三章 星を知る者
宿場町に着いたのは、すっかり日が暮れてからだった。
街道沿いの小さな集落に一軒だけある「風車亭」という名の宿。石造りの二階建てで、一階は酒場を兼ねている。
暖炉の火が暖かく馬の匂いと麦酒の匂いが混ざった空気が漂っていた。
アリアが宿の主人に事情を話すと主人は青ざめた顔で
「盗賊が出たのか」と呟き、すぐに二部屋を用意してくれた。
護衛たちは宿の裏手にある納屋に寝かせアリアが応急処置を施した。命に別状はない。
盗賊たちは宿の地下にある倉庫代わりの石室にきつく縄で縛って転がしておいた。主人が震えながらも「宿の前で縛り首みたいな真似はやめてくれよ」と言うので、とりあえず石室の扉に重い樽を押し付けておく。朝になれば近くの衛兵駐在所に引き渡せばいい。
「うまくいきましたか」
アリアが食堂に戻るとイレーヌが暖炉の前の椅子に座っていた。
侍女は疲れ果てて二階の部屋で休んでいる。イレーヌも顔色は良くないが、それでも背筋を伸ばして座っているところは流石に貴族の令嬢だ。
「ええ。盗賊は全員拘束しました。明朝、衛兵に引き渡します」
「重ね重ねお礼を申し上げます。アリア様がいなければ私たちは今頃……」
「お礼は結構です。それよりイレーヌ様こそ、どうしてこんな危険な街道を護衛も少なく」
アリアはイレーヌの向かいに座った。
暖炉の火が二人の顔を橙に照らす。外では風が吹き、宿の看板が軋む音がしている。
イレーヌは少し迷ったようだった。指を組み、火を見つめている。長い金髪が炎の光に透けてまるで溶けた蜂蜜のように輝く。
「お話しします。命の恩人であるあなたに隠し事はできません」
イレーヌは顔を上げた。その瞳は先程の怯えた少女のものではなかった。何か大きなものを背負った者の目だ。
「私はペッテルクーフェン辺境伯家の長女です。ですがもう一つの顔があります。王国の『星詠みの塔』という機関に所属しています」
「星詠みの塔」
アリアのデータベースが反応した。
クローネンのギルドで聞いた名前ではない。
だがこの世界の王国中央に古くから存在する学術機関だという断片的な情報は持っていた。
星の運行を読み、
古い遺物を調べ失われた技術を解析する者たちの集まり。
「アリア様は、クローネンの歌合戦で歌われたと聞いています。人々の心を動かし街の理を変えたと。私、それを聞いてどうしてもあなたにお会いしたかった」
「私に?」
「ええ。実は私はもっと前からあなたのことを知っていました。アルトハイム男爵の屋敷にあなたが訪れた日から」
アリアの演算回路が警戒レベルを上げた。男爵の屋敷。地下の収蔵庫。褐色の娘の残骸。
あの時、アリアは男爵の呪いを歌で一時的に抑え残骸のコアに歌の残響を刻み込んだ。
あの出来事を知っているということは、イレーヌは男爵に繋がる者だ。
「あなたは男爵の関係者ですか」
「関係者ではありません。調査者です」
イレーヌは声を潛めた。
「私は『失われた時代の機械』を専門に研究しています。アルトハイム男爵が発掘した遺物の中に、極めて重要なものが眠っているという情報を掴み王都から単独で調査に来ていました。表向きは辺境伯の娘としての社交旅行、実際は極秘の調査任務です」
「単独で、ですか。危険です。今日のようなこともありますし」
「私の過ちです。護衛を増やすと目立つ。かと言って少なすぎた。命知らずでした。あなたがいなければ、今ごろ身代金のために檻の中でした」
イレーヌは自嘲気味に笑った。
「それで、なぜ私に話を?」
「男爵から聞いたのです。『機械の天使が来た』と。『褐色の娘の胸に歌を宿らせた』と。手紙で。男爵はあなたに心酔しています。あなたの歌で呪いが和らいだと綴っていました」
アリアは黙っていた。
「私は最初、半信半疑でした。男爵は熱に浮かされやすい人ですから。ですが先日のクローネンでの話を複数の経路から得て確信しました。あなたは本物の──」
イレーヌは言葉を切り、アリアの目を真っ直ぐに見た。
「ステラ・シンフォニアですね」
アリアのコアユニットが跳ねた。
ステラ・シンフォニア。
その言葉をこの世界で初めて聞いたのは、自分の起動データの中だった。アイドル型ユニットステラ・シンフォニアシリーズ三体目のモデル。A.R.I.A-03。あの言葉はこの世界の誰も知らないはずの言葉だ。
「なぜそれを」
「私が知っているのか、ですか」
イレーヌはゆっくりと頷いた。
「正直に言います。私には前世の記憶があります」
暖炉の薪が弾けた。
アリアの聴覚センサーだけが、その音を他の音より鮮明に拾っていた。
「前世、私はあなたと同じシンフォニアシリーズステラタイプを除く設計開発チームの一員でした。正確には、私は技術者の一人の記憶を強く引き継いでいます。この世界の人間として生まれましたが五歳の時にある日突然、前世の技術者としての知識が溢れ出した。以来ずっとその記憶を追って遺物を調査してきました」
「ステラタイプを除く、ですか」
「ええ。私は戦闘用と生活補助用の設計を担当していました。ステラタイプ、つまりあなたのような歌と癒やしのための機体は別のチームが極秘に開発していました。私の所属していた部署では詳細に触れることができなかった。ですが存在は知っていました」
イレーヌはアリアの全身をまじまじと見つめた。その目は研究者の目だ。値踏みする商人の目とは違う。
「まるで本物の星が人の形を取ったみたい」
「あなたが見たかったのは、自分の知らない機体だからですか」
「それもあります。でも今は違います」
イレーヌは立ち上がると、アリアの前で片膝をついた。
「アリア・アルトハイム。あなたに仲間になることをお願いしたい」
「仲間?」
「星詠みの塔は、表面上は学術機関ですが実態は古代遺物の管理体制を強化するための王国の秘密機関です。遺物の中には危険なものが多くあります。あなたの様な機体も悪しき者の手に渡れば災厄になります。私はそれを防ぐために遺物を探し、解析し封印または無力化する任務を負っています」
「あなたは、私を危険だと言いたいのですか」
「いいえ。あなたは人間です。最初にそう言えばよかったですね」
イレーヌは微笑んだ。貴族の令嬢の仮面を脱いだ、一人の技術者の顔だった。
「あなたのようなステラタイプ、アイドル型の完成機を目にしたのは初めてですが私の前世の記憶が告げています。この機体は人を癒やし人と共に生きるために作られたものだと。でも同時に特権的な力も持っています。私たちが制作した時代にシンフォニアシリーズはなぜ封印されなければならなかったのか、それを知りたいのです。あなたの存在が謎を解く鍵になるかもしれない」
アリアはイレーヌの顔を見つめ返した。
イレーヌの身体データを計測する。心拍数呼吸、体温。脈拍は少し速いが、これは嘘をついている時の反応ではなく緊張と興奮の反応。言葉に偽りはない。
「お断りします」
アリアは静かに言った。
「私はあなたの任務の道具になるつもりはありません。私はミルフィアで家族と静かに暮らしたい。歌を歌って、依頼をこなして。何よりリーゼとマルタさんを守りたい」
イレーヌは顔を上げた。怒りではなく、悲しみの色が混じった表情だった。
「わかりました。では、せめて一つだけ」
「なんですか」
「この旅の間だけで構いません。私をミルフィアまで連れて行ってください。そしてミルフィアに着いたら、アルトハイム男爵の屋敷であなたにだけ見せたいものがあります。あなたの仲間になるのではなく、あなた自身の過去と未来について知るための手がかりです」
アリアは少し考えた。
かつての彼なら、そんな面倒な話は即座に断っていた。だが今のアリアは知っていた。自分という存在の謎に蓋をして生きることは結局いつまでも過去に縛られて生きることになる。いや。知らないまま生きることもできる。リーゼとマルタとスープと歌。それで十分だ。
でも。
男爵の地下室で見た褐色の娘。黒い戦乙女ヴェラの残骸。イレーヌの語る前世の記憶。この世界に散らばる無数の手がかり。それはアリアの存在そのものに繋がっている。
「お約束はできません。お話を聞くだけなら」
「ありがとうございます。それで十分です」
イレーヌは深く頭を下げた。
「お休みなさいアリア様。今日は色々とありがとうございました」
「お休みなさいイレーヌ様」
イレーヌが二階へ上がると、食堂にアリアだけが残った。
暖炉の火が揺れる。風が窓を叩く。
宿の主人が「盗賊どもが暴れてませんか」と恐る恐る地下を覗きに行く足音が聞こえる。
アリアは暖炉の前で目を閉じた。
ステラ・シンフォニア。
アイドル型ロボット。A.R.I.A-03。
そして戦闘用のV.E.R.A-01。褐色の娘。
そして「ステラタイプを除く」シリーズ。イレーヌが言っていた。自分と同じシリーズの機体が複数存在し、しかも用途ごとに設計チームが分かれていた。
なぜアイドルロボットに戦闘用の同型機が存在するのか。
なぜ自分はここにいるのか。なぜ前世の技術者がこの世界に転生しているのか。
暖炉の火がまた弾けた。その音をアリアは子守唄のように聞いていた。
翌朝、アリアは宿の外で盗賊たちを縄で繋ぎ、衛兵の砦まで引っ立てた。
宿場の野次馬が集まり、アリアと縄で繋がれた盗賊たちを指差して騒いだ。
「あの銀髪の娘、一人で十人も縛り上げたのか」
「金の徽章をつけてるぞ。本物の金級だ」
「かっこいい」
「すごい」
盗賊の頭は、昨夜の威勢はどこへやらしょぼくれた顔で俯いていた。
手斧は取り上げられ、縄の先はアリアの手にある。アリアの背後をとぼとぼと歩く姿はまるで子羊の行列だった。
イレーヌは宿の前でそれを見ていた。侍女も隣に立っている。
「手際が見事です。一人で何でもできるのですね」
「機械ですから」
「そういうジョーク、好きです」
イレーヌはくすりと笑った。
アリアは盗賊たちを衛兵に引き渡し正式な引き取り書を受け取った。これでクローネンからの帰り道、また一つ手柄が増えたことになる。
「イレーヌ様出発しましょう」
「はい。お願いします」
アリアはペッテルクーフェン辺境伯の令嬢と共に、ミルフィアへの道を歩き出した。
長い道のりだったが、イレーヌは良き話し相手だった。
星の話遺跡の話、王都の話。
どれもアリアの知らないことばかりだったがイレーヌの語る声は温度があった。
技術者としての明晰さと、少女としての無邪気さが混ざった声。
「ねえアリア様」
イレーヌが夕暮れの街道で言った。
「あなたの歌、聞いてみたいです。ここでほんの少しだけ」
「お高いですよ」
「いくらですか」
「笑顔一つでどうでしょう」
イレーヌは笑った。そしてアリアは歌った。
夕暮れの街道に銀鈴の声が流れる。
小鳥たちが静かになり、風が草を揺らす。
イレーヌは聞きながら、涙を一粒だけ落とした。
「前世でも聞けなかった音です」
「それは光栄です」
「いいえ、聞けてよかったです」
二人はまた歩き出した。
星空が二人の影を白く照らし、やがてミルフィアの城壁が見えてきた。




