第二十二章 街道の姫君
クローネンの鐘の音が遠ざかり、アリアは西へと歩いていた。
ミルフィアの街並みを思い浮かべながら石畳の街道を一人進む。胸元には金の徽章が光っている。道中、鳥の声と風の匂いだけが静かに続いていた。
クローネンを出てから半日。街道は次第に山間へと入り、両側に木々が迫る細い道になった。
その時だった。
遠くから金属のぶつかる音と、人の叫び声が聞こえてきた。
「助けて!」
「くそっ囲まれた!」
「お嬢様を守れ!」
アリアの聴覚センサーが即座に方向と距離を算出する。前方約百五十メートル。馬車が横転している音。剣が折れる音。馬の嘶き。そして男たちの笑い声。
かつての彼なら足が竦んだ。だが今は違う。
「行きます」
アリアは駆け出した。
一瞬で戦場に着いた。
光景を視覚センサーが分析する。
大型の幌馬車が道の真ん中で横倒しになり、荷物が散乱。剣を持った盗賊らしき男たちが十人以上。護衛の兵士が三人血を流して地面に倒れている。まだ息がある者もいるが、深手だ。
そして、馬車の影に二人の女性がいた。
一人は若い令嬢。年の頃は十五、六歳。深い青のドレスが泥に汚れ長い金髪が乱れている。顔は青ざめていたが、背筋を伸ばし倒れた御者の前に立っていた。
もう一人は侍女らしき年配の女。令嬢を庇うように震えている。
「おいおい姫さんよお、抵抗すんなって。おとなしく来りゃあ命だけは助けてやるぜ」
盗賊の頭らしき大男が、手斧を肩に担ぎ下卑た笑みを浮かべている。
「この方は、ペッテルクーフェン辺境伯のご令嬢であらせられるぞ! 手を出せばただでは済まんぞ!」
負傷した護衛の一人が、血を吐きながら叫んだ。
「はっ! だから価値があるんだろうが。貴族の娘なら身代金がたんまり取れる。ついでに高く売れる。お前らの命もな」
盗賊の見た目は荒くれ揃いだったが装備は統一され、動きも統率が取れていた。ただの山賊ではない。元傭兵の盗賊団だ。
アリアは彼らの視界に入る位置に歩み出た。
「おやめください」
銀鈴の声が響いた。
盗賊たちが一斉に振り返る。
「あ? なんだお前は」
アリアの全身を見た大男の顔から笑みが消えた。
銀色の髪、白いドレス、暗闇に光る青い瞳、泥に汚れぬ靴。そして胸元の金の徽章。
「冒険者ギルド金級、アリア・アルトハイム。この者たちに手を出したら私はあなた方を無力化します」
大男の額に脂汗が浮かんだ。
「金級だぁ? 嘘をつけ。こんな小娘が……」
アリアは一歩前に出た。
大男が手斧を振り上げた。
アリアは動かなかった。
斧が振り下ろされる。
その刃が届く前に、アリアの手が男の手首を掴んでいた。
「ぎゃっ!」
アリアはそのまま男の体を半回転させ地面に叩きつけた。手斧が飛び、地面に転がる。
「なっ!」
盗賊たちが動揺した。その一瞬に、アリアは地面を蹴った。石畳の破片が数個跳ね上がる。それを靴先で矢のように蹴り出した。
バシンッ。
音がして、盗賊二人の手首を石片が打ち据えた。剣が落ちる。悲鳴を上げて手を押さえた。
「散開しろ! 女一人だ! 囲め!」
別の男が叫んだ。
だがアリアはすでに囲みの内側に入っていた。
背中のスラスターを微かに噴かし、
重力を捨てたように跳躍する。
空中で一回転し、落ちざまに二人の男の肩を蹴り抜いた。骨が砕ける音はしない。衝撃で気絶させただけだ。
「くそがっ!」
後ろから剣が迫る。だがアリアの背中には目がある。
後方センサーが一切の死角を作らない。
剣を体を僅かにずらしてかわし、
逆に男の肘を打って剣を落とさせた。
五分と経たず、十人いた盗賊の半数が地面に伸びていた。
「ひ、ひぃっ! 化け物だ!」
残った者たちが逃げ出そうとした。
だがアリアはそれを許さなかった。
地面に落ちていた盗賊の縄を拾い上げ
一瞬で数本に切断すると、放り投げた。
縄は生き物のように回転しながら逃げる男たちの足首を絡め取る。投擲の精密軌道計算がそうさせた。
「うわっ!」「ぎゃあっ!」
転倒者。縺れ合い。
ものの六分で、盗賊団は壊滅した。
アリアは盗賊全員を拘束し、
武器を集めて道の脇に積み上げた。全員命に別状はない。アリアは殺さない。必要がなければ壊さない。
馬車の護衛の一人は深手で息があるかどうかという状態だった。アリアは指先から超音波を流し傷口を塞ぐために応急処置を施す。
「大丈夫ですか。後はお医者様に」
「あ、あんた……すごい……」
護衛達は半ば茫然としていた。
アリアは立ち上がり、馬車の影にいる令嬢に向き直った。
恐怖に固まった少女の眼を、静かに見つめた。
「お怪我はありませんか」
「……あなたは」
「ただの歌い手です。旅の途中で、こちらを見ていてもたってもいられませんでした」
令嬢は、脚の力が抜けたようにへたり込んだ。侍女が「お嬢様!」と叫んで抱きとめた。
「す、済みません……緊張が解けて……」
「構いません。御休みください。後で、街までの護衛をさせてください」
アリアは、相変わらず銀鈴の声でそう言った。
その声が、彼女たちの凍えていた心をほんの少し溶かしていくようだった。
「私、イレーヌ・フォン・ペッテルクーフェンと申します。お恥ずかしいところを……お救いいただき、本当にありがとうございました」
令嬢はアリアに頭を下げた。
アリアの演算回路が、イレーヌの顔の熱と震えを検知した。表情は恐怖と安堵の間で揺れている。
「イレーヌ様、私はアリア・アルトハイムと申します。ミルフィアの街にただいま帰るところです」
「まあ、ミルフィアの方でしたか。私も父の命であの街へ向かうところでした」
「偶然ですね」
アリアは静かにほほえんだ。
夕暮れの街道は静けさを取り戻していた。
倒れた馬車の影が長く伸び、鳥たちが再び鳴き始める。
アリアは、馬車を起こすのを手伝い道の真ん中で動けなくなった御者と護衛を安全な場所へ運んだ。
手際が良すぎて、彼らはまた呆気に取られていた。
夜になる前にアリアはイレーヌと侍女を連れて、近くの宿場まで歩を進めた。




