第十九章 偽りの幕開け
ミルフィアのカレンからの確認がギルドに届くまで、
アリアは宿屋で待機することにした。
無闇に街を出歩いて目立つのは危険だと判断したからだ。
その間、アリアは試みに
宿の主人から古いフード付きのマントを
銅貨三枚で買い取った。
色あせた灰色で継ぎ接ぎだらけだが、
フードを深く被れば、
銀色の髪も光る瞳も隠せるはずだと思い
さっそくマントの下にドレスの裾を畳み込み
背中を丸め、猫背の男のように歩こうとしたが
その試みは失敗に終わった。
アリアの身体は重心移動が最適化されすぎている。
無理に背を曲げると姿勢制御システムが補正をかけてしまい、かえって目立つ硬直した動きになってしまう。
その上、フードの奥から漏れる青白い光も抑えきれず
結局アリアは諦めてマントを脱いだ。
クローネン滞在ニ日目の昼頃、
ギルドに向かう道中視線が突き刺さる。
どうやらアリアが街に滞在していることが知れ渡ったらしい。
値踏みする視線、
あからさまな欲望そして時折混じる貪欲な商人の目。
ギルドのカウンターには一昨日と同じ受付の女性がいた。
「登録の確認が取れました。ミルフィアのカレンから連絡が来ております。『そのアリアは本物だ』とのことです」
彼女は書類を渡しながら言った。
「それと、領主の執務室からも問い合わせがありました」
「領主?」
「歌合戦のことです。あなた様の名前が推薦されておりました」
「推薦? 私は応募していないですよ?」
「ラトーという商人が推薦したそうです。彼は領主の側近でもあります。推薦権を持っております」
彼女は皮肉な笑みを浮かべた。
「逃げられませんよ。推薦を断れば不敬罪になります。この街では領主の招待は絶対です」
アリアは書類を見た。羊皮紙には『クローネン歌合戦 出場者:アリア』と記され、領主の封印が押されていた。
「行くしかないのですか」
「行って勝てば歌姫になれます。負ければただの参加者に戻ります。ですが、ただでは済まないかもしれません。ラトーが推薦したということはアリア様を自分のものにするつもりかも知れない、ということです」
彼女の声は冷たかった。
だがその冷たさはこの街の現実を
アリアに突きつけるためのものだった。
ギルドを出るとアリアは一度宿に戻り、
カレンからの依頼書を読み返した。
王国からの依頼で違法奴隷売買の調査。
クローネンは表面上奴隷市場が合法とされているが、
その裏では市民や自由民を拉致して売買する違法な取引が横行しているという。
カレンはそこを暴けと言っている。
「歌合戦に出れば、街の権力構造に近づける。調査にも好都合だ」
アリアは決意を固めた。
午後、アリアは街の東側へ向かった。
奴隷市場がどこにあるのか知る必要があった。
知らなければ対策が立てられない。
市場の東端、城壁の近くに古い石造りの建物が並んでいた。
ここだけ空気が淀んでいる。
匂いも違う。人間の汗と恐怖と絶望の匂い。
建物の前には鉄の檻が並び、その中に人間が入れられていた。男女、子供。首には鉄の首輪。目は死んでいる。
アリアの演算回路に激しいノイズが走った。
怒り。冷徹な演算回路がこの光景をどう処理していいかわからずオーバーヒート寸前だった。
檻の中の一人の少女がアリアを見た。
だがその目には何もなかった。
希望も恐怖も。
その時、檻の前で商人が客と値段の交渉をしていた。
「この子は東方の戦で親を失った。
だが体は丈夫だ。畑でも家でも使える。金貨二枚だ」
「高い。金貨一枚と銀貨二枚でどうだ」
アリアは近づいた。
「その子を放しなさい」
声は銀鈴のように響いた。交渉中の商人と客が振り返った。
「何だあんた。見ない顔だが」
「その子は商品じゃない。人間だ」
「はっ。市民権もない獣がどこが人間だ。あんた冒険者か? ここは商売の場だ。邪魔するな」
商人はあざ笑った。
だがアリアの瞳の奥で青いリングが回転しドレスの隙間から青白い光が漏れ始めたのを見て、笑みが凍った。
「光る目……お前があの噂の…」
商人が後ずさる。
アリアは檻の鉄柵に手をかけた。
人工筋肉が唸り鉄が悲鳴を上げる。
百七キログラムの機械の筋力は鉄の柵を飴細工のように引きちぎった。
檻が開いた。
中の少女が呆然とアリアを見上げた。
「出ていいよ」
少女は動かなかった。
檻の中が安全だと思い込んでいるのか、外の世界が怖いのか。
「おい! 何をするんだ!」
商人が叫んだ。見物人が集まり始めた。
「奴隷商が暴行されてるぞ!」
「あの女何者だ!」
「光ってる! あの歌姫だ!」
騒ぎが広がった。
アリアは少女に手を伸ばした。
「来て。ここにはいちゃダメ」
少女は震える手でアリアの指を掴んだ。冷たい指。だがその瞬間少女の目に微かな光が戻った。
衛兵の笛が鳴った。
アリアは少女を抱きかかえて走った。百七キログラムの体は速い。人混みを縫い路地裏へと逃げ込んだ。衛兵の足音が追ってくる。
「待て! 止まらんか!」
アリアは路地の角を曲がり古い石段を駆け上がった。行き止まりかと思ったがそこには崩れかけたアーチがあった。くぐるとそこは教会の裏庭だった。
高い塔が一つ。鐘楼だ。
アリアは鐘楼の中に少女を連れ込んだ。狭い石段を登り鐘の下へ。
衛兵の足音は遠ざかっていった。
鐘楼の中は静かだった。巨大な鐘が頭上に懸かり薄暗い光の中で青銅の肌を見せている。
少女が震えていた。アリアはマントを脱いで少女に被せた。
「大丈夫。もう大丈夫」
少女はアリアを見て、小さく頷いた。
アリアは鐘の下で膝をついた。
奴隷市場を壊し衛兵に追われた。
もうこの街で平穏に過ごす事はできない。
歌合戦に出れば領主の目に留まり
ラトーの手が伸びる。
出なければ不敬罪。
だが、アリアはもう迷わなかった。
「歌合戦に出ます、そして勝ちます」
「でも歌姫になったら領主様のものになるんでしょ?」
少女がおそるおそる尋ねた。
「いえ、歌合戦を利用してこの街を変えます」
かつての自分は理を変えられなかった。会社の理も社会の理も変えられずただ耐えた。
だが今の自分には歌がある。
この不条理な体には不条理な力がある。
それを使わなければ、ただの不条理でしかない。
アリアは少女に聞いた。
「お名前は?」
「……ミア」
「ミアさん、これからは私と一緒にいましょう。市民権は私が取ってきます」
アリアはミアの手を握った。冷たい手。だがその奥に温かさがあった。
鐘楼から街を見下ろす。白い城壁に明かりが灯り塔の鐘が夜の鐘を鳴らす。美しい街。だがその下に人間を檻に入れる街。
「ここはきれいな街です」
アリアは言った。
「でも壊さなきゃいけないところがありますね」
ミアがアリアの腕にしがみついた。
「どうやって壊すの?」
「明日、歌合戦で」
鐘楼の中に二つの呼吸が響く。
機械の呼吸と一人の奴隷にされた少女の呼吸。
不条理な転生。不条理な体。不条理な世界。
アリアは決めた。
どうせ全てが不条理ならば
この不条理を使って出来る限りの事をしたい。
明日歌姫の座を手に入れる。
この街の闇を壊す為に。




