第十八章 鐘の街クローネン
街を出てから丸二日歩いた。
歩くにつれ次第に整備された道へとなっていった。
泥道から砂利道へ、砂利道から石畳へ。
道端に木柵が現れ畑が整理され麦の芽が等間隔に並んでいる。誰かが手入れをしている。人の気配が濃くなった。
丘の向こうに街が見えた。
この世界に来てから
これまで見たどの街とも違っていた。
まず城壁が白い。
石灰で塗られた白い壁が午後の日差しを受けて
眩しく輝いている。
壁の上に等間隔に並んだ塔には
それぞれに鐘が吊るされていた。
大小さまざまな鐘。
風が吹くたびに誰かが鳴らすのか、
あるいは風自身が鳴らすのか、
かすかな金属音が丘の上まで届いていた。
「あれが鐘の街と呼ばれるクローネン鐘の街……ギルドの地図に載っていた、この地方で一番大きな街……」
アリアは視覚センサで街の全体像を捉えた。
城壁の内側に石造りの建物が整然と並び
中央に高い尖塔がある。
教会か時計台か。
街の東側には川が流れ水路が街の中へ引き込まれている。市場の規模もミルフィアの街とは比較にならない。
坂道を下り、門に近づくと衛兵が二人立っていた。
ミルフィアの街の衛兵とは装備が違う。
鉄の胸当ては磨かれて光り剣の柄には
銀の装飾が施されている。規律ある正規兵だ。
「止まれ。旅の者か」
衛兵の一人がアリアの姿を見て一瞬だけ目を見開いた。だがすぐに表情を戻した。訓練されている。
「旅の歌い手です。街に入りたいのですが」
「歌い手か。クローネンは歌と鐘の街だ。歌い手なら歓迎する。だがその格好は」
衛兵はアリアの白いドレスと銀色の髪をまじまじと見た。
「身体が光っているな」
「体質です」
「体質……」
衛兵はもう一人と顔を見合わせた。
だが深入りはしなかった。
クローネンは大きな街だ。
珍しい人間なら毎日やってくる。
アリアは通された。
門をくぐると目の前に広い大通りが伸びていた。
石畳は磨かれ両側には石造りの三階建ての建物が並んでいる。窓には花が飾られ軒下には色とりどりの旗が翻っていた。
人々の服装もミルフィアの街とは違う。
麻の粗布ではなく染められた羊毛の服を着た者が多い。
子供たちの靴には革が使われている。
「豊かな街ですね」
アリアは街の空気を分析していた。
匂いが違う。
泥と糞尿の匂いが薄く代わりにパンの焼ける匂いと香辛料と花の香りが濃い。
人々の顔色も良い。歩く速度が速い。活気がある。
だが同時にアリアの演算回路は違うものも検知していた。
人々の目だ。
豊かな街の人々の目は明るい。
だがその明るさの奥に冷たさがある。
ミルフィアの街の人々の目は暗かったが暗さの奥に温かさがあった。
こ街の人々は逆だ。明るいが冷たい。
通りを歩く人々がアリアを見る。
視線は好奇ではなく値踏みだ。
この白いドレスこの銀色の髪この光る瞳。
この街の人々はそれを「美しいもの」として評価している。ミルフィアの人々は「恐ろしいもの」として見た。
恐れの中には畏敬がある。だが値踏みの中には取引がある。
「ここは別の意味で気をつけないといけない街みたいです」
大通りを歩き中央広場に向かった。
広場は広かった。
ミルフィアの広場の五倍はある。
中央に大きな噴水があって水が青い石の上を流れている。
噴水の周りには露店が並び大道芸人が歌を歌い子供たちが走り回っている。
だがアリアが広場に足を踏み入れた瞬間喧騒が一瞬だけ途切れた。人々がアリアを見て言葉を失う。
「あの子は誰?」
「旅の芸人かしら」
「あのドレスすごいわね。糸が光ってる」
「髪も光ってる。あれは魔法?」
「買い手がつきそうだな」
最後の言葉にアリアの演算回路が反応した。
買い手。
アリアを商品として見ている人間がいる。
広場の一角にギルドがあった。
ミルフィアのギルドよりも大きく石造りの立派な建物だ。
入り口の上には『クローネン冒険者ギルド』の文字と鐘の紋章が掲げられている。アリアは中へ入った。
中は広かった。天井が高く壁には武器と地図が飾られている。
カウンターが三つ並びそれぞれに受付係が座っていた。
奥には大広間があり冒険者たちが食事をしている。
アリアは一番手空きのカウンターに向かった。
「こんにちは。旅の冒険者です。登録を移行したいのですが」
カウンターの受付女性は若かった。
二十代半ばほど。褐色の肌に黒い髪。華奢な手で羽根ペンを回している。
「どこのギルドから参られましたか」
「ミルフィアです。銀級です」
アリアは胸のリボンに着けた銀級の徽章を指し示した。
女は徽章を確認してからアリアの顔を見た。
「ミルフィアの銀級ですね。ミルフィアの銀級なら実績の確認が必要です。ミルフィアのギルドに連絡を取りますので二日ほどお待ちください」
「わかりました」
「それと、アリア様。その格好で街を歩くのは控えた方がよろしいかと存じます」
「なぜですか」
「クローネンは商業の街です。珍しいものには値段がつきます。あなたのその光る髪と白いドレス。盗人や悪徳奴隷商人の目につけば高値で売ろうとするでしょう。冒険者ギルドの登録証があっても盗賊は関係ありませんので」
アリアの演算回路にノイズが走った。怒りだ。ミルフィアの街では奴隷の首輪を見た。この街ではそれがもっと大規模に行われている。
「ありがとうございます。気をつけます」
「もう一つ。あなた様は歌い手だとお聞きしましたが?」
「はい」
「クローネンには歌劇場がございます。街の北側の丘の上です。毎月公開の歌合戦をやっております。優勝者には金貨二十枚と街の歌姫の称号が与えられます。あなた様なら勝てるかもしれませんが」
「勝てるかどうかは別として気になります」
「興味がおありなら行ってみてください。ただしこの街の歌姫はただの歌い手ではありません。政治的な地位です。歌姫になれば領主の庇護を受ける代わりに領主の所有物になりますのでくれぐれもお気を付けください」
彼女は最後にそう言って羽根ペンを回し始めた。
アリアはギルドを出た。
外の日差しが眩しかった。豊かな街。立派な建物。磨かれた石畳。だがその裏に奴隷市場があり歌姫が政治の道具になる。
「まずは宿を探しましょう。それから」
アリアは言葉を止めた。
広場の向こう側から男が歩いてきた。身なりのいい男だ。絹の上衣に革のベルト宝石のついた指輪。四十歳ほど。太ってはいないが肉付きが良い。後ろに二人の護衛を連れている。
男はアリアの前で立ち止まった。
「おや君は旅の歌い手かい」
「そうです」
「私はラトー、クローネンの商人だ。君のその姿見たことがないな。かなり珍しい。歌を聞かせてくれないか」
「ただいま宿を探しているところです」
「宿なら私が用意しよう。良い宿だ。良い部屋をご用意するよ」
ラトーは優しそうな笑みを浮かべた。
だがアリアの視覚センサはラトーの瞳の奥を捉えていた。
笑んでいるのは口元だけ。瞳は笑っていない。計算している。
「ありがとうございます。でも結構です」
「そう固くならずに。クローネンは広い。初めての者には住みづらい街だ。知り合いがいないと色々不便なことがあるよ」
ラトーの声は柔らかだった。だが最後の言葉には明確な圧力が含まれていた。知り合いがいないと不便。つまり知り合いがいないと危険だと言っている。
「お気遣いありがとうございます。ギルドの登録があるので大丈夫です」
ラトーは少し目を細めた。そして笑顔のまま頷いた。
「そうか。ギルドか。なら仕方ない。だが気が変わったらいつでも声をかけて。私はあそこの商会にいるから」
ラトーは広場の向こうの大きな建物を指差して去っていった。
「あの人は危ない人だ。私が断ったら次は無理に手に入れようとするかもしれない」
アリアは立ち上がった。だが立ち上がった瞬間ふと思った。
目立たないようにする。この体で。
百五十八センチメートル。銀色の髪。白いドレス。光る瞳。どうやって目立たないようにするのか。
かつての冴えない中年男時代ならできた。
灰色のスーツで背中を丸めて空気を読んで息を潛める。
それが彼の特技だった。だがこの体ではその特技は出来ない。
アイドルロボットは目立つために作られた。目立たないようにすることを知らない。
アリアはため息をついた。ファンの回転数が一瞬上がる。
結局アリアは目立ったまま宿を探すことになった。
広場から三本通りを入った裏手に小さな宿を見つけた。
『鐘の音亭』という名前の古い木造の宿。
主人は無愛想な老人でアリアの姿を見ても特に驚かなかった。
「旅の者か。二階に部屋が一つある。一泊銅貨三枚。食事付きで銅貨五枚」
「お願いします」
アリアは銅貨を払い二階の部屋に上がった。狭い部屋だ。寝台が一つと小さな卓と窓。壁は薄く隣室の物音が聞こえる。だが清潔だった。シーツは洗ってあるし床も掃いてある。
アリアは窓の縁に座り街を見下ろした。
夕暮れのクローネン。白い城壁が橙色に染まり塔の鐘が夕べの鐘を鳴らし始めた。一つ二つ三つ。鐘の音が重なり合い街全体に広がる。美しい音だった。だがその美しさの下に奴隷市場があり計算高い商人があり歌姫を政治の道具にする権力者たちがいる。
「きれいな街だ」
アリアは独りごちた。
「でもきれいなものには裏がある。かつての世界でもそうだった」
かつての世界の都会。
ネオンが煌々と輝き広告塔が歌を流す。
きれいな街。
だがその下に過労死と孤独死と誰にも気づかれないまま消えていく人間たちがいた。
彼もその一人だった。
この街はあの都会に似ている。豊かで美しいが冷たい。
人間が商品になり才能が道具になり歌が取引の対象になる。
鐘の音が夕闇に溶けていく。
百七キログラムの鋼鉄の体。その中にかつての男の記憶と、今のアリアの意思があった。
鐘の街クローネンでの最初の夜が更けていった。




