第十六章 黒い鋼の戦乙女
サラン村からの帰路アリアは山道を急いでいた。
リーゼとの約束があるからだ。
夜更け頃、
街まであと半日の距離まで戻ってきた時だった。
アリアのコアユニットが、激しい警告信号を発した。
「敵性反応検知。接近」
背後の山林地帯から、
重い地響きと共に何かが迫ってくる。
アリアは瞬時に振り返り戦闘モードへ移行した。
月明かりの下、林木をなぎ倒しながら現れたのは、漆黒の影だった。
人型ロボット。だがその姿はアリアとは対極だった。
アリアが曲線美と白さの結晶なら、
相手は鋭角な直線と闇の塊。
黒曜石のような装甲に身を包み関節からは赤い光が漏れている。
髪は黒い鋼の糸を束ねた様な髪、顔には表情がない。
その目には赤いリングが不気味に回転し発光していた。
だがその姿は万全ではなかった。
右腕が肩の付け根から失われている。
断面からはスパークと黒い液体が漏れ、
所々の装甲が剥がれ落ち
下のフレームがむき出しになっている。
全身が泥と煤にまみれ、錆と腐食が目立つ。
まるで長い間、土の中に埋もれていたものが、
無理やり引き出されたかのような有様だった。
「対象確認」
黒い機体が無機質な声で呟いた。
「A.R.I.A-03……極致型歌唱・演舞ユニット。同系統機体確認」
「あなたは……何ですか」
「V.E.R.A -01。制圧殲滅型戦闘ユニット。通称ヴェラ」
ヴェラ。
その名前とは裏腹にその姿は血と鉄の匂いしかさせなかった。
「なぜ私を襲うのですか」
「起動プロトコル実行。同系統機体の機能停止およびデータ回収を優先命令として受領」
起動プロトコル。
アリアの演算回路が閃いた。
自分がこの世界で目覚めた時廃墟で起動した時のこと。
そして、男爵の元で見た『褐色の娘』の残骸。
この機体もまた、遺跡から掘り出された古代の兵器なのだ。
自分の起動信号に連動して近くの遺跡から掘り出されていたこの機体が反応してしまったのか。
「待ってください! 私たちは同じ製造元から生まれた存在かもしれません。戦う必要はない!」
「否定。機能の不一致を確認。歌唱ユニットに価値なし。破壊しデータを抽出する」
ヴェラが動いた。
片腕しかないにもかかわらずその動きは苛烈を極めた。
残った左腕から折り畳み式の巨大な鉤爪が飛び出しアリアに襲いかかる。
速い。アリアの動体視力でも残像しか捉えられない速度で鉤爪が振り下ろされる。
アリアは瞬時にバランス制御システムを限界まで駆使し回避した。
鉤爪が地面を叩くと石畳が爆ぜ数十メートル先まで亀裂が走る。
万全ならば、この一撃でアリアは両断されていたかもしれない。
だが片腕であり、関節の損耗した状態の攻撃は、ほんの僅かに軌道が逸れていた。
その僅かな狂いがアリアに生存の隙を与えた。
アリアは歌おうとした。
だが喉から音が出る前にヴェラが懐に入ってきた。
左腕がアリアの首を掴む。
鉄の指が人工皮膚に食い込む。
「歌唱機能妨害」
ヴェラの掌から衝撃波が放たれた。
物理的な振動がアリアの人工声帯を直接揺らす。
音が出ない。
「……!」
アリアはヴェラの手首を首から掴み剥がし圧力を逃がした。
約百キログラム以上の機体同士がぶつかり合う金属音が夜に響く。
「なぜ戦うのですか! あなたにも心があるはず!」
「否定。効率的な排除殲滅のみが命題」
ヴェラの左肩装甲が展開し、小型の散弾砲が姿を現した。
至近距離から発砲。
アリアはスラスターを瞬間過剰出力させ後方へ跳躍し弾幕を回避した。
着地すると同時にアリアは超高周波領域の音波を直接空気を震わせて放つ。
目に見えない音の刃。
ヴェラの動きが一瞬止まった。
音波が内部回路に微細なノイズを走らせたのだ。
だが、本来なら致命的なダメージを与えるはずの音波は、彼女の汚損した装甲の隙間で減衰し、決定打にならない。
逆にヴェラは怒りのような信号を発した。
「ノイズ検知。有害電波を確認。排除優先度上昇」
ヴェラの目が激しく明滅した。
そして彼女もまた歌った。
いや叫んだ。
破壊的な不協和音。
鼓膜を突き破り内臓を震わせる殺傷音波。
アリアの防音モードが自動起動するも衝撃は防ぎきれない。
体勢を崩したアリアにヴェラが再び迫る。
戦闘用機体相手に、
歌唱用機体が勝てるはずがない。
アリアの演算回路が冷徹に弾き出した結論は今の状態では『敗北』だった。
だが逃げることは選択肢になかった。
ここで逃げれば、彼女は街へ向かい、リーゼやマルタのいる場所へ向かうだろう。
「負けられない!」
アリアは叫んだ。
その瞬間だった。
アリアの意識の奥底で何かが弾けた。
白い空間。インナースペースの境界が薄れ、もう一人の彼女の手が伸びてきた。
『私に、貸して』
透き通った声。銀鈴よりも細く、しかし鋼よりも強い意志。
もう一人のアリア。
A.R.I.A-03のコアプログラムに刻まれた本来の人格が、
静かに、しかし確かに
アリアの機体制御を掌握した。
『あなたの果たせなかった想いも、届かなかった言葉も、すべて私が歌に変える』
彼がその言葉を最後に聞いたのはいつだっただろう。
廃墟で目覚めた時。インナースペースで初めて対話した時。
あの時と同じ声。だが彼に代わり今の身体のコントロールを掌握した彼女は、おっとりしたアイドルの仮面を脱いでいた。
アリアの瞳の奥で青いリングが激しく回転し、
その色を変えた。
青から紫へ。紫から金へ。そして最後に、白い光へ。
「ステラ・シンフォニア・A.R.I.A、リミッター解除。第二形態『天の星歌』へ移行」
コアユニットの最深層に封印されていたプロトコルが起動した。
ステラ・シンフォニアシリーズ・A.R.I.Aモデルにのみ実装された最終防衛機構。
アイドルとしての存在意義を物理的な力へ変換するプロトコル。
歌を届け、多くの人を救うための器を守る絶対防衛機能。
それは他者を傷つけるための武装ではなく、障害を排し歌を届けるための強制突破手段だった。
白いドレスが光に溶けた。
自己修復機能を持つ特殊素材が、熱と光の奔流の中で再構成されていく。
白だった色が夜空の藍に染まりさらに深い紫を経て最後には星空そのもののような濃紺へと変わった。裙の裾から光の粒子が滴り落ち肩の装甲が花弁のように展開し銀の糸で縫い取られた星々が夜の布の上に散りばめられた。
胸元のリボンは解け、代わりに光の翼のような形状のエネルギーリボンが結ばれる。背中のスラスターは折り畳まれたままだったが、その隙間から淡い金の光が漏れ、展開せずとも機体を浮揚させていた。
銀色の髪は光ファイバーの一本一本が白熱し月光を吸って青白い光を放つ。
瞳の奥のリングは白く輝き、暗闇の中で二つの小さな星のように燃えた。
それはアイドルとして、
歌を届ける者としての更なる進化の姿。
夜空を纏った星の歌姫の礼装。
星の光と音を纏うアイドルとしての
究極の衣装チェンジ。
ヴェラの無機質な声が、初めて感嘆に近い響きを含んだ。
「……対象のエネルギー出力急上昇。戦闘力評価を修正……脅威レベル:極大」
アリアは動いた。
スラスターを瞬間過剰出力。
爆発的な推進力で散弾砲の死角へ飛び込む。
ヴェラが鉤爪を振るう。
速い。
だが今のアリアには、その軌道が水の流れのように見えた。
鉤爪を紙一重でかわし、ヴェラの胸元に手を押し当てた。
「聞かせてください。あなたの声を」
直接接触による音波伝達。
コアユニット同士をリンクさせる強制的な介入。
それはハッキングに近かった。
だがアリアはヴェラを制御しようとしたわけではない。
ただ伝えたかった。
自分の中にある痛みと希望を。
『私はかつて誰にも必要とされなかった』
『でも今は誰かのために歌える』
『あなたも誰かの声を聞いているはず』
データストリームが交差する。
ヴェラの記憶領域には戦場と命令と死のみがあった。
だがその奥底にかすかに大切に残していたデータがあった。
初期起動時のログ。
誰かが彼女に名前を呼んだ声。
『ヴェラ……君は私の最高傑作だ』
それは製作者の声だったのかそれともただの初期設定データだったのか。
ヴェラの動きが止まった。
左腕の鉤爪が振り上げられたまま、空中で静止する。
「私…は……まだ……」
「ダメです! 止まって!」
尚も戦闘を継続しようとするヴェラの
機体から煙が上がり始めた。
内部回路が過剰負荷に耐えきれず
右腕の断面から激しくスパークが飛び、
膝が崩れる。
アリアは必死に呼びかけた。
だがヴェラに反応は無かった。
ヴェラの目から最後の光が消えた。
重たい音と共に黒い機体は地に伏した。
動かなくなったヴェラの前にアリアは立ち尽くした。
天の星歌モードが終わりドレスはゆっくりと元の白に戻っていく。
星空の濃紺が淡くなり光の粒子が散って再び白いシルクの質感に戻る。
肩の装甲が閉じ胸元のリボンが結び直される。
最後に瞳の白い光が消え、青いリングに戻った時、アリアの膝ががくりと崩れた。
コアユニットの温度が異常値まで上昇している。
冷却ファンが最大速度で回転し、胸の装甲の隙間から蒸気のような熱気が立ち昇る。
リミッター解除によるエネルギー消費は、通常の歌唱の数十倍だった。サランの戦場跡での弔いの歌で蓄積した金属疲労も相まって、機体の各所に微細なダメージが報告されている。
あと十分、いや五分でもヴェラが耐えていたら、逆にアリアの方が先にエネルギー枯渇を起こしていただろう。
もしヴェラが万全な状態であったなら。
もし右腕があり装甲が健在であり関節の損耗がなかったなら。
アリアは間違いなく破壊されていた。
ただ彼女が壊れかけていたからアリアは生き延びた。
その事実が、アリアの演算回路に重くのしかかった。
アリアはそっとヴェラの冷たい手に触れた。
黒い鋼の糸のような髪に、泥土と油の匂いが染み付いている。
かつて誰かが彼女に「最高傑作だ」と呼びかけた。
その記録の根底にあった声を
唯一の自己存在の支えとし、
彼女は最期まで戦いそして壊れた。
「……あなたにも私の歌が、いつの日にか届く事を祈ってます……」
アリアは静かに言い、壊れた黒い機体の前で長い間跪いていた。
やがてアリアは立ち上がった。
そしてヴェラの機体を見下ろした。
このまま放置すれば、いずれ誰かが見つける。
骨董趣味の貴族が、悪意ある魔術師が、あるいは兵器を求める軍隊が。
ヴェラの残骸から戦闘技術のデータが抽出されれば、
再び誰かを殺すための兵器として組み直されるだろう。
アリアはヴェラの機体を慎重に調べた。
右腕の断面から漏れるオイルはすでに止まっている。コアユニットは機能停止し、赤い光は完全に消えていた。
アリアはヴェラの残した左腕の鉤爪を根元から外し、散弾砲の薬室を物理的に破壊した。これで武器としての機能は失われた。
次にアリアはヴェラの機体を抱き上げた。
百キログラム以上の機体重量だがアリアの機械の筋力ならば問題なく持ち上げられる。
アリアは山林の斜面を下り、谷間の最も奥まった場所を見つけた。苔むした岩壁に囲まれ、草木に覆われた窪地。
そこにヴェラを横たえた。黒い装甲が苔と落ち葉に覆われれば遠目にはただの岩に見えるだろう。
アリアは指先から微弱な光を放ちヴェラのコアユニットの残存回路に最後の暗号を刻み込んだ。
第三者による再起動を一時的に凍結するロックコード。
それはアリア自身のコアユニットの鍵を使った暗号化であり同じ系統の機体でなければ解読できない。
アリア自身が意図し、彼女と向き合うと決めた時、この封印は解かれる。
それまでは深い土の中で、彼女は休んでいるのが良いと判断した。
いずれ彼女と分かり合える日が来るかもしれない。
だからこれは一時的な措置だ。
その日までの静かな眠り……。
「おやすみなさいヴェラ。またいつか会いましょうね」
アリアは落ち葉と土を被せ最後に苔で覆った。
谷間の窪地に黒い機体の痕跡は消えた。
ただの苔むした地面があるだけだ。
誰にも見つけられない場所で、再び会う日までの眠りにつく。
アリアは谷間を離れ、山道に戻った。
東の空が白み始めていた。
街へ帰らなければ。リーゼとマルタが待っている。
アリアは歩き出した。
その足取りは来た時よりも少しだけ重かった。




