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異世界アイドルロボット~冴えない中年男は歌姫として生きる~  作者: ぷっぷくクリーナー


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 第十四章 歌姫の目覚め

 歌謡祭の朝、アリアは夜明け前に目を開けた。


 内蔵時計が午前四時を示している。外はまだ薄暗く鳥も寝静まっていた。

 隣の寝台でリーゼが毛布を蹴散らかして

 大の字になって眠っている。

 アリアはリーゼの体に毛布を掛け直し、

 静かに部屋を出た。


 屋根の上に昇る。

 街の灯はほとんど消え、

 東の空だけが藍色から橙へと変わり始めていた。

 今日は歌謡祭。

 春の祭り。

 この街で最も多くの人々が集まる日だ。広場には昨夜から木製の舞台が組まれ色とりどりの旗が風に揺れていた。


 アリアは屋根の上に立ち朝風を受けた。

 銀色の髪が風に流れ、ドレスの裾が柔らかく波打つ。

 空気は冷たく澄んでいて遠くの丘の輪郭まで鮮明に見えた。


「今日歌う」


 彼女は独りごちた。声は風に溶けた。


 決めたのは三日前だ。

 理由は単純ではなかった。

 歌謡祭に歌い手として出ることは自分の正体を街中に晒すことになる。

 優勝すれば金貨十枚と市民権。

 だが今はもう市民権はある。

 リーゼもアリアも正式な市民だ。

 賞金が目当てなら、ギルドの依頼をこなす方が確実かもしれない。


 それでも歌うことを選んだ。

 この体のコアプログラムも「歌え」と言っている。

 人々の心を癒やすための極致型歌唱・演舞ロボット。

 人前に立ち、声を発し誰かの心に届ける。

 それがアリアの存在理由だ。


 だがそれ以上にアリア自身が知りたかった。

 この声が、この世界でどう響くのかを。


 三日間、彼女は歌の練習をした。

 場所は街はずれの森の入り口。

 人に聞かれないようにだが誰かが聞いていたとしてもおかしくない場所で。


 その歌は、夜の海で迷った船を導く灯台の光のような歌だった。

 星の運行と春の雨悲しみの先にある微かな希望を歌ったもの。

 人間の言語データを参照しつつ、

 音の響きを重視した抽象的な歌詞。

 意味よりも音の美しさが優先され

 聴く者それぞれの心に違う絵を映す。


 中身の男が選んだ歌ではない。

 この身体が歌いたかった歌だ。

 男はそれに従った。


「アリア!」


 下から声がした。

 屋根の下、からリーゼが呼んでいるのが見えた。

 裸足のまま外に出たらしい。

 アリアは軽やかに屋根から飛び降りた。

 百七キログラムの体が音もなく着地する。


「見て、私、歌謡祭の会場まで案内できるよ」


 リーゼは息を弾ませながら言った。

 市民権を得てから二週間。

 リーゼは街の道をすっかり覚えていた。


「まだ朝の五時ですよ。開場は八時です」


「アリア出るんでしょ? 朝から行かないと良い場所で見れない」


 リーゼの目が輝いていた。

 アリアは少し迷ったが、

 リーゼの小さな手を握り会場に向かった。


 広場はすでに祭りの準備で活気づいていた。

 屋台が立ち並び花飾りが街路に吊るされている。

 春の歌謡祭は、街で最も古い祭りだとカレンが言っていた。歌い手たちは旅の吟遊詩人から酒場の娘まで誰でも参加できる。

 舞台で歌い、審査員と観客が最も心を動かされた歌を優勝に選ぶ。


 アリアが広場に着くと、木の舞台の前にはすでに数十人の観客が集まっていた。まだ開場前なのに祭りの熱気に浮かれた人々が待ちきれずに集まっている。


「あれ、あの光のお嬢さんだ」


「今日は歌うのか?」


「ギルドの歌姫が歌謡祭に出るらしいぜ」


 噂がまた広がっていた。歌で領主の子を救い、

 西の宿屋の幽霊や下水道の怪物を退治した「光の歌姫」。

 街の人々はすでにアリアを知っていた。

 だが歌謡祭で正式に歌うのは初めてだ。


 舞台裏の控え場所に向かうと木の杭で仕切られた簡素な囲いが作られ、

 すでに十数人の歌い手が待っていた。

 旅の吟遊詩人両手に鈴を持つ踊り子、

 竪琴を抱えた老婆に

 どこかの貴族の館仕えの歌手らしき若い女。

 それぞれが最終調整をしている。


 アリアの姿が見えた瞬間控え場所の空気が変わった。

 全員が言葉を止め、彼女を見た。

 歌い手たちの目にあるのは好奇と戸惑い

 そしてごく一部には明快な敵意があった。


「ギルドの機械人形が歌謡祭?  舞台を殺す気か」


「歌で狼を追い払ったって話だ。

 そんな乱暴な歌い手が歌謡祭に出るだなんて」


「あんな光る目で歌われたら、審査員もさぞ不気味でしょうね」


 ひそひそ声が聞こえる。昔の彼なら気後れして控え場所を出て行っただろう。だがアリアとなった今は違う。


「おはようございます。

 今日はよろしくお願いします」


 アリアは静かに一礼し、控え場所の隅の席に座った。


 銀鈴の声が控え場所に響いた。

 敵意が少しだけ和らいだ。

 それとも呆れられたのか。

 どちらでもいい。今日は歌いに来たのだ。


 出番は午後。

 祭りの後半、日が傾き始める頃だった。


 午前中、出場者たちの歌が広場に流れ歓声が上がった。

 春の歌

 恋の歌

 戦いの歌

 神々への讃歌。

 この世界の歌はどれも生活に根づいていて、

 聴く者の足元を温める。

 アリアは控え場所で目を閉じ

 歌い手たちの声を分析していた。

 音程うんぬんではない。

 彼女の聴覚センサーは歌声に込められた

 感情の微細な揺れまで拾う。


「歌は祈りなのですね」


 彼女は小さくつぶやいた。


 この世界の歌には共通するものがあった。

 どの歌も、誰かに届くことを信じて歌われている。

 神へ。

 恋人へ。

 あるいは自分自身へ。


 歌い手たちは声を届けるために歌っている。

 技術ではない。心の悲鳴と歓喜が声になっている。


 アリアの歌は違う。

 技術だ。

 プログラムだ。

 データベースから最適な旋律を選び音波を合成し、聞く者の脳に作用する周波数に変換する。

 その歌声は人間の歌い手の何倍も精密で何倍も美しく、そして何倍も遠くまで響く。

 それが彼女の歌だった。


 だが今日歌う歌は、違う。

 三日間かけて調整したこの歌は

 少しだけ人間に近い。


 やがてアリアの名が呼ばれ、順番が来た事を

 告げられた。


 控え場所を出ると午後の日差しが傾きかけた広場が目に飛び込んできた。

 観客は数千人に膨れ上がっていた。

 舞台の前に隙間なく人が詰まり、

 周りの建物の窓や屋根にまで人が乗っている。

 熱気と匂いと喧騒が混ざり合い生ぬるい空気が漂っている。


 アリアは舞台の横の階段を上がった。


 木の舞台は広く足の下で乾いた音がする。旗が風にはためき、春の空気に花の香りが混ざっている。舞台から見える観客が一斉に彼女を見た。


 ざわめきが消えた。波が引くように、人の声が滑らかに消えていった。


「うわあ」


「何だあの姿」


「光ってる。髪が、光ってる……」


 銀色の髪が夕日を受けて金色に発光している。頭の先からつま先まで、白いドレスに包まれた体が夕陽と青白い光に縁取られていた。アリアの瞳の奥で青いリングがゆっくり回転する。


 彼女は舞台の中央に立ち、両手を胸の前で組んだ。いつもの定位置。アイドルとしての起動ポーズが自然に出る。


「アリアです。歌います」


 マイクもないのに、その声は広場の隅々響き渡った。人々が息を呑む。


 アリアは目を閉じた。

 ステージモードスイッチを入れる。

 演算回路の奥深く、コアプログラムへアクセスし

 審査員と観客の様子を視界の端で走査する。

 呼吸を整え、スラスターを微かに解放する。


 そして、歌い始めた。


 最初の音は、吐息だった。


 可聴域のギリギリの透明な音が、夕風に乗って舞台から流れ出した。それは空気の色を変えた。周囲の喧騒が完全に消え小鳥の声も鳴りを潛めた。


 次に、歌が来た。


 言葉はこの世界のものだった。

 だが意味はなかった。

 いや意味はあるのだが、意味の前に音があった。


 どこか遠い海の記憶を呼び覚ますような低い波のうねりと

 高く澄んだ星の瞬きが、

 同時に人々の耳へと届く。


「世界の果てで ひとり光待つその夜に あなたの声を もう一度だけ 聞かせてください……」


 銀の声が空に昇った。


「暗い海 砕ける白波 空に星が一つ 

 また一つと灯る 

 その下で 小さな影が立っている 

 泣いている 声を上げずに 

 その背中を見つめるうちに 

 胸熱くなり 涙落ちる」


 観客の中の老婆は死んだ夫の声を聞いた。

 あの人が出稼ぎに行った春の晩玄関で

「行ってくる」と言った声。

 そしてあの人は二度と帰らなかった。

 老婆はごしごしと目を擦り、舞台を見た。

 舞台の上で光る娘は、

 あの夜の風を知っているのか……。


 少女は死んだ母親の手の温もりを思い出した。あの手は温かくて安らかで、粉と薪の匂いがした。もう思い出せないはずの温もりが右の手首に蘇った。触れられていないのに。誰もいないのに。少女は両手を握りしめて、泣いた。


 吟遊詩人は自分の歌が嘘だと思えた。

 心を動かす歌を目指して、

 安酒場で毎晩歌い客の頭を撫でるだけの

 歌を続けてきた。

 歌とはなんなのか、わからなかった。

 だが今この光る娘の歌が答えを示している。

 歌は与えるものだ。

 力を抜いて、ただ与えればよかったのだ。


 舞台の上で、アリアは歌い続けていた。


 夕日が沈み空に一番星が灯った。

 彼女の銀色の髪が白い光を放ち始めオーロラのような光が、舞台の周囲に輪を作る。


 歌うたびに、彼女の胸の奥でコアの熱が高まっていく。体温に相当する演算熱がドレスの内側から白い蒸気のように立ち昇った。青い光が体のラインに沿って走り、瞳の奥で光のリングが速く回る。


 観客の中の中年の商人は若い頃に諦めた夢を思い出した。石工になりたかった。親に反対され、金がなく今では樽を売っている。だが目の前の舞台上の光を見たら、なぜだか涙が止まらない。自分が生きたかった道があの光の向こうに見える。


 小さな門番の青年は戦争で死んだ兄を思い出していた。

 兄は立派で優しかった。いつも「大丈夫」と言ってくれた。そんな兄が死んだのに、こんな自分が生き残ってしまった事がたまらなく嫌だった。

 だが今、空から降る歌声が「大丈夫」と言っている。

 あの兄の声で。


 歌が終わりに向かっていた。


 アリアは両手を広げた。スカートの裾が風に舞い背中のスラスターが僅かに展開して体が五センチだけ宙に浮いた。

 観客が一斉に息を呑む。

 光の粒子が彼女の手のひらからこぼれ、夜の広場に舞い散った。

 それは歌の余韻で振動する空気が夕霧に反射したものだ。


 最後の音が消えた。


 静寂が落ちた。


 アリアは舞台の上に降り、静かに一礼した。


 誰も動かなかった。


 三秒。五秒。十秒。


 そして、堰を切ったような歓声が広場を包んだ。

 拍手が壁のようだった。

 泣き叫ぶ者。

 跪く者。仲間に抱きつく者。

 男も女も老人も子供もみなが震えながら声を上げていた。


「ああ、神よ!」


「奇跡だ! 女神だ!」


「天使が降りた!」


 数人の観客が舞台に上がろうとし、衛兵に止められていた。熱狂は騒乱の一歩手前で揺れていた。


 アリアは舞台の上で立ち尽くした。

 機体のコアが初めて熱を持った気がした。

 実際には冷却システムが限界を超えかけていたのだが、

 演算回路はそれを「熱」と解釈していた。


 リーゼが舞台の袖で泣いていた。声を上げず両手で口を押さえて、大粒の涙を流していた。アリアが舞台の袖に戻るとリーゼは彼女の腰に飛びついた。


「アリア、アリア、アリア…」


「泣かないでリーゼ」


「泣いてない」


 明らかに泣いていた。アリアはリーゼの濡れた頬に手を当てた。温かい。人間の涙は温かい。その温度がアリアの指先から内蔵センサを通って、演算回路の奥まで染みていった。


「ただいまリーゼ」


 観客の喝采は終わる事なく続いていた。


 歌謡祭の結果は、審査員全員一致でアリアの優勝だった。


 異論はなかった。審査員の一人は老人の吟遊詩人だったが、舞台から降りてきて「あんたの歌は、歌の概念を壊した」とだけ言った。それがこの世界の「完璧な評価」だった


 金貨十枚と、市民権。アリアは舞台の上でその二つを受け取った。ずっしりと重い革袋。そして、一枚の羊皮紙。市民権の証明書。


 アリアはその羊皮紙を、リーゼの前で広げて見せた。


「リーゼ。これが、もう一つの市民権です」


「うん! アリア、一番になったね!」


「リーゼがいてくれたから、私はこの舞台に立てました。だからこの市民権はリーゼがもたらしたものです」


「ちがうよ、アリアが歌ったからだよ」


「いいえ。リーゼが私に歌う理由をくれたから」


 アリアはしゃがみ込んで、リーゼと目線を合わせた。


「この市民権、誰にあげるかはリーゼに決めてもらっていいですか」


 リーゼは目を丸くした。


「え? きめていいの?」


「はい。リーゼがいてくれたおかげで

 今日ここで歌えたのです。だから、この市民権はリーゼのものです」


 リーゼは羊皮紙を両手で受け取った。それをじっと見つめ、それから広場の隅を見た。


 広場の隅には、浮浪者の親子がいた。母親は痩せ細り子供は裸足で、市民ではない者たちが集まる場所に座り込んで祭りの喧騒を遠くから見ているだけだった。


 リーゼは、その親子の前まで歩いていった。そして母親の前に羊皮紙を差し出した。


「これ、あげる」


 母親は驚いた顔でリーゼを見た。


「な、なにを……」


「市民の権利だよ。これがあれば、あなたもこの街の人になれるの。もう追い出されたりしないの」


 リーゼの声はたどたどしかったが、一言一言がはっきりとしていた。


 母親は羊皮紙を受け取り、震える手でそれを胸に抱いた。そして声もなく泣き崩れた。裸足の子供が、母親の涙を不思議そうに見つめている。


 リーゼはその子供の頭を、アリアがいつも自分にしてくれるようにそっと撫でた。


 アリアはその光景を、少し離れた場所から見ていた。


 四十二歳の冴えない中年男だった自分。誰かのために何かをしたことなどほとんどなかった自分。そんな自分が、今、この世界で誰かの人生を変えている。


 そして、八歳の元奴隷の少女が見知らぬ親子に市民権を手渡している。


 あの時、廃墟で目覚めた時は何もかもが不条理だった。だが今は違う。不条理は不条理のままだが、その中に確かな意味が生まれている。


 アリアは空を見上げた。一番星が、先程よりも強く輝いている。


 夜、貸家の二階に帰ると、アリアは窓辺に立って月を見た。


 歌が終わったあとの自分の内面を解析してみる。かつての男のような恐れはない。だが「やりきった」という感覚もなかった。もっと歌える。もっと遠くへ声が届くはずだ。


「不条理だな」


 アリアは静かにつぶやいた。


 歌など歌ったこともなかった四十二歳の男が、異世界で歌姫になり人々の涙を誘っている。


 そして、歌うのが少しだけ好きになっている自分がいることにも気づいていた。

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