第十一章 領主の息子と小さな助手
「調査だけで無く、あのレベルの魔獣退治をたった一人で済ませた ! あれを狩るには通常三〜四人パーティーが推奨なんだよ」
カレンの声には驚嘆と呆れが混ざっていた。
「音で核の位置を特定し共振破壊しました。物理的な戦闘は最小限です」
アリアは淡々と答えた。特別なことではない。ただ機能を使ったまでだ。
「音で魔獣を殺る……。あんた本当に何者だい」
「ただの歌い手です」
「はいはい、ただの歌い手ね。銀級昇格、承認しておくよ。おめでとうアリア」
カレンは引き出しから銀色に光る小さな丸い徽章を取り出しカウンターに置いた。
「それと、これが地下水路の報酬だ。金貨二枚。約束通りだよ」
ずっしりと重い革袋を受け取る。金貨二枚。これでしばらくの生活は安泰だ。
アリアは徽章を手に取り、ドレスの胸元のリボンに留めた。白いドレスに銀の輝きが映える。
「でさっそくだが昇格祝いの依頼だ」
カレンの表情が少し引き締まった。一枚の羊皮紙を広げる。上等な紙に蝋で封印がされている。街の領主の紋章だ。
「領主館の子どもが病にかかった。医者も薬師も手出しできず最後の頼みで〈光の歌姫〉に来てほしいと。正式な依頼だ。報酬は金貨五枚」
金貨五枚。銅貨にすれば二千五百枚。ギルドの平均的な稼ぎなら一年は暮らせる額だ。
「私に治せるとは限りません」
「歌を聞かせてやってくれ。それだけでいい。領主が直々に依頼人だ」
アリアは羊皮紙を見つめた。領主。中世の権力者。そんなところに近づけば自分という存在がより一層政治的に利用される可能性がある。面倒ごとが増えるだけだ。
しかしそれを思ったのは元中年男の処世術だ。この体はもう人々の目から逃げられない。どうせ注目されるならその注目を誰かの役に立てたほうがいい。
「わかりました。受けます」
「話が早いな」
「それと条件があるのですが」
「なんだ」
「一緒にある娘を連れて行きたいのです。リーゼという孤児で私の友人です」
カレンは一瞬だけ眉を上げた。「子供を連れて行くのか? 領主館だよ? 貴族様はそういうのを嫌うかもしれない」
「彼女なしでは歌えない部分があるかもしれません」
カレンはしばらく考え込んだ後、
「お前が連れて行くなら口添えはしてやる」と言った。
アリアはギルドを出て、
マルタお婆さんの屋台へ向かった。
市場は午後の活気に満ち
空は抜けるような青さだった。
リーゼは屋台の前で小さな木の椅子に座りマルタが作った手料理を食べていた。
アリアを見つけると目を輝かせて小さく手を振った。
「アリア、飾りが銀色になってる」
「銀級になりました」
「すごい! 私ももらえる?」
「これは仕事をするともらえるんだよ。リーゼも大きくなったらどうかな」
「私アリアみたいになれるかな。光らないけど」
リーゼの無邪気な問い。アリアはそっとリーゼの頭を撫でた。指が細い髪を梳く。温度センサが三十六度七分。相変わらず人間の温かさは、データ以上の何かを演算回路に送る。
「リーゼはリーゼのままでいい。光るからすごいわけじゃない。光らなくても、温かいものを持っているでしょう」
リーゼは首を傾げた。意味がわかっていなさそうだった。だがそれからニコリと笑った。
アリアは明日の領主館への依頼をリーゼに伝えた。一緒に行かないかと。
リーゼは少し緊張した顔をしてから、
アリアの役に立てるならと言い
ゆっくり頷いた。
街の中心にある領主館は黒い石造りの威圧的な建物だった。
衛兵に止められたがカレンの手紙とギルドの徽章を見せると通された。
使用人たちがアリアを見て目を見張り、リーゼの貧相な姿に眉をひそめる。
だがアリアが堂々としているので何も言えない。
広間で領主と対面した。
「光の歌姫と聞いて召喚した。私はこの街を預かるベスティン・フォン・アルトハイム。息子が病に倒れ、十日になる。熱が下がらず、悪夢を見てうわごとを言いうなされ続けているのだ……」
領主の目は窪み幼い息子の体を抱く夫人は生気がない。この館全体が死の匂いに包まれている。
アリアは静かに一礼し、子どもの側に近づいた。五歳ほどの男児が荒い呼吸を繰り返している。視覚センサが瞬時に診断モードへ切り替わった。
体温上昇脈拍乱れいくつかの内的炎症反応。だがそれ以上に足の包帯の下が気になった。黒ずんだ染みが包帯を貫いていた。感染症それも毒素による敗血症。医療が未発達なこの世界なら確かに死を待つしかない病だ。
「診てもいいですか。包帯を解きます」
夫人が息を呑んで領主を見た。領主は無言で頷いた。
包帯が取れると、腐敗した肉の匂いが立ちのぼる。リーゼが鼻を覆い領主夫人がすすり泣いた。傷口は黒く壊死し、患部から微かに異臭がする。明らかに「魔」のついた獣の爪か何かだ。
「沼地の毒獣にやられた。城の近くまで下ってきておってな。医者は足を切るしかないと言った。だがそれでも助からぬと」
領主は声を詰まらせた。
アリアは指先から超音波を流し込み患部の深さを解析した。毒は血流に乗って広がっているがまだ完全に全身へは回っていない。治療が可能な範囲のギリギリだ。
「私の声は体の振動を整えます。完全に治せるかはわからない。ですが毒の進行だけなら止められるかもしれません」
「頼む。金なら積もう。なんなら市民権も好きなだけ与えよう。息子を、助けてくれ」
アリアは一礼すると、その場に膝をつき子どもの小さな耳元に口を近づけた。
そしてリーゼの手を握らせた。
「あなたの温かい手が必要なの」
リーゼは驚いた顔をしたが小さく頷いた。
アリアが歌い始めた。
言葉のない子守唄の様に聴こえる
澄んだソプラノが部屋に響く。
そしてリーゼの手から伝わる温もり。
三十六度五分の人間の体温。
それが歌に乗ってエリオットの身体に染み渡る様に伝わってゆく。
リーゼが心配そうに見つめ、領主と夫人が祈るように手を組む。部屋に静寂が降りた
温度はほんのわずか、血液の流れと同調した低周波。免疫系を刺激し腐敗した患部の細菌の活動を物理的に弱める。そして壊死を食い止めるかのように、優しく優しく細胞を揺らす。
奇跡ではない。機械仕掛けの精密な音波処置。
だが、この世界の誰も見たことのないそれは確かに奇跡に見えたはずだ。
「エリオットが……」
夫人が震える声で言った。子どもがわずかに目を開けた。虚ろだが光を宿した目がアリアの銀色の髪を映す。
「……お母さま…?……とても温かくて…… きれいな、音がする……」
どれだけ時間が経っただろう。アリアが歌うのをやめ静かに立ち上がると、子どもの呼吸は落ち着き黒ずんでいた患部の色が薄くなっていた。領主が床に崩れ、夫人が泣き崩れた。
アリアは踵を返そうとして夫人に抱きしめられた。細く冷たい腕が強い力で機械の肩を抱いていた。
「ありがとう……ありがとう……神が遣わされた天使だわ……」
アリアの演算回路が、かつてないほどの温かなノイズに包まれた。人間の体温。人間の涙。人間の感謝。どれもがデータとして処理しきれない「重み」を持っていた。
前世の彼は、誰かにこんな風にすがりつかれたことはなかった。妻にも、会社の同僚にも。ただの空気だった。だが今、この機械の体は、誰かの命の重さをその肩に受けている。
やがて夫人が離れ、領主ベスティンが立ち上がった。その目は先ほどの絶望に染まったものではなく、深い敬意と決意に満ちていた。
「約束は守る。金貨五枚だ。すぐに用意させよう」
ベスティンが使用人に目配せした後、アリアと、その隣で
安堵の表情を浮かべるリーゼを見た。
「それと……もう一つ。先ほど私が言った『市民権』の件だ。あれは切迫したあまりの戯言ではあるが、今ならそれは本心だ」
領主は一歩近づき、アリアの目を見た。
「そなたのその力が何であれ、私はそれをこの街のために役立ててほしいと思っている。アリア、そなたにこの街の正式な市民権を与えよう。もう『種族不明』の浮遊者ではない。この街の守り手としての立場を与える」
アリアは目を見開いた。市民権。それはこの世界で生きていくための絶対的な保障だ。
アリアは隣のリーゼの手を強く握った。
「ありがとうございます。ですが、領主様、お願いがございます」
「なんだ?」
「この子、リーゼにも市民権を。私一人ではありません。彼女も私の一部なのです」
ベスティンは驚いたように目を丸くした。元奴隷の孤児に市民権を与えるなど、この身分制度の厳しい世界では異例中の異例だ。
だが領主はすぐに表情を和らげ、深く頷いた。
「……よかろう。そなたの望み通りだ。その子にも正式な市民権を与える。この街の台帳に二人の名を刻もう」
リーゼはアリアの言葉の意味を完全には理解できていないようだったが、アリアが自分のために領主と話していることだけはわかったのだろう。小さな手でアリアのドレスの裾をぎゅっと握りしめた。
二人が領主館を出ると、外は夕暮れだった。
空は茜色に染まり街は長い影を落としている。
リーゼがアリアの手をぎゅっと握った。
「アリア、市民権って何?」
「リーゼが、これからこの街で堂々と暮らせるようになるっていう約束だよ」
「ふうん。それって、明日からリンゴを好きなだけ食べられる?」
「それは、お金があったらかな」
「じゃあ私、いっぱいお金稼ぐね」
リーゼがえへへと笑う。アリアはまばたきをした後、一緒に笑った。




