第8話「小さな店」
エリナと知り合ってから、季節が一つ巡った。
田中誠の研ぎ屋は、村の中でしっかりとした評判を得るようになっていた。刃物研ぎだけでなく、簡単な農具の修理も頼まれるようになり、誠の空き家の軒先には、いつも誰かしらの道具が並んでいた。
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「誠、お前そろそろ、ちゃんとした店構えにしたらどうだ」
ある日、ゴラムがそう提案してきた。
「店構えって言っても……」
「今のままじゃ、雨の日は仕事にならんだろう。俺も手伝う。村のもんも、みんな手伝ってくれるはずだ」
誠は驚いた。
「そんな、悪いですよ」
「悪くない。お前には世話になってる奴が、この村にゃ大勢いるんだ」
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その言葉通り、翌週末、村人たちが総出で、誠の空き家の改修に取り掛かってくれた。
「ここに棚を作ればいいだろう」
「屋根はもう少し補強した方がいい」
「砥石を置く台も必要だな」
誠は、ただただ驚きながら、その様子を見ていた。
「あの、本当に、こんなにしてもらって……」
「水臭いこと言うな」
ゴラムが誠の肩を叩いた。
「お前がこの村に来てから、みんな随分助かってるんだ。今度はこっちの番だよ」
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数日かけて、空き家は小さいながらも、しっかりとした店構えに生まれ変わった。軒先には研ぎ場、店内には育てた薬草を乾燥させる棚、そして小さな作業台。
「立派になったなぁ」
村長も感心したように、店を眺めていた。
「看板、新しくした方がいいんじゃないか?」
誠は、最初の拙い木の看板を見つめた。「研ぎ屋、始めます」——あの時は、本当に何も分からないまま書いた文字だった。
「いえ、これでいいです」
「そうか? まあ、お前が言うなら」
誠にとって、その看板は、この世界で歩み始めた最初の一歩の証だった。変える気にはなれなかった。
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店が形になった日、エリナが真っ先に訪ねてきた。
「わあ……すごい、立派になりましたね」
「みんなが手伝ってくれて」
「田中さんが、それだけ皆さんに信頼されてるってことですよ」
エリナは、店の中をぐるりと見渡した。
「この棚の草花は、全部田中さんが育てているんですか?」
「はい。まだ試している最中のものも多いんですけど」
「へえ……」
エリナは棚に並んだ乾燥草を興味深そうに眺めた。
「これ、何に使うんですか?」
「これは、腹痛によく効きます。こっちは、傷の炎症を抑える効果がありそうで」
「詳しいんですね」
「独学ですけどね」
エリナは感心したように、誠の顔を見つめた。
「田中さんは、本当に色々なことをご存知ですね」
「大したことじゃないですよ」
誠はいつものように、謙遜した。
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「あの、田中さん」
エリナが少し改まった様子で切り出した。
「うちの食堂で、田中さんの育てた薬草茶、出してみませんか?」
「え?」
「腹痛に効くお茶、うちの常連さんにも需要があると思うんです。お代はちゃんとお支払いしますので」
誠は少し驚いた。研ぎ屋の仕事以外で、自分の育てたものに価値を見出してもらえるとは、思ってもみなかった。
「いいんですか、そんな」
「もちろんです。むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」
こうして、誠の育てた「白根草」——後にタナカソウと呼ばれる草——は、エリナの食堂を通じて、少しずつ村に広まっていくことになる。
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「エリナさん」
その日の夕方、店を出るエリナに、誠は思い切って声をかけた。
「はい?」
「その……ありがとうございます。色々と」
「私の方こそ、いつもお世話になってます」
「いえ、そうじゃなくて」
誠は珍しく、言葉に詰まった。
「なんというか……この村に来て、色々な人に助けられて、今の自分がいるので」
エリナは、少し驚いた顔をした後、柔らかく微笑んだ。
「田中さんは、ちゃんと自分の力で、ここまで来たんだと思いますよ」
「そうでしょうか」
「はい。私は、そう思います」
その言葉が、誠の胸に、静かに、しかし確かに残った。
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その夜、誠は新しい店の中で、祖父のノートを開いた。
「店が形になった。村のみんなが手伝ってくれた。研ぎ屋、薬草、そしてエリナさんの食堂との縁。少しずつ、この世界に自分の居場所ができている気がする」
窓の外には、二つの月が、変わらず静かに浮かんでいた。
祖父が言っていた「地味なことを丁寧に、飽きずに続ける」という言葉が、この世界で少しずつ、形になり始めていた。
まだこの時の誠は知らない。この小さな店が、やがて王国最大級の商会へと育っていく、その最初の礎になることを。




