第7話「エリナ」
研ぎ屋を始めて、半月ほどが過ぎた頃だった。
その日、誠のもとに一人の女性が、大きな籠いっぱいの包丁を抱えてやってきた。
「あの、すみません。うちの食堂の包丁、全部見ていただけますか」
「はい、大丈夫ですよ」
顔を上げた誠は、少し驚いた。その女性は、これまで見てきた村人たちとは、どこか違う雰囲気を纏っていた。飾り気はないが、清潔感のある身なり。忙しなく働いているのだろう、袖をまくった腕には、火傷の痕がいくつかあった。
「エリナと申します。村の食堂をやっています」
「田中誠です。よろしくお願いします」
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籠の中には、十本近い包丁が入っていた。どれも刃こぼれがひどく、まともに切れる状態ではなかった。
「随分、酷使されてますね」
「毎日、大量の野菜と肉を捌きますので……。今までは我慢して使っていたんですが、ゴラムさんに、腕のいい研ぎ屋さんがいるって聞いて」
「腕がいいかは分かりませんが、やれるだけやってみます」
誠はさっそく作業に取り掛かった。エリナは帰らず、その様子をじっと見ていた。
「見ていて、面白いものなんですか?」
「はい。手つきに、迷いがないので」
誠は少し照れくさくなり、作業に集中するふりをした。
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一時間ほどかけて、誠は十本の包丁をすべて研ぎ終えた。
「お待たせしました」
エリナは一本を手に取り、慎重に確かめた。そして、近くにあった木片を、試しに一撫でした。
木片は、抵抗なくすっと切れた。
「……すごい」
エリナの目が、驚きに見開かれた。
「これ、本当に同じ包丁ですか? まるで新品みたいです」
「祖父から教わったやり方なので」
「田中さんのお祖父さんは、鍛冶屋さんだったんですか?」
「いえ、八百屋です。でも、刃物には人一倍こだわる人でした」
エリナは、感心したように何度も頷いた。
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「あの、これからも、うちの店の包丁、お願いしてもいいですか」
「もちろんです」
「本当に助かります。今までは、切れない包丁で無理に捌いていたので、腕が痛くて」
エリナはそう言って、少し困ったように笑った。誠は、その笑い方が、なんだか印象に残った。
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それから、エリナは定期的に、食堂の包丁を持ってくるようになった。
「今日はこれ、お礼です」
「そんな、お代はいただいてますから」
「これは別です。うちの店の、賄い用のスープです。よかったら」
そう言って渡されたスープは、素朴だが、深い味わいがあった。誠は思わず、故郷の祖父の味を思い出した。
「美味しいです、これ」
「よかった。田中さん、痩せてるみたいだったので、心配してたんです」
「そんな、大丈夫ですよ」
「大丈夫そうに見えない人ほど、そう言うものですよ」
エリナのその言葉に、誠は少し驚いた。見透かされているような気がした。
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「田中さんは、どこから来たんですか?」
ある日、エリナがふと尋ねた。
「……遠くの町からです。詳しいことは、あまり覚えていなくて」
誠は、いつもの曖昧な答えでかわした。
エリナは、それ以上深く聞こうとはしなかった。
「そうですか。でも、田中さんの手仕事を見ていると、なんとなく分かる気がします」
「何がですか?」
「大事に育てられてきたんだな、って」
誠は、何も言えなかった。ただ、胸の奥が、静かに温かくなるのを感じた。
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その夜、誠は空き家で、エリナからもらったスープの器を眺めながら、祖父のノートを開いた。
「食堂のエリナさんという方と知り合う。真面目で、よく気がつく人だ。スープが美味しかった」
書きながら、誠は少し気恥ずかしくなった。祖父のノートに、こんな私的なことを書き込んだのは初めてだった。
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「誠、お前、最近顔つきが変わったな」
ゴラムが、からかうように言ってきた。
「そうですか?」
「エリナちゃんが来た日は、いつもより機嫌がいいってもっぱらの噂だぞ」
「そんなこと……」
誠は思わず口ごもった。ゴラムは愉快そうに笑い、それ以上はからかわなかった。
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二つの月が空に浮かぶ夜、誠は村はずれの草原に一人立っていた。
風に揺れる「白根草」の群生を眺めながら、誠はふと思った。
(この世界での暮らしも、悪くないのかもしれない)
祖父のノート、研ぎ屋の仕事、育て始めた薬草、そしてエリナ。
少しずつ、この世界に、誠の居場所ができ始めていた。
まだこの時の誠は知らない。この小さな出会いが、やがて生涯を共にする伴侶との始まりであることを。




