第6話「研ぎ屋、始めます」
村に来て、一ヶ月が過ぎた。
田中誠の生活は、畑仕事と、村はずれでの草花観察を中心に回っていた。だが、ある日、思いがけないきっかけが訪れる。
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「くそ、この鎌、もう切れやしねぇ」
畑の隅で、ゴラムが苛立たしげに鎌を放り出しているのを見かけた。
「どうしたんですか」
「見ての通りだよ。刃がなまくらでな。この村に鍛冶屋はいるが、腕はイマイチでな。研ぎとなると尚更だ」
誠の中で、何かが動いた。
「あの、その鎌、少し貸してもらえますか」
「あん? お前が研ぐのか?」
「祖父が、そういう仕事をしていたので」
ゴラムは半信半疑の顔をしながらも、鎌を渡してくれた。
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誠は村の井戸端で、手に入る限りの平らな石を集め、砥石代わりにした。祖父から教わった通りの手順で、水をかけ、角度を確かめ、刃を研いでいく。
シャッ、シャッ、という音が、静かに響く。
祖父の手つきを、体が覚えていた。何百回、何千回と見てきた光景。誠自身の手が、まるで祖父のもののように動いていく。
小一時間ほどかけて、誠は鎌を仕上げた。
「できました」
「おお……?」
ゴラムは半信半疑の顔で刃を確かめ、そして目を見開いた。
「おいおい、こりゃすげぇな! 新品みたいじゃねぇか!」
刃を軽く指で撫で、ゴラムは驚嘆の声を上げた。
「本当に、旅の者か、お前は?」
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噂は、あっという間に村中に広まった。
「聞いたか、あの旅の若ぇのが、ゴラムの鎌を新品同然にしたらしいぞ」
「俺の鍬も見てもらえねぇかな」
「うちの包丁もお願いできないかい」
翌日から、誠のもとには、次々と刃物を持った村人が訪れるようになった。
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「あの、お代は結構ですので……」
最初、誠はそう言うつもりだった。しかし、村長がそれを止めた。
「誠。それはいかん」
「え?」
「タダで働くのは、お前のためにも、村のためにもならん。お前の技術には、それだけの価値がある。ちゃんと対価を取れ」
「でも……」
「これはお前の生きる術になる。遠慮するな」
祖父の言葉が、誠の脳裏によぎった。
当たり前のことを、当たり前に続けられる。それが一番難しいんだよ。
誠は少し考えて、頷いた。
「わかりました。では……お気持ちだけ、いただきます」
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こうして、誠は村はずれの空き家の軒先に、小さな看板を立てた。
「研ぎ屋、始めます」
木の板に、拙い文字でそう書いただけの、ささやかな看板だった。
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初日から、思った以上に客が来た。
「これ頼むよ」
「お代は……」
「気持ちでいいさ、初回だからな」
村人たちは、様々な野菜や卵、時には手作りのパンなどを、対価として持ってきてくれた。誠はそれを、ありがたく受け取った。
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夜、誠は村はずれの空き家で、その日受け取った野菜やパンを並べて眺めた。
「これが、俺の初めての……商売、なのかな」
まだ実感は薄かった。けれど、確かに何かが始まっていた。
祖父のノートを開き、新しいページに書き加える。
「研ぎ屋、開業。ゴラムの鎌が最初の客。この世界でも、刃物と会話することは変わらないらしい」
祖父の言葉を、この見知らぬ世界で、初めて自分の言葉として書き記した瞬間だった。
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その頃、村はずれの草原では、誠が見つけた「白根草」が、静かに群生を広げていた。誠はまだ知らない。この草が、後にこの地方一帯で「タナカソウ」と呼ばれるようになることを。
そして、この小さな研ぎ屋の看板が、後に王国最大級の商会の、最初の一歩になることを。
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「田中さんよぉ」
ある日、ゴラムが照れくさそうに声をかけてきた。
「なんですか」
「お前、良かったら、俺の畑の隣の空き地、使うか? 少し広めに草花育てるにはちょうどいいぞ」
「いいんですか?」
「ああ。お前の研いだ鎌のおかげで、俺の仕事も随分楽になったからな。お互い様だ」
誠は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
こうして誠は、研ぎ屋と並行して、あの薬草——「白根草」をはじめとする様々な植物を、本格的に育て始めることになる。
小さな一歩が、少しずつ、しかし確実に、積み重なっていった。




