第5話「地面の下の記憶」
村に来て、半月が経った。
田中誠は、村の共同畑での仕事に、少しずつ馴染んでいた。祖父から教わった知識は、この世界でも驚くほど通用した。土の水はけ、種の蒔き方、間引きのタイミング——基本となる考え方は、どの世界でも変わらないらしかった。
「誠、お前、本当にただの旅人か? 妙に手慣れてるぞ」
畑仕事を教えてくれる村人、ゴラムがそう言って笑った。ゴラムはこの村で一番の畑仕事の腕を持つ、日に焼けた大柄な男だった。
「祖父がやっていたので、見様見真似です」
「見様見真似でこれとはな。まあいい、助かってるよ」
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誠が最も熱心に取り組んでいたのは、村はずれで見つけたあの草だった。
空き時間を見つけては、その草の生えている場所に通い、観察を続けていた。葉の形、茎の太さ、生えている場所の日当たりと湿り気。祖父のノートの余白に、気づいたことを書き留めていく。
「祖父ちゃん、これ何て草だと思う?」
誰もいない草原で、誠は独り言のように呟いた。答えが返ってくるはずもないが、そうすることで、少し心が落ち着いた。
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ある日、村の子供が腹を壊した。
「うちのシビル坊が、朝から腹痛くて泣いてるんだよ。困ったねぇ」
母親が困り果てた様子で、井戸端で話しているのを、誠は偶然耳にした。
「あの、それ、いつ頃からですか」
「え? ああ、旅の人か。昨日の夜からだよ。何か悪いもんでも食べたのかねぇ」
誠の脳裏に、祖父の言葉がよぎった。
ドクダミは、腹を壊した時に効く。
あの草は、ドクダミによく似ていた。もしかしたら、似た効能があるかもしれない。
「あの、試してみたいことがあるんですが」
「試すって、何を?」
誠は正直に言った。
「実はわからないんです。効くかどうかも、保証はできません。それでも、良ければ」
母親は少し戸惑った顔をしたが、藁にもすがる思いだったのだろう、頷いた。
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誠はその草を煎じて、薄い茶のようなものを作った。祖父から教わった、ドクダミ茶の作り方を思い出しながら。
「本当に、これで大丈夫かな……」
正直、不安はあった。もし逆効果だったらどうしよう。誠は覚悟を決めて、まず自分でひと口飲んでみた。
苦い。しかし、飲めない味ではない。しばらく待ってみたが、特に体調に変化はなかった。
「よし……多分、大丈夫だ」
誠はそれを持って、シビル少年のもとへ向かった。
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「これを飲んでみて」
シビルは顔をしかめながらも、それを飲み干した。
その日の夜、母親が誠のもとへ駆けてきた。
「誠さん! シビルの腹痛、治まったよ! ありがとう、本当にありがとう!」
「よかった……本当によかったです」
誠は心の底から安堵した。まぐれかもしれない。まだ確信は持てない。それでも、誰かの役に立てたという実感は、誠の胸に静かな熱を灯した。
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その夜、誠は祖父のノートに、新しいページを書き加えた。
「この世界の草、ドクダミに似た効能あり。腹痛に効く模様。名前は仮に『白根草』とする」
まだ拙い、始まったばかりの記録だった。けれど、この一行が、後に何百ページにも渡る「田中誠の薬草大全」の、最初の一ページになる。
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噂は、思ったより早く村に広まった。
「聞いたか、旅の若ぇのが、シビル坊の腹痛を治したらしいぞ」
「薬師様でもねぇのに、大したもんだ」
「いやいや、まぐれだろう」
誠自身も、まだ自分の発見に確信が持てずにいた。だからこそ、慢心せず、その後も草花の観察を続けた。
村はずれの草原を歩き、見つけた草の匂いを嗅ぎ、少しだけ齧って味を確かめる。祖父から教わった「毒草の見分け方」の基本——苦味の質、匂いの刺激、葉の裏の色——を思い出しながら、慎重に、しかし着実に、この世界の植物についての知識を積み上げていった。
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「お前、最近よく草むらをうろついてるな」
ゴラムがある日、そう声をかけてきた。
「ちょっと、興味があって」
「変わってるな、お前も。まあ、悪いことじゃねぇ」
ゴラムは特に深く追及することもなく、それ以上は何も言わなかった。この村の人々は、誠のそうした奇妙な行動を、良くも悪くも「旅の者は変わったことをするものだ」程度に受け止めているようだった。
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その日の夜、誠は空を見上げた。二つの月が、相変わらず並んで浮かんでいる。
(俺、この世界で、少しは役に立てるかもしれない)
英雄になりたいわけではない。目立ちたいわけでもない。
ただ、祖父がそうしていたように、目の前の困っている誰かに、自分にできることをする。それだけで、十分だった。
「地味なことを、丁寧に、飽きずに、か」
誠は祖父の言葉を、もう一度、静かに口にした。
その言葉が、これから何十年もかけて、この世界の何百人もの命を支える土台になることを、この時の誠は、まだ知らない。




