第272話「まだ、うまれてへん」
誠が、旅立って、一ヶ月。
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# 変化
ルカは、毎朝、桶の前に、座るのが、日課に、なった。
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# 日々
けれど、水面には、いつも通りの、店が、映るだけだった。
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誠の、姿は、なかった。
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# ルカ
ある朝、ルカが、田中に、聞いた。
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「田中さん」
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「なんや」
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ルカ。
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「師匠が、いなくなって」
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「はい」
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ルカ。
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「じいさんが、言ってた、あの言葉」
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# ルカ
「『まだ、うまれてへん』」
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ルカは、続けた。
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「あれ、誰のことか、分かりましたか」
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# 田中
田中は、しばらく、動かなかった。
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そして、静かに、言った。
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「わからん」
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# 田中
「けど」
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田中は、続けた。
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「あのとき」
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「はい」
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田中。
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「じいさんが、こっちを、みとった」
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# ルカ
ルカは、その言葉を、覚えていた。
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「誠さんを」
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田中。
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「うん」
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# 田中
「もしかしたら」
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田中は、続けた。
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「まだ、うまれてへん、いうんは」
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# 田中
「べつの、いみ、やったかもしれん」
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田中は、静かに、言った。
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉を、考えた。
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「別の、意味」
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田中。
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「うん」
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# 桶
その日、ルカは、桶の前に、座り、じいさんに、直接、聞いた。
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# ルカ
「じいさん」
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「なんや」
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ルカ。
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「昔、あなたが、言ってました」
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# 質問
「まだ、生まれてへん、一人が、いる、って」
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ルカは、続けた。
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「誰のことですか」
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# 老人
老人は、しばらく、動かなかった。
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それから、静かに、書いた。
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# 文字
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*「まことに、きいたか」*
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# ルカ
ルカ。
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「はい」
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老人は、しばらく、考えていた。
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そして、書いた。
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# 文字
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*「あれはな」*
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そして、続けた。
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*「にんげん、ひとりのことやない」*
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# 老人
*「まだ、うまれてへん、いうんは」*
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老人は、続けた。
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*「まだ、はじまってへん、はなしのことや」*
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉の、意味を、考えた。
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「話」
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老人。
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*「うん」*
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# 老人
*「まだ、だれも、しらん」*
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老人は、続けた。
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*「まだ、だれも、けいけんしてへん」*
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# 老人
*「そういう、できごとが」*
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老人は、続けた。
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*「これから、うまれてくる」*
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉を、噛みしめていた。
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そして、聞いた。
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「じゃあ、誠さんは」
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# 老人
老人は、しばらく、動かなかった。
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それから、書いた。
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# 文字
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*「まことは」*
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そして、続けた。
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*「そのはなしの、いちぶ、やった」*
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# 老人
*「なまえを、きくこと」*
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老人は、続けた。
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*「まっとることを、あきらめんこと」*
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# 老人
*「そういう、はなしを」*
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老人は、続けた。
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*「まことが、うんだ」*
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# ルカ
ルカは、その言葉に、しばらく、動けなかった。
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そして、震える声で、聞いた。
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「まだ、続くんですか」
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# 老人
老人は、頷いた。
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そして、書いた。
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# 文字
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*「つづく」*
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そして、その下に。
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*「あんたが、つづけとる」*
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉を、聞いていた。
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そして、静かに、頷いた。
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「はい」
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# 石田
その夜、石田から、念話が、届いた。
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# 石田
『ルカ』
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ルカ。
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「はい」
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石田。
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『一つ、報告が、ある』
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# 石田
「観測している」
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石田は、続けた。
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「誠の、反応」
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「はい」
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石田。
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「少しずつ、変化している」
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# ルカ
ルカは、身を、乗り出した。
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「どんな、変化ですか」
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# 石田
石田は、しばらく、考えた。
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そして、言った。
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『……濃くなっている』
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉を、噛みしめた。
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「田中さんと、同じ」
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石田。
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『そうだ』
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# 石田
「もし、傾向が、同じなら」
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石田は、続けた。
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「時間は、かかる」
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「はい」
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石田。
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「だが、消えては、いない」
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# ルカ
ルカは、しばらく、その言葉を、聞いていた。
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そして、静かに、言った。
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「待ちます」
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その日、ルカは、誠の、ノートに、こう書き加えた。
*「じいちゃん、師匠。じいさんに、まだ生まれてへん、っていう言葉の意味を、聞きました。人一人のことじゃなくて、まだ始まってへん、話のことだ、って言われました。誰も知らない、誰も経験してへん、できごとのことです。師匠は、その話の一部やった、って。名前を聞くこと、待つことを諦めんこと、そういう話を、師匠が生んだ、って。石田さんからも、報告がありました。師匠の反応が、田中さんと、同じように、少しずつ濃くなってるそうです。消えてはいない、って。じいちゃん、俺、待ちます。師匠が、田中さんと、じいさんに、そうしたように」*
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心の中に——一つの、月が——浮かんでいた。
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——たとえ——空に——見えなくても。
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まだこの時のルカは知らない。誠が姿を取り戻すまでに、どれほどの時間がかかるのかを。
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——そしてもう一つ、まだこの時のルカは知らない。
「まだ生まれていない話」の続きが、これから自分自身の手によって紡がれていくことを。
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——今は......まだ、誰も——知らない。




