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英雄は世界を救う。モブは人の暮らしを救う。  作者: 伝説の男前
大魔法士への道

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第36話「無詠唱」

冷風魔法の一件から、一週間ほどが過ぎた。



「田中様、また、学院長様より、お手紙です」


魔法学院の使者が、息せき切って、村を訪れた。



「今度は、何でしょうか……」


誠は、もはや、少し怯えながら、手紙を開いた。



「田中殿。『ライトニング』『エクスプロージョン』、両者とも、詠唱に起因する熟成・発動時間が、貴殿の膨大な魔力量と、噛み合わなかったことが、失敗の原因と判明いたしました。つきましては、詠唱そのものを必要としない、『無詠唱魔法』の習得を、提案いたします——」



「無詠唱、ですか」



「詠唱がなければ、時間もかからないし、舌を噛むこともない、ということですよね」


誠は、これまでの二回の失敗を思い返しながら、少し、期待を持ち直した。



「田中さん、今度こそ、うまくいくといいですね」


エリナも、心配しつつも、少し応援するような表情を見せた。




「田中殿、よく来てくれた」


学院長が、また、以前にも増して、興奮した様子で誠を迎えた。



「無詠唱魔法は、詠唱の代わりに、明確な『意志』のみで、魔力を発動させる。膨大な魔力量を持つ貴殿になら、むしろ、この方式の方が、合っているかもしれん」



「詠唱がいらないなら、確かに、舌を噛む心配は、なさそうですね」



「うむ。ただし、意志の力だけで、魔力を制御する必要がある。より繊細な、集中力が求められる」




こうして、誠の「無詠唱魔法」習得訓練が、始まった。



「まずは、この水晶玉に、意識を集中し、『水よ、出でよ』と、心の中で、強く念じてみてくれ」



誠は、水晶玉を見つめ、深く集中した。



(水よ、出でよ……)



一日目は、何も起こらなかった。



二日目、誠の額に、微かな汗が滲むほど、集中を深めた結果——



水晶玉の表面に、ほんの一滴、水滴が浮かんだ。



「おお、田中殿! ついに、反応が!」



「これは……」



三日目、誠は、さらに集中を深め、ついに——



コップ一杯にも満たない、わずかな量の水を、生み出すことに成功した。



「や、やった……!」



「素晴らしい、田中殿! これぞ、無詠唱魔法の、基本形だ!」




「学院長、これは……」


誠は、コップの底に、わずかに溜まった水を見つめながら、尋ねた。



「コップ一杯未満の水……何かに、使えますかね」



学院長は、少し、考え込んだ。



「……喉が渇いた時に、少しだけ、潤せるかもしれん」



「そう、ですか……」



誠は、これまでの二回の経験から、既に、あまり驚かなくなっていた。



「まあ、水が出せるだけ、生活の役には立ちそうです」



「そうだ、田中殿! 完璧な成果は出せずとも、貴殿の魔法は、確実に、生活に根差した実用性を持っている!」




村に戻った誠は、その日から、暇を見つけては、この「無詠唱・水生成魔法」の練習を、こつこつと続けていた。



「田中さん、また、水、出してるんですか」


エリナが、微笑ましそうに、その様子を見ていた。



「はい。畑の水やりにも、ちょっとは、使えるかもしれないので」



誠は、店の裏の畑で、コップ一杯分の水を、何度も何度も、繰り返し生み出しては、薬草にかけていった。



「これなら、井戸まで、水を汲みに行く手間も、少し省けますね」




その日の夜——事件は、起きた。



誠は、いつものように、店の二階、エリナと共有する寝室で、眠りについていた。



しかし、無詠唱魔法とは、その名の通り、詠唱という「発動の合図」を必要としない魔法だった。



つまり——



明確な意志を持たずとも、無意識のうちに、"何か"を強く思う、その心の動きだけで、発動してしまう可能性がある、ということを、誠も、学院長も、この時、深く考えていなかった。




「田中さん……田中さん! 起きてください!」



夜中、エリナの、切迫した声で、誠は、飛び起きた。



「な、なんですか……!?」



「これ……!」



エリナが指差した先——寝室の床は、一面、水浸しになっていた。



「え……え!?」



誠は、慌てて、周囲を見渡した。ベッドの周り、床、そして、部屋の隅々に至るまで、まるで、小さな洪水が起きたかのように、水が広がっていた。


いわゆる「おねしょ」である



「な、なんで、こんなことに……」




「田中さん、もしかして、寝てる間に……」



エリナの言葉に、誠は、ハッとした。



「まさか……無詠唱魔法が、寝てる間に、発動し続けてた……?」




翌朝、誠は、慌てて、魔法学院に、事の顛末を報告しに向かった。



「な、なんと……! 睡眠中に、無意識のうちに、魔法が、連続発動していたと……!?」



学院長も、さすがに、驚愕の表情を浮かべた。



「田中殿、これは、由々しき事態だ。無詠唱魔法は、明確な意志がなくとも、心の奥底にある、微かな『願望』や『癖』に、反応してしまうことがある」



「僕、寝てる間に、無意識に、水を求めてた、ということですか……」



「おそらく、日中、水を出す練習を、繰り返しすぎた結果、貴殿の潜在意識に、"水を出す"という行為そのものが、深く刻み込まれてしまったのだろう」




「それで、寝室が、水浸しに……」



「幸い、コップ一杯未満という、少量の発動だったからこそ、大惨事には、至らなかった。だが、これが、もし——」



学院長は、深刻な顔で、続けた。



「もし、貴殿が、もっと大規模な魔法を、無詠唱で習得していたら……眠っている間に、村ごと、水没させていた可能性すら、あった」




誠は、その言葉に、青ざめた。



「学院長、僕、この魔法……」



「田中殿、貴殿が、何を言おうとしているか、分かる」



学院長は、静かに、頷いた。



「無詠唱魔法は、貴殿にとって、あまりにも、制御が難しすぎる。封印することを、勧める」



「はい……そうします」




その日から、誠は、無詠唱魔法の使用を、完全に封印することを、心に決めた。



「もう、寝る前は、水のことは、絶対に、考えないようにします」



「そうしてください、田中さん」


エリナが、水浸しになった寝室の後片付けをしながら、苦笑いした。



「本当に、すみませんでした……」



「まあ、床が濡れただけで、済んで、良かったです」




村に戻った誠は、この一件を、竜崎や黒崎に話したところ、二人とも、腹を抱えて笑った。



「田中、お前、寝てる間まで、忙しないな!」


竜崎が、涙を拭いながら、そう言った。



「フッ……無意識の願望が、現実を、侵食する……ある意味、これも、一つの、"闇"だな」


黒崎が、いつもの調子で、そう茶化した。



「二人とも、笑い事じゃないんだぞ……寝室、水浸しになったんだから」




その夜、誠は祖父のノートに、こう書き加えた。


「無詠唱魔法を習得したが、寝ている間に、無意識に発動し続け、寝室が水浸しになってしまった。今日から、この魔法は、封印することにした。じいちゃん、俺の魔法の才能は、本当に、どこまでも、地味な方向にしか、伸びないみたいだ」



窓の外、二つの月が、静かに輝いていた。



まだこの時の誠は知らない。この「無意識に水を生成する」という現象が、この後の、思いがけない場面——ある深刻な水不足の危機において、封印を解いて活用されることになる日が来ることを。


そして、学院長の中で、まだ、誠の魔法の可能性について、諦めていない何かが、燻り続けていたことも——今はまだ、知る由もなかった。

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