第74話「浮かべ続ける」
畑の——手当てを——ルカと——エリナに——託して。
⸻
⸻
⸻
——誠は——数日ぶりに——工房へ——顔を——出した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——そこは。
⸻
⸻
⸻
⸻
——ひどい——有様だった。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——駄目だ——! 落ちる——!」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——もっと——高くよ——! 上げなさい——!」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——これ以上は——無理です——!」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——工房の——真ん中に。
⸻
⸻
⸻
⸻
——大きな——盥が——据えられ。
⸻
⸻
⸻
⸻
——その、上で。
⸻
⸻
⸻
⸻
——小さな——石が——魔法で——浮かんでいた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——だが。
⸻
⸻
⸻
⸻
——数を——数える——間に。
⸻
⸻
⸻
⸻
——ぽとり、と——落ちる。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——何を——してるんですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——おお、田中か」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者が——振り返った。
⸻
⸻
⸻
⸻
——目の——隈が——さらに——濃くなっている。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——蓋の——話だ。まず——一番——簡単なことから——試して——おる」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——簡単なこと?」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"物を——空に——留めておく"、ことだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——落ちた——石を——拾い上げた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——魔法で——浮かせる、ことは——できる」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——だが——術者が——力を——注ぐのを——やめれば——落ちる」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——半刻も——保たん」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それ——人工太陽の、時と——同じ——問題ですね」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——そうだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者は——渋い——顔で——頷いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——人の——力は——尽きる」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ずっと——浮かべ続ける、には——人の——手を——離れねば——ならん」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——では——どうすれば」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——机の——上の——図を——指した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——考え方は——二つ、あるわ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——一つ。下から——支える」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——柱を——立てて——その、上に——蓋を——乗せる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——柱、ですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——現実的では——ないわ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色は——あっさりと——首を——振った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——あの——高さまで——柱を——立てるなら」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——この、星の——山を——全部——積み上げても——足りない」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——だから——却下」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——もう——一つは」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——落ち続けさせる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「…………は?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——きょとん、と——した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——落とすんですか?」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——落ち続けさせるのよ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——石を——一つ——手に——取って。
⸻
⸻
⸻
⸻
——横に——放った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——石は——弧を——描いて——床に——落ちた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——今——石は——落ちたわね」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——はい」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——では——もっと——強く——投げたら?」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——もっと——遠くに——落ちます」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——もっと——もっと——強く——投げたら?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——もっと——遠くに……」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——そこで——言葉を——止めた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……あれ」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——気づいた?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——星は——丸い、んですよね」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——そうよ」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ということは」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——自分の——手で——弧を——描いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——落ちてる——間に——地面の、方が——逃げていく?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——目を——見開いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……そう」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ものすごく——強く——横に——投げたら」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——落ちても——落ちても——地面に——届かない」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ずっと——落ち続けて——ぐるぐる——回る」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それ——月と——同じ——ですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——虚空の——方々は——そう——言って——いたわ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——うんざりした——顔で——口を——挟んだ。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——理屈は——それでよい」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——だが——問題は——そこでは——ない」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——では——どこ——ですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ぐるぐる——回るのだぞ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——指で——輪を——描いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ということは——ずっと——同じ——場所には——おらん」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——回って——おるのだからな」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「…………あ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠の——顔が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——強張った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——じゃあ——隠せる——時と——隠せない——時が」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——そうだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——一日の——うち——ほんの——わずかな——間だけ——影が——差す」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——後は——素通りだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それでは——夜には——ならん」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——工房が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——重い——空気に——沈んだ。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……振り出し、か」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——机に——突っ伏した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——柱は——立たない。回すと——留まらない」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——留めるには——人が——注ぎ続けるしかない」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——だけど——人は——尽きる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——同じ——ところに——戻って——きたな」
⸻
⸻
⸻
⸻
賢者が——低く——言った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"人の——手を——離れても——独りで——続く——もの"」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それが——要る、という——結論に」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——二人の——顔を——見比べた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——あの」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——なんだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それ——前にも——聞きましたよね」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——聞いた」
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者が——苦い——顔を——した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——人工太陽を——作る、時に——な」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"人の——力では——押し続けられぬ"」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"だから——自らの——重さで——押す——ものが——要る"、と」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——今度も——同じですね」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——同じだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——ゆっくりと——顔を——上げた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——田中。気づいて——おるか」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——何を——ですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——我らは——二年——かけて——同じ——壁に——二度——ぶつかって——おる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"人の——力は——尽きる"」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——彼は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——それだけを——紙に——書いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——これが——この、世界の——一番——大きな——壁だ」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——星を——引くのも。空に——留まるのも」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——全部——これに——阻まれて——おる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——工房が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——静まり返った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……あの、賢者さん」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——おずおずと——言った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それ——逆に——考えたら——どうですか」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——逆?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"尽きない——力"、を——この、世界で——探すんです」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……なんだと?」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——だって——一つ——ありましたよね」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——天井を——指した。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——太陽です」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「…………」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——あれ——誰も——押してないのに——ずっと——燃えてます」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——ずっと——星を——引いてます」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——尽きてません」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それは——そうだが——!」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——他にも——ありませんか」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——真剣な——顔で——言った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——この、世界に——"誰も——押してないのに——ずっと——続いてる——もの"」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——それを——全部——書き出して——みませんか」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者と——一色が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——顔を——見合わせた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……なるほど」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"作れる——もの"、を——探すのでは——なく」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——"既に——ある——もの"、を——数える、か」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——書き出しましょう」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——一色が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——新しい——紙を——広げた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——太陽。月」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——潮の——満ち引き」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——地の底の——熱」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——風」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——待て。星も——だ」
⸻
⸻
⸻
⸻
賢者が——付け加えた。
⸻
⸻
⸻
⸻
「——この、星も——誰も——押して——おらんのに——回り続けて——おる」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——紙が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——少しずつ——埋まっていく。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「……あの」
⸻
⸻
⸻
⸻
——誠が——ふと——言った。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——これ——全部——空の——ものですね」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——む?」
⸻
⸻
⸻
⸻
「——太陽。月。星。潮。……全部——空に——関わる——ものです」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——賢者が。
⸻
⸻
⸻
⸻
——ぴたり、と——手を——止めた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「…………確かに」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——では——問おう」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——彼は。
⸻
⸻
⸻
⸻
——ペンを——置いた。
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
「——なぜ——空の——ものだけが——尽きぬのだ」
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
⸻
——誰も。
⸻
⸻
⸻
⸻
——答えられなかった。
⸻
⸻
⸻
⸻
その日、誠は、祖父のノートに、こう書き加えた。
「畑を、ルカと、エリナに、任せて、久しぶりに、工房に、行った。皆、蓋の話を、進めてた。まず、"物を、空に、留めておく"、実験。でも、魔法で、浮かせても、半刻も、保たない。人工太陽の時と、同じ問題。一色さんが、考え方は、二つ、って。柱を立てて、支える——でも、この星の山を、全部、積んでも、足りない。もう一つは、"落ち続けさせる"。……よく、分からなかったけど、石を、ものすごく、強く、横に、投げると、落ちてる間に、地面の方が、逃げていくらしい。星は、丸いから。それで、ずっと、落ち続けて、ぐるぐる、回る。月と、同じだって。……でも、賢者さんが、"ぐるぐる回るなら、同じ場所には、おらん"、って。隠せるのは、一日のうち、わずかな間だけ。それじゃ、夜には、ならない。……振り出しに、戻った。賢者さんが、"我らは、二年かけて、同じ壁に、二度、ぶつかっている"、って。"人の力は、尽きる"。それが、この世界の、一番大きな壁だって。だから、僕、逆に、考えてみませんか、って言った。"尽きない力"、を、この世界で、探すんです、って。太陽は、誰も押してないのに、ずっと燃えて、ずっと引いてる。他にも、ないですか、って。書き出したら、太陽、月、星、潮の満ち引き、地の底の熱、風。……でも、気づいた。全部、空のものだ。賢者さんが、"なぜ、空のものだけが、尽きぬのだ"、って。誰も、答えられなかった。じいちゃん。空って、なんなんだろう」
⸻
心の中に——一つの、月が——浮かんでいた。
⸻
⸻
——たとえ——空に——見えなくても。
⸻
⸻
⸻
まだこの時の誠は知らない。「なぜ——空の——ものだけが——尽きぬのか」、という——賢者の——この——問いが。
⸻
⸻
——星の——理を——問う——ことでは——なく。
⸻
⸻
⸻
——もっと——ずっと——近い——ところに——触れて——いたことを。
そして——その、答えを——知る——者が。
⸻
⸻
——長らく——沈黙を——保った——まま。
⸻
⸻
⸻
——空の——彼方で——牌を——並べて——いることも。
⸻
⸻
⸻
——今は……まだ、誰も——知らない。




