第32話「思い出の欠片」
細菌族の湿地を訪れてから、半月が過ぎた。誠は、約束通り、定期的にその場所へ通っていた。
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「今日も、来たのか」
霧が、誠の訪れに、揺らめきながら応えた。
「ああ。少しは、思い出せそうか」
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「断片は、増えている。だが、まだ、繋がらない」
霧の声には、以前より、いくぶん人間らしい抑揄が、戻り始めているように感じられた。
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「今日は、これを持ってきた」
誠は、鞄から、一冊のノートを取り出した。祖父のノートではなく、こちらで新しく書き始めた、これまでの「同級生記録」だった。
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「これに、僕が覚えている、クラスの皆の名前と、特徴を書いてきた。読み聞かせてみるから、何か引っかかるものがあったら、教えてくれ」
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誠は、一人一人の名前を、ゆっくりと読み上げていった。
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「黒崎、竜崎、桜庭……これは、もう見つけた。委員長の……」
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誠は、一人ずつ、名前と、記憶にある特徴を、丁寧に読み上げていく。
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「……サキ。理科の授業で、いつも、一番前の席に座っていた。実験の時、誰よりも真剣に、観察記録をつけていた子」
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その名前を口にした瞬間、霧が、大きく波打った。
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「……サキ……」
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「思い出したか?」
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「サキ……観察、記録……そうだ……我は……いや、私は……」
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霧の輪郭が、微かに、人の形を象り始めた。まだ、はっきりとした姿ではなかったが、確かに、そこには「意志」が宿り始めていた。
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「私は……理科部だった。誰よりも、顕微鏡を覗くのが、好きだった……」
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「そうだ、お前は、いつも、微生物の観察に夢中になってたよな」
誠は、記憶を辿りながら、そう相槌を打った。
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「微生物……そう、だ……。私は、目に見えない世界に、ずっと、魅了されていた……」
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霧が、次第に、まとまりを持ち始めていた。
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「転移した時……私は、確か……深い、湿地に、落ちて……そのまま、意識を失って……」
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「気づいたら……体が、なかった。いや、正確には……無数の、小さな体に、分かれて、しまっていた」
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「それが、この、集合意識の姿、なんだな」
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「そう……。最初は、恐怖しかなかった。自分が、自分でなくなっていく感覚……。でも……」
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霧が、少し、穏やかな揺らめきに変わった。
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「この一族の、先達たちが、私を、受け入れてくれた。個としての輪郭を失っても、集合体として、思考し続けることができるのだと、教えてくれた」
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「辛かった、だろうな」
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「辛かった。でも……ずっと、好きだった、微生物の世界そのものに、自分がなったんだと思うと……不思議と、納得できる部分も、あった」
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誠は、その言葉に、胸を打たれた。
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「サキ、思い出せたか、自分の名前」
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霧が、しばらく、静かに揺らめいた。
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「……皆瀬、早紀。それが、私の、名前だった」
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「皆瀬さん、か」
誠は、その名前を、静かに反芻した。
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「田中くん……で、合ってる、よね」
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霧——皆瀬早紀の声に、初めて、はっきりとした、感情の色が宿った。
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「ああ、田中誠だ。よく、思い出してくれたな」
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「あなたの、言葉のおかげ。ありがとう」
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その日から、誠が訪れるたびに、皆瀬の記憶は、少しずつ、鮮明になっていった。
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「田中くん、今日は、竜崎くんの話を、聞かせてくれない?」
「ああ、竜崎はな……」
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誠は、これまで再会した同級生たちの近況を、一つ一つ、丁寧に語って聞かせた。皆瀬は、その一つ一つに、懐かしそうに、時に涙を滲ませながら、耳を傾けた。
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「みんな、それぞれの場所で、ちゃんと、生きてるんだね」
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「ああ。皆瀬も、この集落で、ちゃんと、大切にされてる」
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「そうね……。私も、今の、この在り方を、少しずつ、受け入れられるようになってきた」
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「田中殿」
ある日、細菌族の集落の長老が、誠のもとを訪れた。
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「皆瀬様——いや、我らが、これまで『集合意識』と呼んでいた存在の様子が、貴殿が訪れるようになってから、大きく変わりました」
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「変わった、というと?」
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「以前は、断片的で、不安定な思考しか、示されませんでした。しかし今では、はっきりとした、一つの人格として、我らと、意思疎通ができるようになっています」
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長老は、深く、誠に頭を下げた。
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「これは、貴殿の、忍耐強い関わりの、賜物です。心より、感謝いたします」
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「いえ、僕は、ただ、話を聞いてもらっていただけです」
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「田中くん」
皆瀬の声が、誠を呼んだ。
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「あなたが、私を見つけてくれなかったら、私は、ずっと、断片のまま、自分が誰かも分からず、彷徨っていたと思う」
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「いや、皆瀬が、思い出したかったから、思い出せたんだと思う」
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「ううん」
皆瀬の声は、優しく、しかし、確かな意志を持って、続けた。
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「あなたは、いつも、そうやって、自分の功績を、小さく見積もる。でも、私は、知ってる。あなたがいなければ、変わらなかったものが、たくさんあるって」
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誠は、少し、照れくさくなり、頭をかいた。
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「これからも、時々、来てくれる?」
「もちろん」
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「私も、この一族のために、できることを、探していく。目に見えない世界の知識を、少しでも、役立てられたら」
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帰り道、誠は、竜崎に、その日の出来事を報告した。
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「そうか、皆瀬か……。あいつ、理科の実験の時、いつも、ノート、びっしり書き込んでたよな」
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「ああ、変わってなかったよ、そういうところは」
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「見た目は、随分と、変わっちまったんだろうけどな」
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「うん。でも、中身は、ちゃんと、皆瀬だった」
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竜崎は、しみじみと、頷いた。
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「田中、お前のその、地道な探し方、本当に、大したもんだよ」
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「大したことじゃない。ただ、みんなの顔が、見たいだけだから」
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その夜、誠は祖父のノートに、こう書き加えた。
「皆瀬早紀を見つけた。細菌族の集合意識になっていた。姿形は、もう人間じゃなくなっていたけど、あの子らしい探究心は、ちゃんと残っていた。じいちゃん、人の本質って、姿形が変わっても、消えないものなんだな」
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窓の外、二つの月が、湿地の霧を、優しく照らしていた。
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まだこの時の誠は知らない。この皆瀬早紀という「目に見えない世界の探究者」が、この後の疫病研究において、誠にとって、かけがえのない知恵袋になっていくことを。
そして、この日を境に、誠の「同級生探し」の旅が、単なる懐かしさだけでなく、それぞれの知識や力を、この世界のために活かしていく、新たな段階へと進んでいくことになることも——今はまだ、知る由もなかった。




