第31話「細菌族の噂」
鈴森との再会から、半月が過ぎた頃だった。
⸻
「田中、ちょっと、聞いてほしいことがある」
鈴森が、虫人族の集落から、わざわざ誠の店を訪ねてきた。
⸻
「どうしたんだ、わざわざ」
「実は、うちの一族と、古くから交易のある種族から、気になる話を聞いてな」
⸻
鈴森は、複眼を少し細めながら、続けた。
⸻
「西の湿地帯に、『細菌族』と呼ばれる、特殊な一族が住んでいるらしいんだ」
⸻
「細菌族……?」
誠は、聞き慣れない言葉に、首を傾げた。
⸻
「詳しくは知らんが、目に見えないほど小さな体で、集合体として意思を持つ、変わった種族らしい。普段は、霧のような姿で、湿地に潜んでいるとか」
⸻
「そんな種族が、いるのか……」
⸻
「それでだ」
鈴森が、少し身を乗り出した。
⸻
「その細菌族の中に、最近、『妙に人間くさい喋り方をする個体がいる』という噂が、交易商人の間で、広まっているらしい」
⸻
誠の顔つきが、変わった。
⸻
「まさか……」
⸻
「ああ。俺も、話を聞いた時、真っ先に、お前たちのことを思い出したよ」
⸻
「田中、行ってみないか。もし本当に、同級生の誰かなら……」
⸻
誠は、迷わず頷いた。
「行ってみよう」
⸻
⸻
数日後、誠は、鈴森の紹介状を携え、西の湿地帯へと向かった。道中、竜崎にも声をかけ、護衛を兼ねて同行してもらうことになった。
⸻
「湿地帯なんて、随分と辺鄙な場所に来たもんだな」
竜崎が、ぬかるんだ足元に苦労しながら、そう漏らした。
⸻
「噂が本当なら、確かめる価値がある」
誠は、そう言いながら、湿地の奥へと進んでいった。
⸻
深い霧が立ち込める湿地帯を、案内役の交易商人に導かれながら進む。やがて、視界が開けたかと思うと、そこには、これまで見たこともない光景が広がっていた。
⸻
「これは……」
⸻
湿地の中央、淡く発光する霧の塊が、まるで意思を持つかのように、ゆらゆらと形を変えながら漂っていた。
⸻
「あれが、細菌族の集合体だ」
案内人が、そう説明した。
⸻
「あの中に、意思の中心となる個体がいる。それが、噂の存在だ」
⸻
誠は、霧に向かって、慎重に歩み寄った。
⸻
「あの、失礼します。人間族の田中と申します」
⸻
霧が、誠の声に反応するように、微かに揺れた。
⸻
「……ニンゲン、ゾク……?」
⸻
霧の中から、くぐもった、しかし、確かに言葉として聞き取れる声が響いた。
⸻
「田中、と言った、か……」
⸻
その声の抑揚に、誠は、何か引っかかるものを感じた。
⸻
「あの、失礼ですが……その喋り方、どちらかで、学ばれたのですか」
⸻
「学んだ、というか……。我は、元々、この喋り方、しか、知らぬ」
⸻
霧が、そう答えた。誠は、さらに一歩、踏み込んでみることにした。
⸻
「ちなみに、どうよ、最近……儲かってる?」
⸻
その瞬間、霧全体が、大きく波打った。
⸻
「その、台詞……!」
⸻
霧の動きが、明らかに、動揺を示していた。
⸻
「まさか……いや、しかし……我の記憶にある、あの、言い回し、と……」
⸻
「もしかして……クラスメイトの、誰かか?」
誠は、確信を強めながら、尋ねた。
⸻
霧は、しばらく、沈黙した。やがて、ゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
⸻
「我は……元々、一つの、意識、だった。しかし、この体になってから、長い時が経ち……我という個の輪郭が、随分と、薄れてしまった」
⸻
「薄れた、というと……」
⸻
「我は、今や、無数の、微小な個体の、集合意識。かつての、一人の人間としての記憶は、断片的にしか、残っておらぬ」
⸻
誠は、その言葉に、胸が締め付けられる思いがした。
⸻
「それでも、我の中の、ある断片が……『どうよ、儲かってる』という、その言葉に、強く、反応した」
⸻
「思い出せるか? 名前とか、顔とか……」
⸻
霧は、しばらく、揺らめきながら、考え込むような沈黙を続けた。
⸻
「……サクラ……いや……違う……」
⸻
「桜庭は、もう見つけたんだ。お前は、別の誰かのはずだ」
⸻
「では……ミサ……いや……」
⸻
霧の揺らめきが、次第に、不規則になっていった。
⸻
「田中、無理に思い出させるのは、まずいんじゃないか」
竜崎が、心配そうに、誠の袖を引いた。
⸻
誠も、頷いた。
⸻
「すみません、無理に、思い出させようとして」
⸻
「いや……構わぬ」
霧が、落ち着きを取り戻しながら、答えた。
⸻
「田中、と名乗ったな。我は、今の状態では、はっきりとした個としての記憶を、取り戻すことは、難しい。しかし……」
⸻
「しかし?」
⸻
「お前の、その、言葉と、佇まいには、確かに、懐かしさを、感じる」
⸻
霧は、そう言うと、ゆっくりと、誠の周りを、優しく漂うように動いた。
⸻
「もし、良ければ……時々、また、会いに来てくれぬか。我の、失われた記憶の、断片を、少しずつ、取り戻せるよう、力を貸してほしい」
⸻
誠は、深く頷いた。
⸻
「もちろん。何度でも、来るよ」
⸻
⸻
「田中殿、我らからも、頼みがある」
案内していた交易商人が、そう切り出した。
⸻
「この集合意識の状態は、実は、我らにとっても、長年の謎でな。もし、田中殿の知識で、何か、力になれることがあれば」
⸻
「分かりました。できる限りのことは、やってみます」
⸻
誠は、この日から、細菌族の「彼女」——まだ名前も定かではない、旧友の可能性がある存在——のもとへ、定期的に通うことを決めた。
⸻
帰り道、竜崎が、少し複雑な顔で言った。
⸻
「田中、こういうのも、あるんだな。見つけたはいいが、まだ、完全には、繋がれない再会」
⸻
「ああ」
誠は、静かに頷いた。
⸻
「でも、繋がりが、完全に切れたわけじゃない。少しずつでも、思い出してもらえたら、それでいい」
⸻
「相変わらず、気の長い奴だな、お前は」
竜崎が、苦笑いしながら、誠の肩を叩いた。
⸻
その夜、誠は祖父のノートに、こう書き加えた。
「細菌族の中に、同級生の誰かの記憶の断片が眠っているようだ。まだ、はっきりとは思い出せていない。焦らず、少しずつ、通い続けようと思う。じいちゃん、再会にも、色々な形があるんだな」
⸻
窓の外、二つの月が、湿地の霧を、静かに照らしていた。
⸻
まだこの時の誠は知らない。この「集合意識」となった同級生の正体が、この後、思いがけない形で明らかになることを。
そして、この細菌族との縁もまた、後の疫病対策において、誠に、計り知れない知見をもたらすことになることも——今はまだ、知る由もなかった。




