第30話「虫の王」
竜崎との絆が深まってから、しばらく経ったある日、誠のもとに、思いがけない依頼が舞い込んだ。
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「田中商会さんに、折り入って、お願いがございます」
店を訪れたのは、見慣れない服装の商人だった。深い森の奥に住むという、少数民族の使者だという。
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「森の奥、というと?」
「はい。人間族とは、あまり交流のない場所ですが……我らの『長』が、田中殿の薬草の評判を聞き、ぜひ、お会いしたいと」
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「長、ですか」
「はい。我ら、虫人族の長にございます」
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誠は、少し驚いた。虫人族——甲殻や複眼を持つ、人間とは異なる種族の存在は、噂には聞いていたが、実際に関わりを持つのは初めてだった。
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「何か、お力になれることがあれば」
誠は、そう答え、使者の案内で、森の奥深くへと向かうことになった。
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深い森を、幾つもの獣道を抜けながら進むと、やがて、木々の間に、巧妙に隠された集落が見えてきた。
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「ようこそ、田中殿。長が、お待ちです」
案内された先、大きな樹洞を利用した住居の中に、その「長」はいた。
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大きな複眼、光沢のある甲殻——見た目は、明らかに人間離れしていた。しかし、その佇まいには、どこか、誠の記憶を刺激するものがあった。
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「よくぞ参られた、田中殿」
長が、低く、しかしよく通る声で言った。
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「田中誠と申します。本日は、お招きいただき……」
誠は、そう挨拶をしながら、ふと、違和感を覚えた。
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(この、口調というか、間の取り方……)
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「田中殿、単刀直入に伺いたい。あなたの育てる薬草は、我らの一族の病にも、効果があるだろうか」
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「拝見しないことには、何とも言えませんが……」
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誠は、話をしながらも、目の前の「長」の仕草を、注意深く観察していた。複眼の動き、触角の揺れ方——人間とは全く違う体のはずなのに、なぜか、時折見せる、些細な仕草に、覚えのある癖が見え隠れしていた。
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「失礼ですが、長は、この一族に、生まれつき?」
誠は、思い切って尋ねてみた。
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長の複眼が、一瞬、大きく動いた。
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「……いや。この一族に迎え入れられたのは、ある日、突然のことだった」
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(やっぱり……)
誠の中で、確信が、少しずつ強まっていった。
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「あの、失礼を承知でお伺いしますが……どうよ最近、儲かってる?」
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その言葉を口にした瞬間、長の全身が、ビクリと震えた。
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「……その、言い回し……」
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長は、しばらく、複眼を誠に向けたまま、動きを止めていた。
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「まさか……田中……なのか……?」
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その声は、震えていた。人間離れした姿からは想像もつかない、しかし、確かに、聞き覚えのある響きだった。
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「やっぱり……お前、優等生の……鈴森、だよな?」
誠は、確信を持って、そう口にした。
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長——鈴森は、しばらく、その場で立ち尽くしていた。
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「まさか、こんな姿になっても、気づいてもらえるとはな……」
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鈴森の声は、複眼の異形の姿に反して、どこか、懐かしい響きを持っていた。
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「本当に、鈴森なんだな」
「ああ……もう、随分と、この姿にも慣れたけどな」
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鈴森は、複眼の奥に、どこか、寂しげな色を滲ませながら、続けた。
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「転移してすぐ、この一族に、拾われたんだ。人間の姿では、もう、生きられなかった。瀕死の状態で、森を彷徨っていたところを、この一族の先代の長に、助けられてな」
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「先代の長、というと……」
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「ああ。人間だった頃の体は、既に、限界だった。だから、この一族の秘術によって、一族の体を、受け継ぐことになった」
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誠は、言葉を失った。転移直後の、想像を絶する過酷な経験が、鈴森の口から語られていた。
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「辛かった、だろうな」
「最初はな。でも、この一族は、俺を、温かく迎え入れてくれた。今では、この姿にも、この一族の一員であることにも、誇りを持ってる」
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鈴森は、複眼を、まっすぐ誠に向けた。
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「田中は、変わらないな。人間の姿のままで、あの頃と同じように、誰かのために、薬草を育ててるのか」
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「まあ、多少、色々あったけどな」
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「相変わらずだな、お前」
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鈴森は、その場で、久しぶりに、心から笑ったように見えた——それが、人間の顔でなくとも、誠には、確かに、伝わってきた。
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「田中、改めて頼みたい。うちの一族、疫病に近い、原因不明の病に、悩まされている。人間族の薬草が、効くかどうかは分からんが……お前になら、任せられる気がする」
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「わかった。できる限りのことは、やってみる」
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こうして誠は、鈴森の案内で、虫人族の集落を訪れ、病に苦しむ者たちの様子を、詳しく調べることになった。
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「これは……人間の疫病とは、少し違うようだな」
誠は、症状を確認しながら、慎重に考えを巡らせた。
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「甲殻の艶が、失われている。おそらく、栄養状態と、湿度管理に、問題があるのかもしれない」
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誠は、祖父から教わった、保存食や栄養管理の知識、そしてこの世界で培った薬草の知識を組み合わせ、慎重に、対処法を考えていった。
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数週間にわたる試行錯誤の末、誠が調合した薬草と、栄養管理の改善によって、虫人族の病は、少しずつ快方に向かっていった。
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「田中……本当に、感謝する」
鈴森が、深く頭を下げた。
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「一族を代表して、礼を言う。お前がいなければ、多くの仲間が、失われていただろう」
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「お互い様だ。困った時は、お互い様だろ」
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誠は、いつものように、そう答えた。
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「田中、これから、また会えるか」
鈴森が、少し不安げに尋ねた。
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「もちろんだ。今度は、竜崎や黒崎とも、機会があれば、一緒に会おう」
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「竜崎も、黒崎も、見つけたのか……」
鈴森は、感慨深げに呟いた。
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「ああ。少しずつだけどな」
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「そうか……。田中は、本当に、俺たちを、繋いでくれる存在なんだな」
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誠は、少し照れくさくなり、頭をかいた。
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「大したことじゃないよ。ただ、みんなの顔を、また見たいだけだ」
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その日の帰り際、鈴森は、誠に、一族秘伝の、丈夫な繊維で織られた布——虫人族の技術の粋を集めた品——を、餞別として渡した。
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「これは、うちの一族の誇りだ。田中商会で、役立ててくれ」
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「ありがとう、大切に使うよ」
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村への帰り道、誠は、鈴森からもらった布を、大切に抱えながら、これまでの再会——黒崎、竜崎、そして鈴森——を、一つ一つ思い返していた。
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その夜、誠は祖父のノートに、こう書き加えた。
「鈴森を見つけた。虫人族の長になっていた。人間の姿ではなくなっていたけれど、あいつの中身は、ちゃんと鈴森のままだった。じいちゃん、この世界で出会う人たちは、みんな、姿は変わっても、大切なものは、変わらないみたいだ」
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窓の外、二つの月が、静かに輝いていた。
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まだこの時の誠は知らない。この虫人族との縁が、この後の戦争において、思いがけない形で、大きな力になっていくことを。
そして、鈴森という「虫の王」との友情が、この後の誠の人生に、深く関わり続けることになることも——今はまだ、知る由もなかった。




