第3話「暑い、ただ暑い」
その年の——夏は。
⸻
異常、だった。
⸻
⸻
朝から——うだるような——暑さが——続き。
⸻
日が——高くなる、頃には。
⸻
⸻
地上は——もう——立って、いられないほど——熱く、なる。
⸻
⸻
⸻
⸻
「うう……。暑い……。溶ける……」
⸻
⸻
ルカが——店先で——ぐったりと——していた。
⸻
⸻
⸻
「ルカ、無理——するな。奥で——休んでていいぞ」
⸻
⸻
「でも……師匠……お客さん、が……」
⸻
⸻
「お客さんも——この、暑さじゃ——出歩かないよ」
⸻
⸻
⸻
事実——通りには——人影が——まばら、だった。
⸻
⸻
⸻
みな——暑さを、避けて。
⸻
家の——奥や——地下の、涼しい、場所に——引きこもっている。
⸻
⸻
⸻
「参った——なあ」
⸻
⸻
誠は——手ぬぐいで——首の、汗を——拭った。
⸻
⸻
⸻
野菜も——この、暑さでは——すぐに——傷んでしまう。
⸻
⸻
朝——採れたての——みずみずしい、菜っ葉が。
⸻
昼には——もう——しんなり、と——してしまう。
⸻
⸻
⸻
「このままじゃ……商売——あがったり、だな」
⸻
⸻
⸻
⸻
誠は——考えた。
⸻
⸻
⸻
暑さは——どうにも——ならない。
⸻
⸻
なら——暑さと——うまく——付き合う——工夫を——するしか、ない。
⸻
⸻
⸻
祖父・辰三の——教えが——蘇る。
⸻
⸻
「知恵ってのはな、困った時に、初めて、湧いてくるもんだ」
⸻
⸻
⸻
「……そうだ」
⸻
⸻
誠は——立ち上がった。
⸻
⸻
⸻
⸻
まず——誠が、したのは。
⸻
⸻
古い——井戸を——掘り直す、ことだった。
⸻
⸻
⸻
地下深くの——水は——冷たい。
⸻
⸻
その、水を——汲み上げて。
⸻
大きな——桶に——張る。
⸻
⸻
⸻
そこへ——菜っ葉や——根菜を——浸けておけば。
⸻
⸻
野菜は——ずっと——みずみずしさを——保てる。
⸻
⸻
⸻
「よし……。これで——野菜は——長持ちする」
⸻
⸻
⸻
「わあ! 師匠、すごい! 冷たくて——気持ちいい!」
⸻
⸻
ルカが——桶の、水に——手を、浸けて——歓声を、上げた。
⸻
⸻
⸻
「はは。ルカ、水浴びは——後で、な」
⸻
⸻
⸻
⸻
次に——誠は。
⸻
⸻
保存の——利く——商品を——増やすことにした。
⸻
⸻
⸻
漬物。乾物。塩漬け。
⸻
⸻
祖父から——受け継いだ——保存食の、知恵。
⸻
⸻
⸻
生の——野菜が——傷みやすいなら。
⸻
⸻
傷まない——形に——変えて、売ればいい。
⸻
⸻
⸻
「エリナ、悪いけど——漬物、多めに——仕込んでもらえるかな」
⸻
⸻
「ええ、いいわよ。……ふふ。誠さんは——こういう時、本当に——頼りになるわね」
⸻
⸻
⸻
妻の、エリナが——微笑んだ。
⸻
⸻
⸻
⸻
そして——最後に。
⸻
⸻
誠は——大事な——ことに——気づいた。
⸻
⸻
⸻
暑さで——困っているのは。
⸻
⸻
自分だけでは——ない。
⸻
⸻
⸻
⸻
「ルカ。ちょっと——手伝ってくれ」
⸻
⸻
誠は——冷たい——井戸水で——麦茶を——大量に——沸かした。
⸻
⸻
⸻
そして——それを——桶ごと——店先に——置いた。
⸻
⸻
⸻
「ご自由に——どうぞ! 冷たい——麦茶です!」
⸻
⸻
⸻
すると——どうだろう。
⸻
⸻
⸻
暑さに——ぐったり、していた——町の、人々が。
⸻
⸻
ふらり、ふらりと——店先に——集まってきた。
⸻
⸻
⸻
「ああ……。冷てぇ……。生き返るよ、誠さん」
⸻
⸻
「ありがとうねえ。この、暑さじゃ——参っちまってさ」
⸻
⸻
⸻
麦茶を——飲んで——一息、つくと。
⸻
⸻
人々は——自然と——世間話を——始める。
⸻
⸻
⸻
「そういや——聞いたかい。北の、方じゃ——氷が——溶けてるって、話」
⸻
⸻
「ああ、聞いた、聞いた。なんでも——昔は——ずっと——氷に——覆われてた、土地が——見えてきたとか」
⸻
⸻
⸻
「はてね。こう、暑くちゃ——氷も——溶けるわなあ」
⸻
⸻
「違いない」
⸻
⸻
⸻
⸻
誠は——麦茶を——注ぎ足しながら。
⸻
⸻
その、話を——なんとなく——聞いていた。
⸻
⸻
⸻
北の——氷が——溶けている。
⸻
⸻
⸻
(——そういえば、最近……そんな、噂を——よく——聞くな)
⸻
⸻
⸻
でも——それも——きっと。
⸻
⸻
この——暑さの——せいだろう。
⸻
⸻
⸻
暑ければ——氷は——溶ける。
⸻
当たり前の——ことだ。
⸻
⸻
⸻
深く——考える——ことは——なかった。
⸻
⸻
⸻
⸻
「——にしても、誠さん」
⸻
⸻
常連の——老人が——しみじみと——言った。
⸻
⸻
「あんたの、店は——いつ来ても——ほっと——するねえ」
⸻
⸻
⸻
「そうですか?」
⸻
⸻
「ああ。暑かろうが——なんだろうが……あんたが——ここに、いて。冷たい——麦茶を——出してくれる」
⸻
⸻
「それだけで——なんだか——安心、するのさ」
⸻
⸻
⸻
⸻
誠は——照れて——頭を——掻いた。
⸻
⸻
「大した——ことは——してませんよ。ただ——麦茶を——沸かしてる、だけです」
⸻
⸻
⸻
「その、"ただ"、が——難しいのさ」
⸻
⸻
老人は——笑って——麦茶を——飲み干した。
⸻
⸻
⸻
⸻
暑い——夏だった。
⸻
⸻
⸻
けれど——誠の、店先には。
⸻
⸻
冷たい——麦茶を——求めて。
⸻
⸻
今日も——人が——集まってくる。
⸻
⸻
⸻
暑さに——負けず。
⸻
⸻
地味な——工夫を——一つ、また一つと——重ねながら。
⸻
⸻
⸻
誠は——今日も——人の、暮らしを——支えていた。
⸻
⸻
⸻
⸻
その日、誠は、祖父のノートに、こう書き加えた。
「今年の、夏は、異常に、暑い。野菜が、すぐ、傷む。だから、井戸を、掘り直して、冷たい水に、浸けることにした。あと、漬物とか、乾物とか、保存の利くものを、増やした。生が、ダメなら、傷まない形に、変えればいい。じいちゃんの、知恵。それから、店先に、冷たい麦茶を、置いたら……暑さで、参ってた、町の人が、たくさん、来てくれた。"あんたの店は、ほっとする"、って。"麦茶を、出してるだけ"、って言ったら、"その、ただ、が、難しい"、って。嬉しかった。……そういえば、北の氷が、溶けてるって、噂、最近、よく聞くな。でも、こんなに、暑いんだから、氷も、溶けるよね。当たり前か」
⸻
心の中に——一つの、月が——浮かんでいた。
⸻
まだこの時の誠は知らない。北の、氷が——溶けている、こと。それが——ただの——"暑さ"、では——片付けられない……もっと——恐ろしい、何かの——始まりであったことを。
そして——誠が——今——なにげなく——重ねている、この——"暮らしを、支える工夫"、こそが——いつか——世界を、救う——大きな、力の……ほんの——始まりで、あったことも——今は……まだ、知らない。




