95話 くるくる
「皆、起きたな!」
朝、天賦たちは再生師の大声で目を覚ました。上質なベッドに限界まで深く沈んでいい気分だったのに、彼女の尻尾に持ち上げられてしまえば起きるしかない。
「い、今何時……」
「6時だ!」
「姉ちゃんちの朝、早いねェ」
炎砲は再びベッドに潜った。いつも早起きして準備をする彼の姿とは思えない。それほど再生師の家のベッドが気に入ったのか。かくいう天賦もそうである。
「どうしたんだ? 疲れているのか?」
「まあ、疲れてるっていうか……」
昨日、再生師の豪邸見学ツアーは中々に長引いた。高名な画家が描いたという絵画の説明や、これまた有名な彫刻師が彫ったという彫刻の説明やらで、正直魔物退治よりも疲労が溜まっている。
「今日はムーナ・ルイスを回ろう! 前回はあまり楽しめなかったからな!」
「あのカルトがいたらどーすんだよ」
「父上に聞いたが、最近は姿を見ないそうだぞ!」
事前にちゃんと調べていたようだ。それほどまでに自分の故郷を紹介したいのか。
「じゃ、ファティを起こそうか」
「いや、起きているぞ。」
「え?」
天賦たちは窓際のベッドを見る。そこには、マグカップを持って窓の外を眺める黒髪の男がいた。
いつもは酷い寝相で布団を蹴っ飛ばしているはずのファティは、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
「おはようございます」
「え、お前さんどうしちゃったの」
「どうしたって、どうもしてませんよ」
ファティは普段と同じような調子で眉間に皺を寄せた。マグカップを僅かに傾け、中の液体をすする。やはり、銀の耳飾りをつけていた。
「珍しいな、ファティが一番に起きるなんて」
「ありえない」
「ありえないなんて、そんな大袈裟な……」
目が覚めたんだから仕方ないでしょ、とファティはため息をついた。今日は奇想天外なことが起こるかも。
「朝食は用意できているぞ! さ、早く!」
「ちょっと待って」
「元気があってよろしいねェ」
朝の支度の暇も与えてくれない彼女は天賦の腕を引っ張ってくる。久しぶりの家でテンションが上がりに上がっているようだ。
「時間はあるから。な?」
「料理が冷めてしまう! ほら、立って!」
「うわぁー」
炎砲がベッドの中から引き摺り出される。なんだかんだ言って炎砲も無抵抗だった。なされるがままに宙吊りになる。
「ンじゃ、セレブの朝メシ眺めるか」
カルメも人間体になって伸びをした。わざと眠そうな声色を出して、首をくるんと回す。人間らしい、ふてぶてしい動作だ。
天賦は隣に寝かせていた"相棒"を手に取り、それをベルトに取り付ける。
「できた。食べる」
「やった!」
再生師についていって、天賦たちはあくびをしながら広い廊下を歩いた。
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「——では、ムーナ・ルイスを回るぞ!」
「おー」
「いーねー」
朝食を食べ、再生師の両親と談笑した後、天賦たちはすぐに再生師に連れられて外に出た。朝のムーナ・ルイスは天賦の目に眩しく映る。秋でもなお、その美しさは健在だ。
「それで、どこに行くんですか?」
「喫茶店に、美術館に、劇場に……数え切れんな!」
天賦に「美術館」というものは初耳だ。どんな施設なのか、頭の中でイメージを浮かべる。
「ファティに兄ちゃんならともかく、嬢ちゃんに美術って伝わるか? 昨日の自宅見学ツアーもポケーっとしてただろ」
「どういうこと」
「そのままの意味だわ」
確かに、昨日の絵の説明なんかは天賦には到底理解できなかったが、改めて「伝わるはずがない」という風に言われるのは少々不服だ。舐められているような気がする。カルメなんて人間じゃないし、芸術とは最も遠い鳥のはずなのに。
「興味深いものがたくさんあるぞ! きっと天賦も楽しめるはずだ!」
「どうかな」
「どうでしょうね」
炎砲とファティが顔を合わせる。2人もか、と天賦はじとっとした目で男3人を睨んだ。
「では美術館に行こうか。着いてきてくれ!」
「うん」
「はいよォ」
ご機嫌に尻尾を振りながら跳ねるように歩く再生師の背を、天賦は頭を揺らして眺めていた。
再生師によると、美術館は静かにしなくてはならない場所らしい。音に反応する魔獣でもいるのか、と言ったらカルメのツボに入ったのか大笑いされた。他3人もくつくつと笑ったので、施設の人間にうるさいと注意された。
中は落ち着いた雰囲気だが、至る所に細やかな装飾がなされていて厳かな場所という印象を受けた。
壁にはたくさん絵がかけられていて、その横に文字が刻まれている。説明的な何かだろう。
「すごいな、これが美術館か」
「そうだろう、凄いだろう!」
「姉ちゃん、ボリューム抑えて」
すまない、と再生師は口を押さえた。
「ファティは来るの初めてじゃないって?」
「そうですね、以前に何度か」
ファティはこういったものに興味があるのだろうか。再生師は好きだろうが、日常で芸術に触れる機会が少ない天賦には分かりかねる。
「では、私が一つ一つ説明を——」
「再生師の説明、長いからヤダ」
はっきりとそう言った天賦に、再生師は目に見えてショックを受ける。尻尾が垂れ下がり、そんな、と天賦の前にわたわたと入り込んだ。
「だ、だが、どういう意図があり、どのような人が描いたのか——」
「そういうのは兄ちゃんにしてやれ。その方が分かるだろ」
炎砲は再生師にグッドサインを作る。すると、再生師は「本当か!」と言って顔を明るくした。
「で、では最初の方から説明しよう! 炎砲、戻るぞ!」
「えっ、戻るの……わあー」
「ちょ、ちょっと再生師さん!」
再生師の尻尾に巻きつけられて、炎砲は入口の方に戻っていく。ファティが小走りでそれを追って、天賦とカルメはぽつんと残されてしまった。
「あー、あの感じじゃ1時間じゃ足りねェな」
「えー」
「ま、楽しそうだからいいだろ」
カルメの顔を見る。マスクに右目の穴は空いていない。
「ンで、嬢ちゃんは?」
「……分かんない」
「ほォら、やっぱ分かんねェんじゃねェか」
絵がたくさんありすぎるとどこを見ていいのか分からなくなるだけだ。全く興味がないわけではない、はず。
「じゃあ、ここら辺見て回って好きな絵探せ。オレが説明文読んでやっから」
「わかった」
静かな館内を歩く。好きな絵、というか、興味があるものといったら、やはり人が戦っている絵だ。
天賦は魔獣と人間の絵のところで止まった。
「これは」
「題名は「友人」だな。種族の垣根を超えて友情を育む——」
「じゃあ違う」
てっきり魔獣に襲われている絵だと思ったのに、どうやら違ったようだ。魔獣と仲良くなった人なんて見たことがない。説明を聞くのを切り上げた天賦に、カルメは何も言わずに着いていく。
次はソエルソスの闘技場に似た場所で戦う戦士たちの絵。これこそ天賦に馴染み深い光景だ。
だが、盾を構える戦士の重心がなっていない。これでは簡単に盾を弾かれて負けるだろう。そのことをカルメに伝えると、ハッと笑って天賦を小突いた。
「ゲージュツ的によく見えるようにしてンだろ」
「なんで」
「その方がいいからだよ」
カルメはそれだけ言って、また廊下を歩き出した。
天賦はなんとなく、美術館というものを楽しめている気がした。絵を見て、それに感想を抱き、次の絵を見る。なんだか再生師のような知識人にでもなった気分である。
しばらく同じ場所を回り、天賦は一瞬足を止め、また歩き出すを繰り返して絵を鑑賞した。他の客はしばらく同じ絵の前に留まっているが、そんなに長い時間眺めている理由はよく分からない。
「どうよ嬢ちゃん。どれがお気に召した?」
「これ」
「どんなバトルの絵かなァ……は?」
天賦が指したのは戦いの絵——ではなく、金髪の少女の絵だ。高いところで髪を一つにくくり、黄金の剣を携えている。
「私に似てる」
「いや、お前さんじゃねェか!」
「え?」
カルメは横につけられている題名を指した。
「「闘技場の王」って嬢ちゃんのコトだろ」
「あ、そう。そう呼ばれてた」
「モデルがまんまお前さんってコトだよ、コレ」
天賦は大きく瞬きをした。
絵のモデルになった覚えはない。ましてや、こんなところに飾られるような絵だなんて。
「嬢ちゃん有名人だろ? ならこんな絵描かれるって、フツー」
「そ、そうなの」
それが紛れもなく自分だと知り、天賦は急に恥ずかしくなってきた。自分を模して描かれた絵を見るのは不思議な気分である。せめて、描く時には一言断りでも入れてくれないものか。
「じゃあ、カルメはどれなの」
「え、気に入った絵ってコト?」
「そう」
カルメはきょろきょろ辺りを見回す。
「オレは……そうだな」
カルメが歩くのに着いていく。しばらくぐるぐる回ると思っていたが、案外早くその足は止まった。
「こン中で言うと、コレだな」
カルメが指したのは、雪が積もる森の絵だ。たくさんの点によって描かれていて、独特の雰囲気がある。
ガフタの光景にも見えるが、モデルとなった場所は分からない。カルメに説明を読んでもらおうとしたが、この絵には題名らしきもの以外何もつけられていなかった。
「なんで」
「ムズい質問するなァ」
カルメは後頭部をがしがしと掻く。
「この木。コレが「ダルク」に似てるからかな」
「ダルク?」
カルメの指の先にあるのは、いつか聞いた「針葉樹」の木だ。他のものよりも上の方に葉が大きく広がっている。
「あー、まァ、かっこいい木とでも思っとけ」
「ふーん」
カルメが言うのならそういうものなのだろう。変な形の針葉樹の名称とかなのかもしれない。
「これ、名前なんなの」
「題名か?」
「うん」
カルメはマスクを傾け、その字を読む。
「「無題」」
「無題?」
「題名が無いってコト」
なぜ名前をつけないのか。絵が呪われるということはないだろうし、名前をつけないことに理由が見出せない。
「なんで」
「さァなァ。絵描きすぎて名付けんのめんどくなったんじゃねェの」
カルメの話に根拠はない。せっかくこの世に生み出したのなら名前くらいあげればいいのに、と天賦は顔も知らない画家のことを変人だと思った。
「お。おかえんなさい」
カルメがマスクのクチバシを向けた方には、満足そうな顔をしている再生師と、彼女に引っ張られている炎砲、そして苦笑いを浮かべるファティがいた。
「ああ、ここまで帰ってきたのか!」
「どうだった」
「まあ……あはは」
ファティは曖昧な笑いで誤魔化した。長い説明を聞いてきたのだろう。炎砲の顔からは若干の疲れが見受けられる。
「再生師は詳しいな。一つ一つ丁寧に教えてくれる」
「好きだからな! ははは!」
「姉ちゃん、声」
再生師は口を押さえた。
「で、では、次はここの絵のことを紹介しよう。」
「手短にな」
「そう。短く」
再生師は残念そうに尻尾を下げる。
旅が終わったらここの職員にでもなったらどうだろうか。それなら好きなだけ解説ができる。
「気になった絵があったらそのことを教えて欲しいな。全部じゃなくて」
「把握した……。」
「ウソ、今まで全部解説してたのかよ」
美術館の奥に進んでいく。
それから、再生師はうずうずとしながら炎砲の口が開かれるのを今か今かと待っていた。そして彼が僅かでも唇を動かすと「気になるか!」と言って解説の準備をする。
途中で天賦に「静かにして」と注意されて落ち込んでしまった彼女のため、炎砲が説明を求めたことで、今彼は再生師の専属ツアーに参加している。
「再生師、たくさん知ってる」
「凄いですよね、呪源や魔獣のことだけでなく、芸術にも精通してるなんて」
「精通っつーか、ただ覚えてるだけだろ」
彼女が専門外の分野とは何か。考えるまでもなく、計算やパズルだろう。以前、とあるパズルを完全に暗記して力技で解いていた時は流石の炎砲も苦笑いをしていた。
あとは政治関連のことも疎い。再生師の姉の仕事についてはぼんやりとしか把握していなかった。
「カルメも、再生師くらい覚えられればいいのに」
「物覚えがいいコトと記憶喪失は別モンなの」
しばらく歩くと、彫刻がたくさん飾られている場所に辿り着いた。やけに人が多く、ある一つの像の前に人だかりができている。
「なにあれ」
「有名な彫り師の新作だそうですよ」
神々しい女性の像だ。どうやったら石からあんな像が作れるのか、天賦にとっては果てしない謎である。
「炎砲! 新しい像だそうだ!」
「へえ、綺麗だな」
巨大な像の下に人々が集まる。天賦もその近くに寄って——そして、それを見た。
像ではない。そのすぐ近くにいる少女である。
「あ」
「え?」
オレンジ色の髪をくるくる巻いて二つに結んだ、背の低い少女。特徴的なその見た目を忘れる方が難しい。
薄い体を振り向かせるお嬢様——マーマレードは緑の目をぱちくりと開いていた。




