93話 果てしなく
「はっ……はっ……」
荒い息遣いの剣士彼は先の欠けたブロードソードを構え、汗を流していた。
ある村からの依頼だった。
近郊の森に、一際大きな蜘蛛型の魔物が出て、そこら中に粘着性のある糸を吐いて回っているから薬草を採取できず、加えてそれから逃れるために森の奥地に住んでいた魔獣が外に出てきていて困っているから退治してほしい、ということだった。
男のパーティのメンバーは重戦士、魔術師、治癒師と一般的な面子だが、魔術師は【火炎】を専門としているので、蜘蛛相手には優位に立ち回れると思って受けたのだ。
そして、森に入り——思いがけないものを見た。
聞いていた通りの巨大な化け蜘蛛と——【猛毒】を使う毒鳥の魔物の群れがいたのだ。
ただでさえ毒鳥には近づきたくないのに、それの魔物の群れ。首を不規則に曲げながら、クチバシの先から毒の液体を垂れ流している。
化け蜘蛛も腹部から糸を吐き続けている。正気を失った、グロテスクなその姿に戦慄した。
魔物の群れなんて滅多に出くわさない。やつらはどの生物でも無差別に殺して回るから。だが、稀に、互いが「同じ」であると気がつくのだ。
冒険者たるもの、不測の事態にも対応しなくてはならないものだが、こんなことを予想できる人間がいるだろうか。いや、いるはずがない。
重戦士の足はぶくぶくと腫れ、治癒師は顔に糸を被せられて地面に固定させられている。動けるのは剣士の男と魔術師だけ。
息が乱れ、恐怖で指が震える。しかし、ここで剣士が諦めてしまえば残りの仲間は殺される。勝てる見込みがなくとも、剣をしまうわけにはいかないのだ。
魔術師が【火炎】を放つ。それは化け蜘蛛に直撃する前に、剣士に向かって飛んできた毒鳥を撃ち落とした。
「う、邪魔……!」
魔術師は【猛毒】の相殺も兼ねているので、中々化け蜘蛛に魔法を放つことができない。剣士も毒鳥の鉤爪で顔を引っかかれないように必死だった。
身を屈め、毒鳥の猛攻を避ける。
剣を絡め取られないよう、強くグリップを握る。
なんとかして、この魔物の情報を持って帰らないと。村の人々も危険になる。次依頼を受けに来る冒険者も犠牲になってしまう。
「先に村に戻れ! 俺が引きつける!」
「で、でも……!」
「いいから、早く!」
そろそろ魔術師の魔力も切れるころだ。そうなったらただ死を待つのみになる。なら、希望を託した方がいいと剣士は考えた。疲労の中でなんとか絞り出した案である。
「——駄目、後ろ!」
剣士が振り返るのと、鉤爪が目の前に迫るのは同時だった。鋭い爪が、眼前で鈍く光っている。
急激に時が進むのが遅くなった。体も動かないのに、その爪だけがゆっくり、ゆっくり動く。
剣士が死を覚悟した時——
「えぶっ!」
——黒い塊が、毒鳥に衝突した。
「……は?」
「ったく、優しく投げろっての……」
毒鳥を吹っ飛ばしたそれも、また鳥だった。しかし、何かおかしい。
鳥なのに、鳥じゃない。簡単に描いた落書きが、そのまま現実に具現したかのような見た目だった。
右眼のないその黒鳥は、首をくいと曲げて剣士を見る。すると、何かを思い出したかのように鳥っぽく鳴いた。
「な、なにこれ……」
茂みがガサっと揺れた。
そちらの方に目をやると——風が通り抜けた。剣士の顔に影が落ちる。
宙を跳ぶ、金色の流れる髪。
黄金の剣を腰に携え、手には大きなハルバードを持っている。それは、彼女はくるんと一回転して——化け蜘蛛を真っ二つに割った。
まるで、スライムを切るみたく、簡単に。
「あと、鳥の魔物」
「把握した!」
もう一つ、快活な声。突如として現れたその人影は、これまた珍妙な見た目をしていた。
明人につくはずのない、巨大な赤い蠍のような尻尾を持つ、片目を前髪で隠したピンクブロンドの美女。なぜか、脇に赤毛の褐色肌の少年を抱えている。
毒鳥は彼女に襲いかかる。すると、少年が大きな手袋をつけた両手を前に出し、【砲撃】でそれらを撃墜した。
「再生師、右」
「ああ!」
その尻尾を巧みに動かし、毒鳥の腹を切り裂いていく。あまりに鮮やかで、剣士と魔術師は何が起こっているのか把握できなかった。
あっという間に化け蜘蛛も、毒鳥も片付いてしまって、剣士の男は開いた口が塞がらなかった。
「大丈夫?」
あどけない少女の声。彼女はかわいらしい顔つきだが、その背丈は高い。金色の髪がさらさら揺れて、腰の剣が光る。
男は、その姿を見て思い当たる人間が1人だけいた。
ムーナウーヴァのルチカナイト、クスカルの「弟」、そして、ガフタのカローラ・フェンを討ち斃したパーティの1人。
ソエルソスでは「闘技場の王」と呼ばれた、卓越した強さを持つ人間。
「——天賦、さん?」
彼女——天賦は、目を見開いて、口をわずかに開けた。
「知ってるんだ」
「え、ええ……大陸であなたを知らない人間の方が少ないですよ」
「ええ」
なぜか彼女は驚いていた。
確かに、ここ3、4ヶ月ほどは彼女の話を聞かなかったが、自分の評判は把握していると男は思っていたから。
「重戦士の君、足を出してみろ」
「は、はい」
ピンクブロンドの女性は重戦士の足を見て——切断した。重戦士が叫びそうになって、不思議そうに首を傾げた。なんと、痛くないと言うのだ。
そのうち、彼の足が光り、みるみるうちに生えてきた。
この現象を見て、彼女の正体がわかった。
【再生】という現実離れした魔法を扱うムーナウーヴァの富豪の家の女、再生師だ。
「切る前にちゃんと言わないと。びっくりするだろ」
「ああ、そうだったな! すまない!」
となると、彼女に抱えられた少年も誰かわかる。誰より魔法の才があると言われている、凄まじい威力の【砲撃】を放つクスカルの少年、炎砲だろう。
ここにあともう1人、「カルメ」という黒ずくめの羽人はいないようだが、代わりにへんてこな黒い鳥がいた。
どうしてかの呪源を斃した英雄たちがこんなところにいるのか。剣士は命が助かったことの安堵より、その困惑が勝った。なんせ、ここはセンとの国境付近の場所。てっきりガフタやソエルソスにいるものだと思っていたから。
剣を握る手が緩んでいることに気がついて、やっと剣士は立ち上がった。
「た、助けていただいてありがとうございました!」
「あ、え」
天賦は迷ってから、控えめにグッドサインを作った。
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揺れる車内。
向かうのは東——ではなく、西。
「危ないところだったな。」
「あー、キモいモン見ちった」
あの後、天賦たちは過剰なまでに感謝され、あらためてお礼をさせてほしいと村に案内されそうになったが、天賦はそれを遠慮した。そういう場は緊張するから。
「ふう……はあぁ……」
「どうしたんだ?」
「少し進めば魔獣、少し進めば魔物……本当に心臓に悪いんですよ……」
ここまで、天賦たちは異様なまでに魔獣や魔物に襲われた。カルメがいることを加味しても、いつもより遥かに車外に出る機会が多かった気がする。ある人に教えてもらった道のりが罠だったのではないかと思うほどに。
「センは魔獣が多く生息しているからな。その分、カルメに引き寄せられたのだろう。」
「カルメさん、ちょっと離れたところで飛んでくれません?」
「除け者にすンなよ、悲しいだろォ」
カルメがいなかったらもう少し楽な旅になったかもしれない。あんなに血気盛んに向かってくるなんて、魔王への嫌悪が本能に刻まれているのだろうか。
「カルメ、魔獣と話せない?」
「バカ言え、知能レベルが違うの」
カルメは魔獣なのか、それとも人間なのか未だにわからない。「魔王」という生物だと言ったらそれまでなのだけれど。
「本当に何したんだよ」
「さァな。故郷を焼いたか、一族皆殺しにしたか、それか両方だな」
「本当、最悪」
忘れそうになるが、カルメは200年前シュルトカやサマルエルムを苦しめた元凶なのだ。今のカルメにその責任を問うのは違うかもしれないが、時折どのような感情を抱けばいいのか分からなくなる。
「無理に思い出さなくてもいいが、力は取り戻してほしいな。」
「あのビーム、使ってほしい」
ルチカナイトの光、カローラ・フェンの閃光。あれもカルメの、魔王の力だというのなら、すぐにでも取り戻してはくれないものか。炎砲と合わされば凄まじい戦力になると思うのに。
「できればな、できれば」
「焦らなくてもいいよ」
カルメは目を細めた。
「てかよォ……オレら、何してた?」
「その……まあ、大変でしたね」
アマツには行った。行ったのだ。
しかし、見事なまでの空振りだった。
呪い関連の大きな情報はなかった。楽園教の姿も見えなかった。それどころか、なぜかアマツに伝わる怪異である「カミカクシ」の真相を究明するために東奔西走し、呪源とは全く関係のない魔獣を討伐することになってしまった。
夏のアマツは、それは暑かった。
「でも、いいこともあった」
「「カタナ」だろォ? 折らないように気をつけろよ」
天賦は、アマツで刀と呼ばれる剣を手に入れたのだ。それも上等な。ブロードソードよりずっと薄く、打撃には使えないがその分よく切れるのだ。アマツでは扱いに注意しろと口うるさく言われた。
「あと、やっと天賦の拡張袋を新調できたしな。」
不良品だった天賦の拡張袋を買い直したのだ。窮地で欲しいものがすぐに出てこずにやられるなど、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
「その剣見てたら、あれ思い出しちゃうな」
「腹切り、ですよね。あれは強烈でしたね……」
炎砲がため息をついた。天賦も最初、聞いた時はその後に【治癒】を使うものなのだと思っていたが、まさかそのまま自害する行為だとは。鮮明に思い出しそうになって、天賦は一つに括った髪をぶんぶん振った。
「それで、これからどうするんだ?」
「とりあえず今はムーナウーヴァに向かってますけど……うーん……」
どこに行けば楽園教の足取りを追えるのか、呪源のヒントを得られるのか、もはや行き先がない。
センを目指すとか、それともクスカルより先の南国に行ってみるとか色々考えているが、今は馴染みのある国に戻ろうということになっている。
センには楽園教の情報が全くないというので望みは少ない。南国も同様だ。だが、少しでも呪源のことを探りたかったから。
「エルフの森とかは?」
「踏み入れた瞬間射られそうですけどね、俺たちみたいな部外者」
耳を長く見せれば溶け込めそうなものだが、そういう問題でもないのだろうか。天賦は自分の耳を引っ張る。
「まあ……ゆっくり探すのもいいんじゃないですか? 世界を旅しながら。いいじゃないですか」
「やだ。早く見つけたい」
ファティのように悠長にしている余裕は天賦にはない。一刻も早く"相棒"を救い出したいのだから。
「急いで見つかるようなやつでもねェだろ」
「しっかり情報を集めなくてはな!」
再生師は元気よく笑う。
この世界は天賦が思っているよりもずっと広かったようだ。どれくらいの時間をかけたら世界中を回ることができるのだろう。
「それなりのペースで頑張っていきましょう。俺も、できることをするので」
ファティの銀の耳飾りが光る。天賦の視線は、特に明確な理由はないがそれに吸い寄せられた。装飾もされていない、質素な耳飾りなのに。
「ムーナウーヴァに着いたら、ひとまず家族に挨拶をしたい。噂も広がっている頃だろうしな!」
「そっか、再生師はムーナ・ルイス生まれだもんな」
天賦に家族はいないから、そのような考えは浮かばなかった。今までの旅の成果を親しい人に語りたいのだろう。
「俺も、もし機会があったらイルネたちに話そうかな」
「クェンターレにゃそうそう行かねェだろ」
「うーん、確かに。旅が終わる頃になりそう」
炎砲は、もし旅が終わったらニーデン傭兵団のところに行くのだろうか。彼なら活躍できるはずである。
「旅が終わっても、オレはしばらくは嬢ちゃんについて回るコトになりそうだなァ」
「なんで」
「1人ヤダもん」
天賦は特に決めていなかったが、放浪の旅をするのもいいかもしれないと考えている。"相棒"にたくさんの景色を見せてあげたい。そこにカルメがいても……まあ、許容範囲内だ。
「ファティは?」
「えっ」
ファティの顔は後ろからでは見えないが、なんとなく、驚いた顔をしたのだろうなというのが予想できた。顔を上げ、彼はしばらく考え込む。
「……どうでしょう。元の俺と、なんら変わりない生活をするんじゃないですかね」
「つまんない」
「つまんないって、それ以上に想像できないんだから仕方ないでしょ」
術力車が曲がる。
「家族の元へは行かないのか? 確か、兄もいるのだろう。」
「それはないですね」
天賦は意外に思った。彼が家族のことを、あまりにもすぐに否定したものだから。
「10年以上会ってませんし、そもそも良い家庭ではなかったので。少なくとも、俺にとっては」
ファティの声色は変わらなかった。しかし、壁の隙間から、彼の手が力むのが僅かに見えた。
静かになった空気に気がついたのか、ファティは慌てて話し出す。
「いや! 殴る蹴るとかするわけでなくて、ただ、冷たい人だったというだけですよ。そんな悲惨ではなかったはずです、はい」
「ま、人には人の事情があるからなァ」
元魔王のカルメに人間の家庭の事情の何がわかるというのか。カルメはいつも通り、テーブルの中央に転がっていた。
「……ファティ、そろそろ疲れないか? 一回ここら辺で休憩にした方がいいんじゃないかな」
「あ、そ、そうですね。そうしましょう。皆さんもお腹減ったでしょ」
「あ、ああ! 腹ペコだ!」
術力車が速度を落とす。
天賦はなんとなく、ファティの本名を口の中で転がしていた。
極東の国アマツ編は……書けたら書きます。
5章もよろしくお願いします!




