87話 異類婚姻
まずい。
このままでは窒息するより先に首が折れる。
天賦は脚をばたつかせて、カローラ・フェンの腕を曲げようと手に力を込めた。しかし、人間の力でどうにかなる握力ではない。
そのまま、高く持ち上げられる。体重が首にかかってますます苦しくなった。こんなに細い腕なのにびくともしないなんて。
異形に目はない。なのに、じっと睨まれている。
視界が霞みだした時、空から光が飛んできた。比較的小さいそれは、カローラ・フェンの腕だけを狙って放たれる。ダメージは少ない様子だったが、天賦を解放することに成功する。
「げほっ、た、たすかった」
天賦は急いで息を整える。カローラ・フェンの視線はカルメに向いていたから、少しの余裕ができた。
「うーわ、中々にグロテスクじゃねェか」
「炎砲、少し休んでいろ。」
再生師の魔獣化は止まったが、炎砲の血は戻ったわけではない。少しおさまった様子ではあるが、今の一回を放って息を乱す程度には弱っていた。
再生師は炎砲の腕を治した後カルメから降りて、カローラ・フェンの注意を炎砲たちから逸らす。天賦は彼女の助けを借りて立ち上がった。
カローラ・フェンはその上半身に似つかわない唸り声を上げた。この姿のことは呪解者から聞いていない。つまり、何をしてくるか分からない。
「いけるか。」
「大丈夫」
この程度で動けなくなる天賦ではない。首の跡を触り、それからモーニングスターを構え直した。やはり、髪を結び直す時間はない。
「——来る」
カローラ・フェンが駆け出した。
今までよりもずっと速く、ずっと滅茶苦茶だ。ぶつかれば確実に死ぬと理解できるくらいには。
2人は別方向に逃げる。再生師は横に、天賦は上に。炎砲が砲撃を放てない以上、より鋭く感覚を研ぎ澄まさなくてはいけない。天賦は宙を飛びながらも、どの向きからの攻撃も避けられるようにモーニングスターの位置を調整した。
弱らせたはずなのに、カローラ・フェンの動きはより苛烈になっている。このままでは結婚式なんてできやしない。足が三本しかないのに、まるで蜘蛛の魔獣のように素早く動く。カローラ・フェンはもはや、天賦と最初に出会った時の理性なんて残していなかった。
この呪源の体力を削り切ることができるのか、そもそもカローラ・フェンに体力なんてあるのか。天賦は必死に決定打になりうる何かを模索した。
瓦礫が飛び、その後ろからカローラ・フェンの血液が散る。天賦はそれを鉄球で砕き、液体は鎖をしならせて防いだ。再生師はただの人間には不可能な動きをして、宙返りをしながら崩れた床から逃れる。
「……これだけか?」
「そんなわけない」
なぜか、カローラ・フェンはあの光や聖剣の模造を使わない。体液と衝突による攻撃ばかりで、激しいとはいえ、多くのものに目を見張る必要がない分、天賦たちも動きを順応させていった。
死角から飛んでくる飛沫もカルメの羽が防いでくれる。カローラ・フェンからの目隠しにも使えるので、再生師と注意を引く役を交代して多少休むこともできる。
攻撃は仕掛けにくいが、同時に相手からの攻撃に当たりにくくなっていた。
だが、それで油断できる余裕もない。ルチカナイトとの戦いの際、その不意を突かれて天賦は腹に大怪我を負ったのだ。
前足を避ける。席の上を跳んでカーペットの上に着地した時——その違和感に気がついた。
地面が揺れている。何か、下から這い上がってきているかのような——
「下!」
カローラ・フェンが鳴いた。
地面の揺れがいっとう大きくなり、床の破片が跳ねて、それが突出した。
「うっ!?」
「なに……っ!」
金の剣——と、言っていいのであろうか。
あまりにも長すぎる刀身が、床から天井に突き刺さるまで生えてきた。それに加え、剣の間隔はほぼ空いていない。
天賦は自身の関節を無理やり曲げて、小さな隙間を縫って剣から逃れた。幸い、ふくらはぎが少し切れるくらいの損傷で済んでいる。
再生師は同じようにして回避しようとしたが、宙に跳んでいた分反応が遅れ、それを完全に避けることができなかった。腕が切り飛ばされ、足は貫通している。
そして、カルメは——直撃していた。
幸い、胸や翼に突き刺さる程度で貫通はしておらず、炎砲にまでその刃は届いていないが、完全に捉えられて身動きができていないようだった。暴言を吐き、剣を折ろうと脚を動かしている。
剣に挟まれて、全員身動きが取れない。こんな攻撃を隠し持っていたなんて。天賦は焦り、腕に切り傷を作りながらモーニングスターを手繰り寄せようとした。
カローラ・フェンがこちらを見据えている。
駄目だ、この状態では衝突を避けられない。ろくに体幹も安定していない体勢なのに。
ぐるる。
喉が鳴る。
ぐるる。
腕が震える。
剣が赤色に染まり、天賦の腕にエラができる。
どうすれば、何をすれば。
そして、白い薔薇が完全にこっちを向いて——
「クソ……が、しつけェんだよッ!」
——剣の折れる音がした。
怪鳥が、カローラ・フェンの花を斬りつける。目を銀色に光らせるカルメの脚は、まるでこの世の凶器を全て合体させたような、残虐な見た目をしていた。
いつもの、絵本に出てくるような簡単なタッチのそれではない。生き物を殺すためだけの、それ以外の用途が考えられない鉤爪。
羽の壁、巨大化に次ぐカルメの新しい力なのだと、天賦は剣に囚われながら理解した。
「あァクソ、今回もショボいなァ……!」
カルメは炎砲を落とさないように身を翻し、天賦と再生師を拘束する剣を斬り飛ばした。
再生師は自らの四肢を再生し、天賦の負傷した腕を切断して【再生】をかける。
「ありがとう」
「さて、どうする。」
カルメの変化に驚いている暇はない。カローラ・フェンをどうやって無力化するかを考えることが重要だ。
カローラ・フェンの動きは激しく、先ほどと同じ方法で脚を切断するのは難しい。じりじり詰めていても、今の剣の山の出現を繰り返されたら苦しくなる。
炎砲の「本気」の【砲撃】も——無闇に使うのは危険だ。彼が気絶することが確定している以上、簡単には手段に入れられない。
なら、新しく手に入れた武器を使うのは。
「カルメ、呪源を押さえて!」
「ッハ、難しいコト言うねェ。——姉ちゃん!」
カルメは低空飛行をして、炎砲を再生師に受け渡した。——そして、背負うものが無くなったカルメは、その凶器をカローラ・フェンに向けて飛び出させた。
カルメなら、あの体液に多少の耐性がある。すぐに溶かされることはない。カローラ・フェンの身体に鉤爪が食い込み、彼女は教会の中央で暴れ出した。
「今だ!」
「わか、った」
一時的に拘束されたカローラ・フェンに向かい、天賦と再生師は武器を向ける。炎砲は口の血を拭わずに、手袋を前に突き出した。
再生師はカローラ・フェンの後ろ脚に向かい、何度も同じ箇所を切りつけた。炎砲もそこに【砲撃】を叩き込んでいる。無闇に傷を作るとかえって「サマルエルムの涙」を溢れさせることになるので、彼女の攻撃は慎重だった。
天賦はカローラ・フェンの上半身に鎖を巻きつけ、獣の身体から切断しようと試みた。この細い人型なら比較的簡単に折れるのではないかと思ったから。
しかし、その部位はどこよりも硬かった。いくら締めつけても動く気配がしない。わざと弱く見えるようにでもしているのだろうか。
「ヤッベ、離れろ!」
カルメの声に従い、2人は離脱する。
天賦の鎖がしなった時、カローラ・フェンの全身から黄金の液が飛び出した。攻撃で出血した、というよりも、わざと噴出させているような。
天賦は柱の影に急いで隠れ、再生師は炎砲を庇いながら2階に飛んで回避する。その瞬間は解決したが、その後が問題だった。
「……もう」
床全体に広がった「涙」。
天賦たちは足を再生しているから靴なんて履いていない。素足である。この状態で歩き回るなんてただの自殺行為だ。
「おわッと……!」
カルメも、カローラ・フェンから振り離される。爪が刺さっていた箇所から血が漏れ、更に黄金が流れた。
「お、俺の腕で、蒸発させようか」
「あれは危険だ。魔力を活性化させた状態で腕を渡すなど、身体が爆発してもおかしくないんだぞ。」
既に天賦の身体には疲労が溜まりきっている。再生師も同じだろう。身体を動かす代わりに、脳はまともに働かなかった。
「じゃ、代わりだ」
そう言うと、カルメは床一面を黒くした。カルメのあの羽の壁である。
「踏んだらすぐ移れよ。マジ一瞬で沈むから」
「分かった」
猶予がないとは言え、足場には変わりない。
元より速く動くのは得意だ。つま先を滑らせ、カローラ・フェンと目を合わせる。
——天賦とカローラ・フェンが走り出すのは同時だった。
黄金が散り、羽が沈む。
カローラ・フェンは2本の脚と取れかけの後ろ脚で天賦たちに襲いかかった。そこには殺意以外のいかなる感情も感じられない。
毛が舞う。腕が飛ぶ。
目を血走らせて、斬撃を避ける。
足が焼けても、爪が溶けても走り続けた。息が上がっても脚を止めなかった。立ち止まったら、余計に酷いことになると分かっているから。
光が飛び、尻尾が弧を描いた。
何度も何度も刃が飛んで、ようやく——
——カローラ・フェンの後ろ脚が一つ、取れた。
これで、残る脚は前と後ろに一つずつ。普通の狼ならもう走ることは叶わないだろう。だが、相手は呪源。この程度の負傷で終わるはずがない。
カローラ・フェンの脚が壁に衝突したのを確認して、天賦たちは2階のギャラリーに上がる。もう手すりは崩れ去っていて、足場もボロボロだ。ろくに立つ場所もないが、全体を見回すにはいい。
天賦たちの息は上がりきっている。肺が痛み、脇腹を刺されるような感覚がした。
「あと、2本」
「大丈夫、勝てる。」
汗を拭う。
同じことをあと2回繰り返せばいい。そうして、身動きが取れなくなった状態で「結婚式」をすれば、あるいは。
「……オイ、なんかおかしいぞ」
「えっ」
カローラ・フェンを注意深く観察する。
彼女は——落ち着いていた。数秒前まで暴れ狂っていたのに、教会には静寂が訪れている。
「降りるぞ。ここは狭すぎる。」
逃げ場を確保するため、天賦たちは下に降りた。天賦と「姫様」が結婚を誓った場所——祭壇以外のところは液体に浸かりきっている。
「なに……?」
カローラ・フェンは——すっと、人型の左腕を挙げた。それは天賦に、天賦にだけに向けられている。
まるで、選ばれるのを待っているかのような。
「……サミー」
白い薔薇が傾く。
「できないよ」
天賦のその声ははっきりと、教会の隅までに届いた。カルメも、再生師も、炎砲も、何も言わない。
カローラ・フェンは再び否定されたことに気がついて——力強く、その手を握りしめた。
「あ」
——そして、教会が明るくなった。
明るくされたのだ。そう、カローラ・フェンの、光の弾によって。
いや、それは「弾」などではない。光のカーテンだ。
天井一面に張り巡らされたそれは、球の形をしていなかった。まるで、「避けるな」と言われているよう。
カローラ・フェンの指が、下ろされる。
炎砲が手袋を外す。しかし、それよりも光が降りる方が早い。
光が降りる。
しかし、それよりも。
——黒鳥が天賦たちに覆い被さる方が早かった。
「え——」
——地響きがする。
全身が熱い。でも、焼ける"よう"な熱さを味わうだけで、肌は焦げていなかった。
視界に閃光が走り、暗闇が訪れてから、天賦の内臓は急激に冷え始める。
何が天賦たちを覆ったのか理解したから。
「カルメ!」
上に乗っかった羽から身を乗り出す。やけに焦げ臭いにおいがした。
しかし、その見た目からはそれが焼けていることなんて把握できない。そのくらい、真っ黒だから。
「カルメ、しっかりしろ、カルメ」
カルメは動かない。軽口が聞こえない。
まるで、狩人に撃ち落とされた鳥のようだった。
カローラ・フェンを見る。
彼女は静かだった。薔薇から一枚の花びらが落ちて、2本の脚で巨体をゆっくりと引きずり、こちらに近づいてくる。
——そして、再び手を天賦に差し出した。
「嘘……」
天賦が誰か——誰と勘違いしているのか——戦いの中で急に思い出したのだろうか。凶暴な下半身と裏腹に、その仕草は落ち着いている。
これを拒否したらどうなるか、結果は目に見えている。今度は天賦たちに光を防げる手段はない。
……だが、この手を取ったらどうなる?
再生師たちは殺されるのか?天賦を置いて?
天賦は頭を必死に動かした。ここでは何をするべきなのか。攻撃して——カルメの足場がない。
それとも逃げて——雪山を安全に降りる手段がない。
カローラ・フェンはゆっくり、ゆっくり近づいてくる。そして、ようやく天賦たちの目の前までやってきた。
手を取るべきか、それとも払いのけるべきか。
後者を取れば、確実にあの光が迫ってくる。だが、それをしなかったとしても何が起こるか定かではない。
再生師は今にも飛び出しそうだ。炎砲はカローラ・フェンと天賦を不安げな目で見つめている。
カローラ・フェンはカルメを残った前足でずず、と地面を滑らせてどけた。もう、カルメの存在は眼中にない。
天賦は"相棒"のグリップを握る。それを見て、カローラ・フェンは口元——らしき場所——に指を当てた。まるで笑っているようで。それとも懐かしんでいるのか。
再び、指輪が出される。ごつごつした、子供が見よう見まねで作ったような指輪だ。
それを受け取れと、受け取るしかないだろうとカローラ・フェンが天賦の顔を覗く。
——不確定要素があるにしても、助かる可能性がある方を選ぶしかない。
天賦は、恐る恐るその指輪に手を伸ばす。
それが近づいて、はっきりとして、天賦の指に触れようとした。
——その時。
凶器が、カローラ・フェンの花に突き刺さった。
「え」
焦げ臭いにおいがする。しかし、それは動いて、飛び上がり、カローラ・フェンを押さえつけている。
「——油断しただろ、クソ野郎」
喉を絞るような声で、カルメは嗤った。




