85話 待った!
——少し前。
楽園教の制圧を終えたカルメたちは屋敷から出て、一度息をついた。
「もういねェな?」
「ああ、影は見えん。」
「み、みんな、よく頑張ったな」
炎砲の息は荒い。まだ魔力痛が僅かに残っているようだった。ファティは彼の背中をさする。
「でも、まだ安心とは言えません。とりあえず呪解者さんと合流して、屋敷から離れましょう」
「ああ、それがいい。」
「あっちには、【治癒】が使える人がいるだろ。そ、そこで、カルメも治してもらおう」
カルメの全身の傷は時間を追うごとに痛みが増していく。まるで今なお焼かれているようだ。
タムチルーナか、あるいは他の使用人に頼めば治療してもらえるはず。
カルメたちは兵士に軽く状況を説明して、ガフタを走る。天賦は今どうしているだろうか。呪源に囚われているのか、それとも戦っているのか。なんにせよ、良い状況ではないだろう。
ふらつくカルメを再生師が尻尾で支える。カルメがここまでダメージを負う攻撃、天賦が——人間が食らったら跡形もなく消し飛ぶはずだ。
無事でいてくれ、と再三願う。
カルメたちが呪解者と再会したのは「銀の鐘」だった。店主が呪解者専用の席を用意し、他の客が取っ払われる。
「先程は助けて頂き、本当にありがとうございました」
タムチルーナは深々と頭を下げた。袖は戻っておらず、ふわふわの毛が露出している。
「ああ、治療が間に合ってよかった。」
「何より、先生を安全に避難させて頂いたことに、心からの感謝を」
呪解者の周りには使用人が集まり、【治癒】を施し続けていた。脇ではミェルが呪解者に水を渡している。彼はまだ完全に回復していないのだろう。その中の2人がカルメの火傷を治癒している。
治るまでには少しの時間が必要だ。
「では、詳しい顛末を——」
「そんなのいい」
カルメは再生師の言葉を遮った。
「今、アイツがどうとかの話はマジでどうでもいいんだよ。それより呪源だ」
楽園教の話が気にならないわけではない。しかし、それよりも優先順位がはるかに高い話題があるのだ。しかも時間制限付きの。ならここでぐだぐだと黒フードの話をしているわけにもいかない。
「ワガハイも同意見だ。何が起こったのかを聞かせてもらおうか」
「ああ。まずは——」
再生師が天賦が連れ去られたいきさつを説明する。カルメは彼女の話が迅速に終わることを望んでいた。使用人たちに「動かないでください」と注意される。
再生師の口が閉じて、呪解者は考え込む。今までにないケースだから、彼も困惑しているはずだ。
「思い当たる節とか、ありますか」
「同時期でも、同姓同士でも"結婚式"を行った記録はある。それらが原因とは考えづらい。今回は何が違った?」
決定的に違ったもの。
カルメが即座に思いつくのは一つだけ。
「英雄の武器は」
「ふむ……」
呪解者は再び考え込む。
「彼女は聖剣を所持していたな」
「聖剣かは分からないけど、金の剣を持ってます」
炎砲が椅子に横たわりながら答える。
呪解者は右耳を震わせて、それから顔を上げた。
「それかもしれんな」
「聖剣に何か心当たりがあるのか?」
呪解者はモノクルをなぞり、タムチルーナに目配せをした。すると、彼女は店主に顔を向ける。
「場所を提供して頂いた身ではあるのですが、少し内密の話をしたいので空けて頂いてもよろしいでしょうか」
「は、はいもちろん!」
「ありがとうございます」
店主はバタバタと足音を立てて外に出ていく。1人の使用人もそれについて行った。
「……聖剣は、他の英雄の武器とは違う」
「具体的には」
「英雄の武器は、魔王の右眼を僅かに使用して作られた物だ。しかし、聖剣は別だ。あれは、右眼の半分を使用して作られている」
半分、とファティや再生師と声が被った。
「もしかしたら、に過ぎないが、それに反応したのかもしれん。サマルエルムは右眼の力を身体に取り込んだわけだしな」
「……まァ、理由としてはありえるか」
それほど強大な力を持つ剣だとは思わなかった。カローラ・フェンの力と共鳴して、という可能性も大いにある。
「では、私たちはどうすればいい?」
「もう一度"結婚式"をして……いや、そうだな」
呪解者はタムチルーナを呼びつけて、彼女に耳打ちをした。カルメたちにその声は届かない。
すると、タムチルーナは一度大きく目を見開き、そしてカルメたちから離れ、どこかに向かって行った。
「鐘は無事だな?」
「ああ、問題ない。」
呪解者は首の毛並みを揃え、それから炎砲を見た。
「カローラ・フェンの光を撃ち落とした、それは事実だろうな」
「はい、なんとか」
「……ならば、我々も一つ協力しよう」
タムチルーナが帰ってくる。
その手には銀の箱が収められていた。いつか見た、カルメの指輪が入っていた箱に似ている。それと違うのは、開閉する場所が明らかになっているところだ。
「それを、今回に限って貸そう」
タムチルーナはそれを開ける。
その中に入っていたのは——質素な、金の首飾りだ。
「これって」
「「アベンの首飾り」だ」
楽園教が狙っていたという、英雄の武器。本当にこれを所持していたとは。
「魔法の有効距離と威力を格段に上げる遺物だ。それがあれば、再び光が降ってきても腕を犠牲にせず撃ち落とすことができるだろう」
「なんで、そんなものを……」
「説明が必要か?」
それだけカルメたちを信頼しているのか、それとも呪源を斃す機会を逃したくないのか。恐らく後者だろう。
「ただ、その存在については他言無用だ」
「もちろん、言わねェよ」
その首飾りは炎砲に渡される。彼はそれを握り、上着の下から首にかけた。
「あと、これも持っていけ」
カルメたちに渡されたのは、先が緑色をした青杖だ。
「【治癒】の青杖だ。金はいらん」
「感謝する。」
もし天賦が肋骨を折ったりしていたら再生師では治せない。あるいは疲れ果てているかもしれないから、この杖は非常に良い助けになる。
「ワガハイの治療はもういい。そっちを治してやれ」
「はっ」
呪解者の周りから使用人が離れ、カルメと炎砲の近くに集まった。傷の治りが急速に早くなる。
「あっ、あのあの、私は……」
「お前は……ワガハイの血でも拭いていろ」
「はっ、はい!」
ミェルは熱心に呪解者の血を拭い始めた。呪解者は少し鬱陶しそうな顔をしている。
「うし、大体回復」
「俺も、動けそうだ」
カルメの傷は、完治、とまではいかないが、十分に動けるくらいには回復した。炎砲も腕を回している。
これぐらいでちょうどいい。時間が経てば経つほど、天賦の状態が危うくなるのだから。
「カルメさん、これ」
ファティの手から、小さな箱が渡される。それは独特な香りのする草が取り付けられていた。
「俺にできることなんて、ないので」
「何言ってんだ、そんなことないぞ」
「ありがとなァ、ファティ」
彼は無理やり笑顔を作って、手を組み合わせた。
「……いってらっしゃい」
「おう。嬢ちゃん連れて、帰ってくるわ」
「安心して待っていてくれ。」
使用人たちからも無事を願う言葉が投げかけられる。呪解者はモノクルをなぞり、「武運を祈る」とだけ告げた。
カルメの中で、今だけは、呪源への憎悪よりも天賦の安否についての憂慮が勝っていた。
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——雪山の麓に立つ3人。
1人は尻尾を揺らし、1人は首元に握り拳を作り、1人——1匹は真っ直ぐホツァイト山の遥か上を見つめていた。
「これでいいのだろうな。」
「うん、大丈夫」
鐘の上にはカルメが位置している。炎砲は小さな紙を広げ、そこに書かれた内容に目を通していた。
——そして、椅子に縛り付けられた人間。
兵士によって拘束されていた信者2人だ。片方はヴェールを雑に被せられ、片方はフードに造花を貫通させている。
次に何が起こるか分からない以上、新郎新婦役は犠牲になっても心が痛まない人間であるべきだ。
「じゃあ、始めるぞ」
「やってくれ」
それから——炎砲は、早口で誓いの言葉を唱え始めた。そこに感情なんて何一つ込められていない。ただの作業だった。
「——永遠の幸あらんことを!」
「……行くぞ」
「ああ。」
カルメは飛び上がり、乱雑に鐘を鳴らし始めた。
何度も、何度も、何度も。
再生師は炎砲を抱え、カルメの上に飛び乗る。
鐘の音が広大な大地に響き、そして——
——悍ましい叫び声が、降り注いだ。
「今だ!」
「おうよォ!」
続いて、落石。
カルメは力を目一杯込めて翼をはためかせ、急速に高度を上げてそれを回避した。再生師は炎砲の肩を強く掴み、落ちないようにしっかり支えている。
鐘の安否はもはやどうでもいい。やっとカローラ・フェンが反応したこの瞬間、逃すわけにはいかないのだ。
「もっと上がるぞ! しっかり息しろ!」
「まか、せろ!」
冷たい風が羽を揺らす。
凄まじい雪崩を横目に、カルメは高度を上げ続けた。
そして、ホツァイト山の中腹まで飛び上がった時。カルメはそれを目にした。自身の羽を焼いた、あの光である。
偽結婚式をしたのに、なぜそれが飛んでくる。一番最初、そんな話はタムチルーナから聞かなかったのに。
——そう。予想通りの、異常事態だ。
「頼むぜ、兄ちゃん!」
その声で、炎砲は荒れ狂う風の中手袋を構えた。
魔力が黄金に光る。甲高い音と共に、炎砲の手のひらから【砲撃】が放たれた。
それはカーブを描き、カローラ・フェンの光の球に衝突する。空中で爆発が巻き起こった。
「いいぞ、炎砲!」
「そのまま押さえててくれ!」
炎砲は両手を前に出す都合上、カルメの上でバランスが取れない。そこを再生師がカバーしている。
下から、上から、横から。
巨大な黒鳥に向かって、雪が蒸発するほどの熱が飛ぶ。
カルメの背からも、眩い球が飛んだ。
それは正確に、呪源の力と共に死んでいく。あまりによく出来た魔法の制御に、カルメは炎砲の才能を感じざるを得なかった。
「カルメ、左に避けろ!」
再生師の叫びに従い、カルメは角度を変える。
翼の下から、カローラ・フェンの光が通り過ぎた。
「ごめん、撃ち漏らした……!」
「気にすんな! そンまま続けろ!」
カルメが見えないところは再生師が捉えている。全て墜落させるのが難しいというのは、元より承知の上だ。
「もうちょっとだ! 踏ん張れよォッ!」
この巨体で、2人を振り落とさないように光を避けるのは至難の業だ。この状態で動くのさえ慣れていない。
だから、カルメは根性でそれを解決した。
「こん、クソが……っ!」
カルメは無い歯を食いしばり、無い眉間をしかめた。
上がるにつれて、攻撃の密度が増していく。再生師の指示がなければ、炎砲の追撃がなければとっくに墜落している。
多少無茶だと自覚しながらも、カルメは一直線に飛んだ。下手にぐねぐね飛ぶよりも、こっちの方が炎砲も対応しやすいだろう。
……いや、それよりも、他の理由が大きい。
いち早く、天賦を救い出さなくてはと思っていたから。
「見えた!」
再生師の声が宙で響く。
その先に捉えたのは——建物の影だ。
「っし……! 上げるぞ、掴まれ!」
カルメは速度と高度を上げた。
光と光の間の隙間が広くなっていく。その分炎砲の【砲撃】も減り、視界がどんどん良くなった。
建物の、教会の形がくっきりと濃くなっていく。
扉を探す。が、それらしきものは見当たらなかった。
入れそうな所は——あの、黄金のステンドグラスだけ。
「——顔守っとけよォ!」
2人は顔をカルメの羽にうずめた。
カルメは翼を畳み、楕円の形になって教会に落ちる。最後の一つの光を避けて——
——甲高い、ガラスが割れる音が響いた。
内装が露呈する。
教会のように見えたそれは、雰囲気だけをなぞった質の悪い模造品であった。シャンデリアも歪で、席も壁を向いている。
そして、見つけた。
「あ……」
「迎えに来たぜェ、嬢ちゃん!」
天賦はなぜか白いタキシードを着ている。後頭部からは血が流れていて、かなり危ない状況だったことが伺えた。
「天賦!」
カルメの背から再生師が降りて、天賦に呪解者から貰った青杖を使う。それはすぐに灰になって消えた。
「……なァるほど、肖像画詐欺じゃねェか」
カローラ・フェンは、呪解者の屋敷で見た姿とはかけ離れていた。ヴェールはボロボロで、何よりドレスの下からは巨大な、おぞましい獣の脚を覗かせていた。
「兄ちゃん、いけるか」
「いける。大丈夫」
再生師は天賦を柱の陰に移動させている。カローラ・フェンは幸い、突然やってきたカルメたちに意識を持って行かれているようだった。
カルメは巨体を炎砲1人が乗れるくらいの大きさに調整して、首を一度くるんと回した。
そう、カルメには英雄の私情なんてどうでもいい。使命はただ一つ、呪源を殺すことなのだから。
「かかってこいよ、行き遅れ野郎!」
ぐるる、と獣が喉を鳴らす。




